「3・11は9・11と似ている」とする主張の危うさ

個人のブログを槍玉にあげるようなやり方は自分の好むところではありませんが、1つの社会現象を論じるための材料として敢えて取り上げたいと思います
社会現象とは、「3・11と9・11は似ている」と考え、主張する人たちが少数ながら確かに存在している事象を指します


3.11後の日本の状況は、9.11後のアメリカの状況と酷似している~堤未果『社会の真実の見つけかた』読後の感想


そもそも3・11とか9・11という表記の仕方に疑問を感じますし、そんな表記を平気で使っている人の感覚を自分は疑います
9・11と書けばそれで何かを言い表した気になっているのでしょうが、実に大雑把であり、不適切な方法だと自分は思います
そして3・11以降の日本の状況と、9・11以降のアメリカの状況が酷似していると決め付ける見方も実に大雑把です。幾つかの類似点だけ限定列挙し、「だから似ている」と断定するのは乱暴であり、非論理的です
類似しない社会状況が類似点以上に多く存在するのを無視している、と指摘しなければなりません
そもそもテロ攻撃による犯罪と地震や津波という自然災害を同列に並べ、「似ている」と決め付けたところで、納得できる人がどれだけいるのでしょうか?
日本で起きた東北震災は地震と津波のほか、原子力発電所事故も絡んで実に複雑な様相を呈しており、「テロを許すな」との方向で国民の頭が沸騰したアメリカの状況とどこが似ているのか、説明してもらいたいところです
単なる語呂合わせのように、「3・11と9・11は似ている」と言いたいだけではないか、とさえ感じられます
もちろんブログ主の言わんとする、政府の流す情報を盲信せず、メディアの報道に踊らされず、インターネットの情報に煽られることなく、自分で検証し吟味し、判断することが重要だとの指摘には賛同するわけですが
また、以前にも取り上げたのですが、「9・11以降、文学は可能か?」などとアホな自問自答繰り広げている文学者の思考もどうかしている、と思わざるを得ません
本人たちはその鋭いセンスで社会の変化を嗅ぎつけ、「既存の文学表現は死んだ。時代の変化に対応するには新たな文学表現を模索しなければならない」とでも言いたいのでしょう
往年の歌人は大きな戦乱、災害の後にも歌を詠んでいました。それが歌心というものです。テロリストの起こした事件ごときで自分のアイデンティティが揺らいでしまうような文学者など、所詮はその程度のものでしかないと書いておきます
大きな事件、災害の衝撃を受け止め、それを文学表現に昇華させるところに作家の価値があるわけで、それができないのなら作家を止めるべきです

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