新潟女児殺害事件9 初公判で殺意を否認

2018年5月、学校帰りの小学2年生の女児を殺害し、線路上に遺棄して遺体を電車に轢かせ、損壊した容疑で起訴されていた小林遼被告の裁判が新潟地方裁判所で始まっています
公判前の争点整理手続きで小林被告は「殺意はなかった」と主張し、「さいせつな行為もしていない」と争う姿勢を示していました
日本の刑事裁判では犯人に殺意があったかなかったを重視し、殺意があれば殺人罪、殺意がなければ傷害致死罪が適用され、量刑が大きく異なります。ただ、殺意があったかどうかという犯人の内面を測る方法などないのであり、犯行の状況や凶器、そして取調べ段階での供述等から裁判官が推認するだけです
今回のような犯行はむしろ、何ら落ち度もない小学2年生の女児の命を奪ったという結果こそ重視するべきだと思うのですが、日本の刑事裁判では通用しないのが残念です


「首を絞めたのは静かにしてもらうため。殺意はなかった」。新潟市西区で昨年5月、下校中の小学2年の女児=当時(7)=が殺害された事件で、殺人や強制わいせつ致死などの罪に問われた小林遼(はるか)被告(25)は、8日に新潟地裁(山崎威裁判長)で開かれた裁判員裁判初公判の罪状認否でこう述べた。公判前整理手続きで、争点は殺意の有無などに絞られている。
起訴状によると、小林被告は平成30年5月7日、同区の路上で、女児に軽乗用車をぶつけて車に乗せ、わいせつな行為をした上、首を絞め殺害。遺体をJR越後線の線路に放置し列車にひかせて損壊するなどしたとしている。
検察側、弁護側双方の冒頭陳述によると、小林被告は女児を車に乗せた後、2回首を絞め、女児は2回目に首を絞められた際に死亡した。
争点の一つである殺意の有無について、検察側は冒頭陳述で、2回目のとき「小林被告が女児の首を5分以上にわたって絞め続けた」と述べ、絞めていた時間の長さから殺意があったことを強調。「女児を解放すれば、自宅が近いため顔を合わせてしまう可能性があった」と殺害の動機を指摘した。
これに対し、弁護側は冒頭陳述で、小林被告が女児の首を絞めたのは2回とも気絶させるためであって、殺すためではなかったと主張した。


弁護人と小林被告が打ち合わせを重ね、傷害致死罪で済むよう「殺意がなかった」と強調するために弁明を考えたのでしょう
ただ自身の刑罰を軽くしたいとの思いがあるだけで、被害者や遺族の気持ちなどまったく考えてもいないと分かります
別の報道によれば小林被告は罪状認否の中で、被害者である女児にわいせつな行為はしていない、とも主張しています
遺体が列車に轢かれてバラバラになってしまった以上、わいせつ行為の被害の有無を確かめる術はないのであり、これも小林被告の周到な隠蔽工作と考えられます
遺族にしてみれば、遺体までもバラバラに損壊させる小林被告の行為は娘を2度殺されたも同然であり、とても許せるものではありません
裁判を前に遺族に謝罪の手紙を書いたりする例もあるのですが、小林被告は何もしていないのでは?
公判の様子を伝える記事をいくつか読みましたが、公判の場で小林被告が謝罪の言葉を発したと書いたものは見当たりませんでした
公判は計9回が予定されており、22日に論告求刑、判決は12月4日の予定になっています

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