作家北杜夫の訃報に接して

歌人斎藤茂吉の息子で小説家であった北杜夫が亡くなったと各メディアが報じています
北杜夫は晩年、エッセイ本の出版はありましたがほとんど小説を発表していませんので、自分としてはすでに過去の作家、終わった作家という見方をしていました


大河小説「楡家(にれけ)の人びと」やユーモアに満ちたエッセー「どくとるマンボウ」シリーズで知られる作家の北杜夫(きた・もりお、本名=斎藤宗吉=さいとう・そうきち)氏が24日午前6時2分、腸閉塞のため東京都内の病院で死去した。84歳だった。告別式は近親者のみで行う。喪主は妻、喜美子さん。
東京生まれ。父は歌人の斎藤茂吉。旧制松本高校(現信州大)時代にトーマス・マンに熱中、東北大学医学部在学中に同人誌「文芸首都」の同人となる。1958年から翌年にかけて船医として水産庁調査船に乗船。その経験に基づいたエッセー「どくとるマンボウ航海記」がベストセラーとなり、一躍人気作家となった。
60年、第2次世界大戦のドイツを舞台に、精神病患者をガス室に送り込もうとするナチスの作戦に抵抗する医師たちの姿を描いた「夜と霧の隅で」で芥川賞を受賞。64年には精神科医だった祖父・紀一に始まる斎藤家3代をモデルとした代表作「楡家の人びと」を発表、三島由紀夫に激賞されるなど高く評価された。
作風は幅広く、「船乗りクプクプの冒険」「さびしい王様」などの児童文学も話題になった。ほかの作品に、日系ブラジル移民の苦闘を描いた「輝ける碧(あお)き空の下で」や松本高時代を振り返った「どくとるマンボウ青春記」がある。91年の「青年茂吉」に始まる父・茂吉の評伝4部作では大仏次郎賞を受賞している。96年日本芸術院会員。
40歳の頃から躁鬱(そううつ)病にかかり、その症状をエッセーなどでユーモラスに描いた。
兄の故斎藤茂太さんは精神科医でエッセイスト、長女の斎藤由香さんもエッセイスト。
(日本経済新聞の記事から引用)


「どくとるマンボウ航海記」から読み始めて、「夜と霧の隅で」、「羽蟻のいる丘」、「遥かな国遠い国」、「あくびノオト」、「どくとるマンボウ昆虫記」、「楡家の人びと」、「どくとるマンボウ青春記」などを読んだのですが、1975年に刊行された「木精」を最後に北杜夫の小説やエッセイには手をつけていません
したがって20年近くも、北杜夫は自分の関心外にあったと言えます
1975年以降も「マンボウ」とタイトルを付けたエッセイが数多く出版されているのですが、それを読む気になれなかったのはなぜなのか、自分でも分かりません
おそらくは北杜夫の書く小説が自伝的要素の強いものばかりで、エッセイで書かれた私事・回想とも重複する内容が多かったため、同じネタの繰り返しが目につき嫌気がさしたからではないか、と推察されます
さて、若い人達に何か北杜夫の小説を1冊薦めるとすれば何がよいのか、と考えてみました
初期の作品ですが、芥川賞を受賞した「夜と霧の隅で」を挙げておきます
上でも書いたように北杜夫の小説の多くは、斎藤茂吉ら家族と病院を舞台にした自伝的要素の強いものが占めており、「夜と霧の隅で」はそんな作風から離れた異色作と言うべき作品です
北杜夫が自伝風の小説に走らず、まったく別の方向へ進む可能性もあったのではないかという可能性を感じられる小説です
しかし、歌人斎藤茂吉の息子として生まれた北杜夫は、結局のところ父や家族についての物語を語らずにはいられなかったのでしょう
心の病を抱えた人が自分の過去を繰り返し語ろうとしたり、あるいは長大な回想録を書く例は珍しくありません
が、多くの場合は辻褄が合わなかったり、父親や母親の人物像が途中で様変わりしているなど、奇妙で一貫性の欠けた話になりがちです
ですから自分の生い立ちを回想し、それを一片の文学作品に昇華させるには才能と論理が必要であり、それを持ち合わせた者だけが作家たりえるのでしょう
文学史上、第三の新人と呼ばれた作家たちも北杜夫の死去により、阿川弘之や三浦朱門、曽野綾子を残すだけになりました

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