恩赦を巡る誤解 刑罰が軽減される?

天皇陛下の譲位に伴い、恩赦が行われるのは確実なのですが、恩赦の態様について誤解した発現が一部のSNSなどに見受けられます
刑務所に服役している凶悪犯まで恩赦の対象になり、早々と仮釈放されるかのような話を事実であるかのように語るものがそれです
しかもツイッターなどでは話を検証することもなく、そのまま受け売りする人がいるのは困ったものです
オウム真理教で死刑判決が確定した死刑囚の中にも、恩赦の申請をしようと準備中だった、と報じられた者がいます。が、組織的に大量無差別殺人を企図した死刑囚が恩赦の対象になるかは別の話です
昭和天皇が崩御(1989年)した際の「大喪の恩赦」、有罪判決を受けた経歴が消滅する「大赦」が約2万8600人、有罪確定で失ったり停止されたりした資格を回復する「復権」は約1014万人だとされます
主たるものは選挙違反事件で有罪判決を受けて、公民権を停止された人たちの復権(公民権の回復)です
また、駐車違反など交通違反による処罰記録の抹消も幅広く行われました
そのような「復権」や記録抹消が何の役に立つのか、と訝る人もいると思います
しかし、叙位や叙勲という栄典の授与に際し、こうした処罰の記録がある人は除外されるため、恩赦による記録の抹消は重要なのです
例えば市議会議員を長年務め、議長までこなした人物は叙勲の対象ですが、1回の選挙違反で有罪判決を受けた事実があると、除外されます。あるいは駐車違反で罰金をくらった記録があっても叙勲の対象から漏れるのです
こうした人たちを救済する手段として「恩赦」は重要です(政治的な悪用、との批判もありますが)
もちろん、過去に「恩赦」によって刑罰が軽減された事例は存在し、それが都市伝説のように「死刑囚が仮釈放され、娑婆に出てきた」と巷で噂されるようになった可能性はあります


実は過去に「死刑囚」がこうした恩赦の対象になったことがある。1993年のケースではなかったが、恩赦によって無期懲役に減刑され、仮釈放によって“生還”した死刑囚は確かに存在するのだ。
「恩赦には明文化された基準がなく、対象は時代とともに変化してきました。ひとつひとつの事例が詳細に公開されないのではっきりしないところが多いのですが、恩赦によって死刑から無期懲役に減刑になった死刑囚の数は14~24人と言われています」(斎藤氏)
終戦直後の1946年1月、和歌山県で一家8人が惨殺される事件が起きた。犯人は被害者一家の主人の弟であるK(当時26歳)。事件後、逃亡を図るも2年後、警察に自首して逮捕される。事件の裁判はわずか40日で結審した。Kには死刑判決が下った。
だが、4年後に思わぬ事態が訪れる。52年のサンフランシスコ平和条約の締結を祝して実施された減刑令によって、Kは無期懲役に減刑となったのだ。
「当時の恩赦では、『強盗殺人』や『放火殺人』のように2つ以上の刑罰が科せられた死刑囚は対象外でしたが、Kは犯行時に兄の自宅から金品を奪っておらず、強盗罪は科刑されていなかった。そこが運命の分かれ目となりました。Kは事件から22年後の1968年に仮釈放となり、48歳で社会復帰しました。その後の消息は不明で、生きていれば今年98歳になります」(斎藤氏)
(週刊ポスト2018年3月23・30日号の記事から引用)


皇室の慶事を祝う行事の一環として行われる恩赦が、被害者感情を無視するものであってならず、強盗殺人犯を減刑するような扱いは現在の風潮と相容れません
上記の例は、戦後のあくまで特殊なケースであって、どの死刑囚にも当てはまる前例ではないと理解する必要があります(サンフランシスコ講和条約締結を祝した恩赦では12名の死刑囚が恩赦による無期懲役に減刑されました)
仮にオウム真理教事件の死刑囚が恩赦を申請しても、法務省は対象から除外したに違いありません

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