耳かき店員殺人を考える2 犯行の凶悪さ

耳かき店員殺人について考えるシリーズを続けます
前回は林被告が被告人質問で、「(被害者に)恋愛感情はなかった」と否定した意味について考察を述べました
この「恋愛感情はなかった」という否定が、「自分は彼女を愛してなどいなかった」と事実を置き換えようとする意図によるものだと指摘しました。現実には彼女に思い入れさんざん貢いだにも関わらずフラれてしまったのですが、それを認めたくないがゆえに「自分は彼女を愛してなどいなかった」との主張を展開しているのです
彼女にフラれた事実を隠蔽し、自分が傷つくのを防ごうとする手段です
「恋愛感情」を「欲望」に置き換えて考えれば、林被告の行為は自らの欲望を否定しようとする行為です。己の欲望から顔を背け、事実を否定する態度が「反省している」と言えるのでしょうか?
裁判官は林被告の精神的な力動を完全に読み誤っていると言うほかありません
判決はこの林被告の反省をきわめてあやふやな形で、しぶしぶ認めるという奇妙なものになっています
どう見ても反省しているとは言えない状態にあるわけですが、反省していると認めなければ死刑になってしまいます。その死刑判決を回避するため、強引に裁判官は林被告が本人なりに反省しているかのような文言を判決文に加えたのでしょう
と、ここまでが前回の話です
判決文では最後に、「林被告には、この裁判を契機に、江尻さんと鈴木さんの無念さや遺族の思いを真剣に受け止め、人生の最後の瞬間まで、なぜ事件を起こしてしまったのか、自分の考え方や行動のどこに問題があったのかについて、常にそれを意識し続け、苦しみながら考え抜いて、内省を深めていくことを期待すべきではないかとの結論に至った」と書いています


期待するのは勝手ですが、自らの欲望と真正面から向きあおうとはしない林被告にそのような期待を託しても無駄でしょう
林被告にこの先内省の深まりを期待するというのは現時点で内省の深まりが認められないと判断しているのと同じであり、判決は疑問だらけです
被害者の美保さんと同居していた祖母の鈴木芳江はナイフで頚部を16回も刺され絶命しているのですが、これは林被告の執拗で残忍な犯行を証明するものです。しかし裁判官は鈴木さん殺害は偶発的な出来事であると片付けてしまい、むしろ林被告の犯行に計画性がなかった証であるとまで述べています
高齢の女性の頚部を16回も刺すような非道、残虐な犯行を「偶発的」と言って片付けてしまう裁判官の感覚は不可解です(1度2度頚部を刺されれば十分に致命傷であり、鈴木さんは抵抗すらできない状態だったはずです。その女性に対しさらに10回以上も頚部を刺しているのですから、例を見ないほどの残虐な犯行と言うべきです。おそらく絶命した鈴木さんをなおもナイフで執拗に刺し続けた、と見られます)
ここは犯行の形状、経緯から林被告の執念深く凶悪な本性を読み取るべきです。裁判官は死刑を回避したいがため、この鈴木さん殺害の事実を矮小化し、大した問題ではないかのように扱っているのでしょう
繰り返しになりますが、この判決文は被告の精神的な力動を無視し、犯行を矮小化しようとする裁判官の作文であり、矛盾と疑問に溢れています
死刑を回避して無期懲役刑にするため事実を歪めた、と言った方が適切でしょう
ナイフで1回だけ刺し失血死させた、という犯行ではないのです

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