北川景子主演「LADY~最後の犯罪プロファイル~」の違和感

北川景子主演のサスペンスドラマ「LADY~最後の犯罪プロファイル~」は、辛い評価が多いようです。ブログや個人サイトを見て回りましたが、「アメリカの心理捜査ドラマ(「クリミナル・マインド」)の劣化コピー」だと指摘する声や、「ありがちな設定のため先が読めてしまう」と批判する意見が見られます
同じ時期に松下奈緒主演の刑事ドラマ「CONTROL 犯罪心理捜査」が放映され、かぶってしまったのも「同じようなドラマが・・・」と言われる所以でしょう
もちろん批判ばかりではなく、見ごたえのあるドラマと賞賛する声もあります
賞賛する意見の代表として、熱烈な北川景子ファンのブログを紹介します

北川景子を応援する

ブログのタイトルからして、その熱意が溢れています
北川景子の熱演に異論はありませんが、ドラマの設定が役者を生かしきれていない感は否めません
たとえばドラマの中で北川景子演じる精神科医香月翔子は、「殺人犯マニアであり、『彼らの本当の気持ちをわかってあげたい』と思いプロファイラーになった」との設定です
しかし、「彼らの本当の気持を分かってあげたい」=「彼らの本当の気持を理解できるのは私だけ」であり、それは思い上がりでしかありません
ドラマのプロデューサーや脚本家が頭をひねって役の設定をしたのでしょうが、いかにも素人くさい発想であり、「なんだかなぁ」と感じてしまいます
心理臨床の場では、こうした思い上がりや慢心、うぬぼれは禁物だと徹底して教え込まれます(そうでない現場もあるようですが)
プロファイラーは「犯人の気持ちを分かってあげる」のが仕事ではなく、犯人の人格や行動様式、思考について仮説を立てるのが仕事です。「気持ちを分かってあげたい」にドラマの制作陣が執着するのは、そこに月並みな刑事ドラマとは違うヒューマンドラマを目指そうとの意気込みが現れているからだと思われるのですが・・・
前にも書きましたが、フロイトは弟子たちが刑務所に出向いて犯罪者の精神分析をしているのを咎め、「無駄だからやめなさい」と忠告しています
その背景にある考えがどのようなものであったかは不明ですが、フロイトはおそらく犯罪者には治療動機がないから精神分析にはなじまない、と感じていたと推測されます
強盗や殺人、レイプを繰り返してもそれを反省せず、自分の内奥に抱える問題と向き合おうとしない人間は精神分析の対象にはなりません
あるいは、精神分析家ジャック・ラカンは「分析家はゼロである(空無の記号である)」と述べています
精神分析家は己の姿を消し去り、何でもない存在と化すことでこそ、患者の内面に抱える問題を引き出せるのであり、「(患者や犯罪者の気持ちを)分かってあげたい」との思いすら邪魔でしかないと考えます
これは犯罪者と向き合う=対決する、という姿勢とは大きく異なっています
お説教したり、説得する姿勢とも異なります
だからこそ、初回の放送で香月翔子が犯人と直接対峙し、犯人しか知りえないであろう過去のトラウマを呼び覚ます語りかけをするシーンに違和感を覚えました(ドラマの製作者側にすれば、このシーンこそ最大の見せ場だったのですが)
もちろん心理臨床の場はドラマではありませんから、忠実に再現したところで面白くはありませんし、感動もありません。ドラマは見せる工夫が必要ですし、視聴者に感動やカタルシスを与える必要があり、対比するのは間違いですが

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