島根女子大生遺棄事件を考える25 むき出しの欲望

旧年中は当ブログにアクセスいただき、誠にありがとうございました
3月に始めた拙いブログですが、2万5千件を超えるアクセスがあり、正直おどろきました
個人的な関心事を取り上げるブログですから、世間一般の関心からかけ離れたテーマが多いのですが・・・
本年も時間と健康状態が許す限り書き綴っていこうと思いますので、ときどき見に来ていただけでば幸いです
では新年早々ではありますが、島根県女子大生遺棄事件の話から始めます
過去2回にわたり、犯罪心理学者の見解について触れてきました
今回は「自己顕示欲」の続きを考えます
自己顕示欲とは言い換えると、己の欲望をむき出しにして第三者の目にさらす行為を指します
それは夜道を歩く女性の前に裸で現れる変態男のようなものでしょうか?
12月29日の夜から考え続けていたのですが(何を考えているのやら)、今回の事件と露出狂の変態行為との間には大きな違いがあります
露出狂の場合、一種の強迫(手を洗わなければならない、ガスの元栓を締めたか確認しなければならないといった強迫)に駆り立てられており、自分の裸身や恥部を女性の目の前にさらさなければならない、との思いから変態行為に走ります
なぜそうしなければならないのか、露出という行為の意味を本人自身よくわからないまま、衝動に駆られる場合もありますし、女性の驚く反応や蔑みのまなざしを浴びることで得られる快感を味わいたいと自覚している場合もあるようです
これは己の欲望をむき出しの形で第三者にさらし、その反応によって何かを得ようと希求するがゆえの行動です
つまりマゾヒストはマゾヒストであることで快楽が得られるわけではなく、自分のマゾヒストたる部分(恥部)を第三者(サディスト)の前にさらけ出さなければ快楽が得られないためです
繰り返し述べていますが、フロイトは「すべてのサディストはマゾヒストである」と看破しており、人はサディストであるとともにマゾヒストでもあります
ただ、快楽を追及するのはその人独自の方法、手順があり(強迫神経症患者が個々にさまざまな強迫行為を執拗に繰り返すように)、露出によって快楽を得ようとする者は独自のシチュエーションで、独自のスタイルで己の恥部をさらさないと満足できないのだ、と考えるのです
では、今回の事件はどうなのでしょうか
切断した遺体を遺棄するのは己の行為を誇示し、自分をアピールするためだと解釈する人もいますし、それを劇場型犯罪だと呼ぶ人もいます
「本当にそうであるなら、なぜもっと人目につく場所に遺体を置かなかったのか」との疑問については前回触れました
つまり、第三者の目に遺体をさらす行為は犯人の本来も目的からは外れたものであり、主たるものではないと考えられるのです
誰もいない密室で遺体を存分に弄び解体することこそが目的であり、そこに犯行の意味があったのでしょう
もちろん、遺棄された遺体の一部が発見され、世間が驚き騒ぐ反応を期待していたことに間違いはありませんが、世間を騒がせたくてやった犯行ではありません
発見された遺体の胴体部分は内臓も性器も切り抜かれ、空洞であったと報じられています
ラカンならばそのぽっかり空いた空洞こそが、「犯人の目指したものだ」と指摘するのかもしれません。別の人ならその空洞こそ、「犯人の心の闇」だと言うでしょう
俗流の精神分析理論からすれば、女性性器への攻撃は母性の毀損が狙い→母親への恨みや敵意→犯人は母親と死別しているか、離婚によって母親と離れて暮らしている人物、などなどのトンデモ推理を展開するところでしょうが(結果的にそうであるとしても飛躍しすぎの解釈ですし、こじつけです)
この事件についてはブログで取り上げた数も増えましたので、直近のリンクだけ掲げておきます

島根女子大生遺棄事件を考える21 陰謀説・サイコ説
島根女子大生遺棄事件を考える22 女性犯人説
島根女子大生遺棄事件を考える23 犯罪心理学者の見解
島根女子大生遺棄事件を考える24 犯人の自己顕示欲

上記の記事より過去のものは以下のリンクからたどってください



ジャック・ラカン 精神分析の四基本概念
岩波書店
ジャック ラカン

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