なぜ人を殺してはいけないか 4

「なぜ人を殺してはいけないか」との問いに対し、「人を殺す行為は悪いことであり、許されない。これは自明の真実だ」と答える立場があります
確かに殺人を禁じるための法律、社会制度を作り、そのように教育することで我々の住む社会が成り立っていると考えられます
他方で、「人を殺す理由」あるいは「闘う理由」について執拗に問うのが日本のアニメーションや漫画です
初代のガンダムやエヴァンゲリオンのように、否応もなしに戦闘に巻き込まれてしまった少年少女が「なぜ闘わなければならないのか」とひたすら自問自答を繰り返す物語があります
多くの場合、「大切なもの(人)を守るためには闘わなければならないことがある」との答えにたどりつき、そのためには「もっと強くなる」と決意する展開が用意されています
アメリカンコミックやハリウッド映画の場合は勧善懲悪が基本です(もちろん例外も多数あるのでしょうが)
最初から正義のヒーローがいて、悪玉が配置されている構図になります。だから主人公が「なぜ闘わなければならないのか」と葛藤する場面はありません。そんな葛藤は最初から無用であり、観客や読者にはアピールできない要素ですから登場しません
正義のヒーローがカッコよく悪党をやっつけ、観客や読者にカタルシスをもたらせばよいわけです
日本の漫画やアニメーションが「闘う理由」を巡って延々と葛藤を続けるのはなぜでしょうか
これにもさまざまな考え・意見があるのですが、根底には戦争を悪だと教えてきた教育に原因があると自分は考えます
もちろん平和の尊さを否定はしませんし、無用な戦争は避けるべきだとする意見にも賛同する立場ですが
物語としては主人公たちを否応なしにギリギリの状況に追い詰め、「生か、死か」という選択を迫る展開に持ち込むことで読者や視聴者を惹きつけるわけです
そこで「平和が大切。戦争反対」と唱えたなら物語が成り立ちません
戦争は悪だと学校で教えられてきた戦後育ちの日本人に、ギリギリの状況で「闘って生きのびるか、それとも黙って殺されるか」という選択を突きつけ、読者や視聴者をハラハラ、ドキドキさせる必要があるのです
そうして葛藤の末に、「大切なもの(人)を守るためには闘わなければならないこともある」と主人公に決意させるわけです
作者の側も視聴者・読者の側もそれで納得したわけではありませんが、主人公たちが「闘って生き延びる」選択をしない限り、物語は終わってしまいます
漫画やアニメーションの世界の話ではありますが、しかし、「人を殺すのはよくないが、大切なものを守るためにはときとしては闘わなければならないし、その結果として相手の命を奪う場合もありえる」との考えを若者に植えつけた可能性はあります
それを道徳的な退廃、なげかわしい現象と見るのか、論理的な発展ととらえるかは見方が分かれます
「人を殺す行為は悪いことであり、許されない。これは自明の真実であり、疑う余地などない」という答えが説得力を持たなくなってきたからこそ、論争が広がり混迷したのだと考えます