田舎では玄関に鍵をかけない

のっけから身内の話です

自分の両親は田舎の育ちなので、「玄関に鍵などかけない」のが当たり前だと思ってい

ます。外出して留守にするときは鍵をかけますが、在宅しているときは庭仕事をしてい

ようが昼寝をしていようが、玄関には鍵をかけないのです

「この辺りじゃ玄関に鍵なんかかけないよ」と笑います

なぜ笑うのか、長年の疑問でした

玄関に鍵をかけるのが笑うべき行為、笑うべき対象なのかと

自分の住居に両親が来訪した際、両親が玄関から入ったあとで自分は当然のように玄

関に施錠します

すると両親は、「鍵をかけているのか、ハハハ」と笑います

日中でも、在宅中でも施錠するのが防犯上当然の心構えだと説明するのですが、両親

は笑うばかりでまったく耳を貸そうとはしませでした

最近になってようやく、「玄関に鍵をかける」行為がなぜ笑うべき行為である理由が解

明できたような気がします

つまり「玄関に鍵をかけて生活」している人間は、何かに脅えて暮らしているという意味

に受け取られ、それは「臆病者」だと田舎では判断されるからです

「玄関に鍵をかけない人間」は臆病者ではない、豪気な人間だと田舎では解釈される

のでしょう

だから「玄関に鍵などかけたことがない」と自慢し、自分たちが豪気な性格であると表

明したいのです

地域の防犯活動として「空き巣が増えています。鍵をかけましょう」との呼びかけがあ

っでも、「近所のAさんのところに泥棒が入った」と聞いても、それが在宅中でも玄関

に施錠しておくという判断には結びつきません

それは泥棒が入ってくるかもしれないという認識の世界と、昼間から鍵をかけて暮ら

している奴は臆病者といわれる世界が、まったく異なる次元に存在するからです

たびたび引用しているフランスの精神分析家ジャック・ラカンは人の認識を三つの世

界、「象徴界」、「想像界」、「現実界」に分けて考えるモデルを提唱しました

何が「象徴界」で、何が「想像界」なのか、相互の関係はどうなっているのかについて

は説明すると長くなりますし、本が数冊書けるほどの分量になるので省略します

要するに人が理解する「現実」にはさまざまに異なる次元があり、かみ合わない場合

がしばしば見られるということ、が大事なのです

学校で何か問題が起きた際、教師と生徒と保護者の間では認識に大きな違いが生じ、

話はかみ合わないケースを思い浮かべてもらえれば理解しやすいのではないでしょう



保護者を問題を「想像界」の次元で理解し語ろうとするのに対し、教師は「象徴界」の

次元で理解し語るからです。他方で生徒は「現実界」の次元で事態を眺めていたりし

ます

あるいは政治問題にしても、政治家が語る次元とメディアが報道する次元、国民が受

け止める次元は三者三様に異なっており、話がかみ合わずにちぐはぐになる場合が

しばしばあります

己の主張を大声で叫んだところで、「朝まで生テレビ」状態に陥りフラストレーションが

たまるだけです

ここは互いの意見のずれ、食い違いににこそ注目すべきでしょう

ちなみにラカンの言う「象徴界」、「想像界」、「現実界」は思考のためのモデルです。

人間の認識する世界が三つだと断定しているわけではありません。四つでも五つでも

よいのです(ただ、相互の関係が複雑になるだけですが)

最先端の宇宙論では世界は九次元の世界として成立しているそうです。自分にはま

ったイメージができません

人間は三次元の世界に生きているので四次元や五次元の世界は見えないのだ、と

いう話です