日露戦争 バルチック艦隊司令官のその後が明かされる

司馬遼太郎の小説「坂の上の雲」でも、バルチック艦隊を迎撃する対馬海峡沖の海戦が1つのクライマックスとなっているのですが、日露戦争後のロシアの国内情勢についてはあまり詳しい言及がありません
日露戦争の終結を巡る講和会議については吉村昭の小説「ポーツマスの旗」で取り上げられており、日本もロシアも国力が疲弊し、戦争を続行する余裕がなかった状況が言及されています
さて、産経新聞の記事で「日本海海戦で敗れたバルチック艦隊のロジェストウェンスキー司令長官がその後、ロシアでどう処遇されたのかについて触れています

日露戦争で負傷、バルチック艦隊司令長官 世論に追い込まれ退役

1905年の日本海海戦で主力艦21隻が撃沈されるという大敗北を喫したロジェストウェンスキー司令長官(一般にはロジェストヴェンスキーと表記されます)は、軍法会議でも直接責任は問われていません。むしろ旅順港に立て篭もったまま戦わずして降服した第3太平洋艦隊のネボガトフ司令長官の方が槍玉に挙げられていたのが分かります
しかし、世論の厳しい批判を受けてロジェストウェンスキーは自ら退役を願いで、1909年元日に失意のうち心臓麻痺で亡くなったと明かされています
が、元日に心臓麻痺というところがいかにも不自然であり、覚悟の自殺だった可能性がうかがえます
ロジェストウェンスキーは帝政ロシアの軍高官には珍しく貴族階級出身ではなく、父親は軍医でした。貴族の子弟が多い海軍幼年学校に入学し、士官学校を経て叩き上げで艦隊司令長官、海軍参謀総長にまで昇進したのですから、並外れて優秀な人物だったのでしょう。通常なら門閥貴族の有力者が就く地位です
海軍トップとして皇帝ニコライ2世の信頼も厚かったようです
「坂の上の雲」でロジェストウェンスキーは無能な指揮官として描かれているわけですが、誰が艦隊を指揮していたとしてもバルチック艦隊の極東への遠征は成功する可能性の低い暴挙だったと言えます
このあたりの事情はアレクセイ・シルイッチ・ノビコフ プリボイ著、上脇進訳『ツシマ バルチック艦隊遠征』(原書房)に詳しく描かれていますので、興味のある方は一読ください
「坂の上の雲」と「ツシマ」を併せて読むと、互いの補完し合って当時の状況がいろいろと見えてきます

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