中国は村上春樹をどう読んだのか

馮英華の論文「中国における村上春樹文学の受容」を紹介します。中国では村上春樹の作品のほとんどが翻訳・出版されており、広く読者を獲得するだけでなく、研究も盛んだと馮英華は書いています
どのような読み方をするのも自由だと言いたいところですが、思想や言論を厳しく統制する中国にあっては、作品を自由に解釈するなどあり得ない話なのでしょう。それがこの論文を紹介する狙いです
さて、論文の前半は中国における村上春樹作品の翻訳・出版事情の説明なので、読み飛ばして構いません
中盤から馮英華は「ねじまき鳥のクロニクル」を中心に据えて語り始め、村上春樹が日本の軍国主義を糾弾している点を挙げ、高く評価します
論文の中で、村上春樹作品を多く翻訳してきた林小華が書いた「総序 村上春樹の小説の世界と芸術の魅力」を引用し、以下のように「ねじまき鳥クロニクル」の優れた内容を強調しています。その上で、「ノルウェイの森」等の恋愛小説しか評価できない読者をプチブル的だとこき下ろしており、いかにも共産主義国の批評、という内容です
ちなみに以下の論文は千葉大学の人文社会科学研究紀要に掲載されたもので、著者は千葉大学の大学院にでも留学していたのでしょう


中国における村上春樹文学の受容
(前略)
【林小華の「総序 村上春樹の小説の世界と芸術の魅力」からの引用】
もしもっとも敬服する村上作品がどれかと聞かれたら、私はまったくためらわずに『ねじまき鳥クロニクル』と答える。(中略)もっと重要なのは、この作品の中で、村上は完全に寂しくて心暖まる庭園を出て、変幻する広い戦場に突入し、孤独な「プチブル」や都市隠遁者から孤高の闘士になったことである。
暴力はこの長編小説の中心点である。二つの線がこの中心点で交差している。縦線は歴史線(時間軸)、あるいは年代記(クロニクル)であり、その主軸はノモンハン戦争である。横線は現実線、現在進行中の時間であり、その主軸は一人の男が行方不明の妻をあちこち探し回ることである。二つの線とも暴力に満ちている。あるいは、暴力という中心点の延長ともいえる。暴力を充分に表現する際、二つのラインは同時に同じ標的を射る:“Violence,the key to Japan”(暴力、日本を開くための鍵)!これは村上が語った言葉であり、前に引用したジェイ・ルービンの『ハルキ・ムラカミと言葉の音楽』からの引用である。間違いなくそれはこの偉大なる作品のテーマである。

この序文で、林少華は、読者に『ねじまき鳥クロニクル』におけるクロニクルや暴力の意味についてのヒントを与え、創作時間が四年半もかかったこの作品の重要さを紹介している。具体的な販売部数は把握できないが、『ノルウェイの森』と比べ、中国では『ねじまき鳥クロニクル』の売れ行きがそれほど多くなかったのは周知の事実である。中国の読者がこの難解な作品を解読するのに助けになるようにと、林少華は力を入れたと言える。
暴力についてのみならず、林少華は、「闘士としての村上春樹−−東アジアで充分に重要視されていない村上文学の東アジアの視点」において、東アジアの視点から、戦う村上春樹の面を析出し、次のように指摘している。

村上文学の中で最も東アジアに関わっている歴史的要素が、東アジアではこれに正比例する反響を引き起こしているわけではない点は興味深い。(下線は馮英華、以下同 様)
そして最後に、村上が描く暴力について、次のように結論づけている。つまり、村上春樹が追及し非難する対象は、戦争という形式で現れる「国家暴力」に限定されず、個々の人の内部に潜む残忍さや暴力をも含め、その結果外部から内部へと深い反省の念が芽生えてくるということを言っているのだ。そして、これはある種の大きな愛情から生まれるものだと考えてもかまわないだろう。この日本人作家は、恐らく次のようなことを考えているのだ−−このような反省の念を持ってこそ、日本は真の意味でアジアと和解ができ、アジア全体が調和するし、日本の明るい未来が望めるのだ。
この言い方からわかるように、林少華は村上春樹の翻訳作業を通じて、村上文学に潜んでいる暴力や戦争の問題を真剣に考えており、社会関心に富んだ村上文学像を中国の読者に提示しているのである。
(中略)
村上文学におけるセンチメンタルな雰囲気、孤独感や喪失感に共鳴する若い読者が少なくない。彼らは、高度資本主義社会のライフスタイルに憧れており、村上文学の社会性を重視するのではなく、自らその社会性を排除しようという傾向すら見られる。それは、都市化が急激に進展し、社会構㐀が変化し続けるという発展段階に応じて生じた社会現象である。都市部の青年男女は、村上文学を「小資」のモデルとして受け止めて、村上文学を通して心の体験、治癒的な体験をする。劉研は「〈小資〉に耽っている村上の読者たちは、村上文学の豊富さを無視するのみではなく、村上文学の複雑性を自覚的に意識することもできない」と読者受容の問題点を指摘している。中国の読者は『ノルウェイの森』で受け取った都会的な「小資文化」のイメージ、センチメンタルな雰囲気、孤独感等を村上春樹の文学像として保持し続けている傾向が見られる。従って、多くの読者の期待の地平には、そもそも『ねじまき鳥クロニクル』のような戦争や植民地の記憶は含まれていないと言える。


日本の軍国主義を批判し、アジアとの真の和解にこそ日本の未来があるのだという、まるで朝日新聞の社説みたいな論文です。いや、むしろ朝日新聞の論調こそ、中国共産党の唱える平和構想(あくまで表向きの)そのものと言えるのでしょうが
自分はむしろ、「ノルウェイの森」にあるプチブル的な男女関係に執着する村上春樹作品の方が好きなので、上記の論文には違和感ありありですし、よくもまあつまらない読み方をするものだ、と呆れます
面白い小説をつまらなく読む方法については、中国人が一番優れているのかんもしれません(もちろん皮肉です)
日本の読者で村上春樹作品を、共産主義政党の政策綱領みたいな読み方をする人は朝日新聞の記者くらいでしょう

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