「春は馬車に乗って」

春になると思い出すのが横光利一の小説「春は馬車に乗って」です

作品そのものはウェッブサイトで読めます
http://www.japanpen.or.jp/e-bungeikan/novel/yokomitsuriichi.html

川端康成らと親交を結び、新感覚派の旗手として斬新な小説を発表した横光利一

ですが、いまではすっかり忘れられた作家でしょうか

中学に入学して図書館にあった「日本文学全集」や「世界文学全集」を読みふけって

いたとき、横光の作品と出会いました

当時は文学全集がブームで、各出版社が独自の企画で文学全集を出していました

信じられないかもしれませんが、個人でこうした数十冊にもなる文学全集を買い込む

のも珍しくない時代でした

また、作家個人の全集の刊行も相次いでおり、宣伝も盛んだったと記憶しています

さて、話を戻します

今回ブログに書くにあたり久しぶりに「春は馬車に乗って」を読み返しました

さすがに文体は古めかしい感じがしますが、それでも夫婦の会話のテンポなど現代

のテレビドラマと大差なく、むしろスピード感があります

テレビドラマならベッドの脇の花瓶の花を長々と映すなどし、さらに映像に感傷的な

音楽を載せて5分くらいひっぱりそうな気がします

作品中で読まれる聖書の一節は、最初に登場するのが旧約聖書の詩篇第102節

で、後に登場するのは同じく詩篇第38節です

「エホバよ、わが祈りを聴きたまえ
願わくはわが号呼の声の御前に至らんことを
わが窮苦の日聖顔を蔽いたもうなかれ
汝の耳を我に傾け、我が呼ぶ日にすみやかに我に答えたまえ
わがもろもろの日は煙のごとく消え、わが骨は薪のごとく焚かるるなり
わが心は草のごとく撃たれて萎れたり・・・・(以下、略)」

やはり文語体の聖書は味わい深いものがあります。自分はキリスト教徒ではありま

せんが、やはり現在の「安っぽいセールストーク」みたいな口語体の聖書はやめる

できでしょう

人と出会い、ともに過ごす時間というのは、やがて来る別れの瞬間のための準備な

のかもしれません

春の日やあの世この世と馬車を駆り 中村苑子

機械・春は馬車に乗って (新潮文庫)
新潮社
横光 利一

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