耳かき店員殺人を考える1 死刑を回避して無期懲役

いわゆる耳かき店員殺人事件で2人の女性を殺害した林貢二被告に対し、無期懲役の判決が下されました


前にも述べましたがこの事件は、「裁判員に死刑の判断が下せるかどうか」が焦点のような取り上げ方をしているメディアも多くあります

耳かき店員ら2人殺害・死刑判断を問われた裁判員

ですが死刑の是非とこの事件の意味は別のところにあり、死刑制度の存続か廃止かという二者択一の立場から個別の事件をあれこれ論じるのは話をややこしくするだけであり、結果として事件の意味を読み誤る結果を招くでしょう(死刑制度の是非を論じるのが当ブログの目的ではありませんので、そちらの話は割愛します)
では判決で認定された「事実」と事件の意味を考えてみましょう
判決内容についてはいつものように産経新聞の法廷ライブから引用します


判決文では林被告が、「理性では客と従業員との関係とわかりつつも、被害者美保さんに対する好意を募らせ、恋愛に近い感情を抱くようになっていた」と認定しています
しかし、被告人質問で林被告は美保さんに対する恋愛感情を否定しています
判決文で、「被告人は事件を起こしたことを後悔し、被告人なりに反省の態度を示している。もっとも、被告人が事実と向き合い、本当の意味で反省を深めているとは認められない」と矛盾した表記があります
反省の態度を示しているが反省を深めているとは認められない、という変な表現になっているのは、被告人の反省をどう受け止めるかで裁判官や裁判員との間で議論があり、議論がきちんと収斂されないまま判決を下すに至ったためでしょう
さらに続いて判決文は、「被告人は『恋愛感情』という言葉の定義にこだわり、『恋愛感情は持っていなかった』と述べるに留まっている。そのようなことにこだわるのでは、事件を真剣に振り返り、反省していることにはならない」と被告を厳しく批判する表現が盛り込まれています
ですが、無期懲役という判決が出た以上、判決文で被告人をあれこれ批判して何が得られるのかは疑問です。判決文のこうした能書きは、無期懲役という結果を被告や被害者遺族に納得させるための口上にすぎないのかもしれません
法廷ライブの記事を読んだ限り、死刑を回避し無期懲役の判決を言い渡すため判決文に裁判官があれこれ屁理屈を盛り込む格好になった、と感じます
裁判官は最初から死刑を回避するつもりだったのでしょう
そのため事件に計画性はなく偶発的な犯行と強引に決めつけています。この事件が偶発的な犯行だというなら、計画的な犯行などこの世には存在しないでしょう
殺害するための凶器を予め準備して家へ押し入る行為を偶発的な犯行と呼ぶのですから、呆れた裁判官です。これなら殺害目的で爆弾を仕掛けても、計画性のない偶発的な犯行になったしまいます
家の中にあった物をたまたま使用して犯行に及んだ場合は偶発的と言えますが
最後に、林被告が被害者女性に「恋愛感情は抱いていなかった」と主張している点について書きます
被告の行動はどう考えても恋愛感情を拒絶されたがゆえの凶行です
しかし被告はそれを頑として認めようとはしません。あたかもストーカー行為を繰り返す人間が、「自分はストーカーではない」と言い張るように
これは自分が女性から愛されていなかった、想われていなかったという事実を受け入れがたいがため、「自分は彼女を愛してなどいなかった」と事実を置き換え、自己愛が傷つくのを回避しようとするものです
林被告が殺害行為については認めていますが、出勤する被害者を駅で待ち伏せするストーカー行為についても否定しており、実に頑なです
意識レベルで「自分はストーカーではない。自分は彼女を愛してなどいなかった」とひたすら自己暗示をかけるように繰り返し、自分自身に言い聞かせているのでしょう
これは、「自分は悪くない。あの女がすべて悪いのだ」と言い張るのと大差ありません
林被告は公判で被害者に謝罪めいた発言をしていますが、彼の精神状態は自分の行動や責任からはひたすら目を背け、他罰的な理屈でごまかそうとしているままだと指摘できます

(関連記事)
耳かき店員殺人を考える2 犯行の凶悪さ
耳かき店員殺人を考える3 孤独な四十男
裁判員制度で初の死刑求刑
裁判員制度への宗教者の葛藤
死刑場の公開 死刑制度の廃止を要求するメディア
死刑囚の妻になりたがる女性
死刑囚に感情移入する愚かさ
毒入りカレー事件被告を悲劇のヒロインにする「週刊金曜日」
歌山カレー事件林真須美を支援する人たち



裁判員の教科書
ミネルヴァ書房
橋爪大三郎

ユーザレビュー:
裁判員制度のもとで裁 ...
裁判員制度と不安な参 ...
amazon.co.jpで買う
Amazonアソシエイト by 裁判員の教科書 の詳しい情報を見る / ウェブリブログ商品ポータル