韓国は村上春樹をどのように読んだのか2

以前にも取り上げたテーマで、その第2弾のつもりです
村上春樹の「ノルウェイの森」が韓国で翻訳、出版され一大ブームを巻き起こしたのですが、読者層はいわゆる「386世代」(1990年代に30歳代で、1980年代の民主化運動に関わった11960年代生まれの者)であり、この世代は上の世代と価値観もライフスタイルにも大きな違いがあるとされます
当時、文壇の重鎮である評論家の柳宗鎬は、「ノルウェイの森」を「高級文学の死をもたらすがらくた大衆文学」とこき下ろしました
386世代より年長の評論家柳宗鎬の手になる批判が2006年5月25日付け東亜日報に掲載されているので、それを本日は紹介しようと思い立ったのです
しかし、GoogleやBingで検索しても、東亜日報日本語版の記事検索機能を使っても見つかりませんでした
インターネットの掲示板「2ちゃんねる」の過去ログで、自分が保存している分も調べましたが見つかりません(半日かかってしまいました)
そこで今回は、早稲田大学総合人文科学研究センター研究誌に掲載された尹相仁の論文「村上春樹と東アジアの間を往還するもの」を取り上げます。評論家柳宗鎬による村上作品批判も、短いながら登場します
長文なので、一部のみを引用します。全文を読みたい方は以下のアドレスにアクセス願います

「村上春樹と東アジアの間を往還するもの」
http://www.waseda.jp/flas/rilas/assets/uploads/2014/10/47ab903d35afd2b1ce2f7332f50e7d8f.pdf
(前略)
「ハルキの魅力はどこから由来するのだろうか。この作家の何が若者たちを熱狂させるのか。軽妙でウィットに富んだ会話、美しい文章、節制した感情、そして途轍もなく透明な喪失感…しかし彼の本を読み進みながら私はそれ以上の何かが存在することを発見した。それは表の軽快さの裏面に隠されている深さの追求であった。ただ、表立ったそぶりを見せないだけであって、彼の作品はすべて存在の意味を真摯に問うている」
詩人であり、仏文学者でもある金貞蘭によるハルキ論の一部である。筆者みずからハルキ贔屓であることを隠そうとしないこの文章をあえて引用した理由は、この中に1990 年代韓国の読者たちのハルキ熱狂の理由が満遍なく示されていると思うからである。
要するに、ハルキ小説のもつ、決して重くなく、静かで洗練された話法こそが「ハルキの魅力」であるという金の指摘は、十分頷ける。しかし、金のハルキ論のなかでしばしば登場する言葉は、「無関心」と「距離をおくこと」であり、これらはとりもなおさず村上春樹のデタッチメントの態度が韓国の読者たちにいたって受けがよかったことを示している。
平たくいえば、村上春樹現象の土台をつくったのは、解放後40 余年間韓国の現代文学が歩んできた道とは丸っきり違う方向から進んできて、かつて誰も踏み入れたことのない領域を提示したことに尽きる。
もちろん、韓国で村上春樹の小説が歓迎されるばかりであったわけではない。ハルキ批判論者には、一般読者よりは評論家や作家の割合が多い。とくに社会参加志向のリアリズム派の文学者たちは概ね村上春樹について批判的な反応であったが、批判の言説の骨組をなしていたのは「ハルキ=軽い」ということであった。
ハルキ小説の特徴として膾炙されたポストモダンやサブカルチャーといった言葉は、賛成派には村上春樹の新しさを担保する根拠になった
が、逆に反対派には薄っぺらでファッションのような代物という否定的な認識を増長した。
『ノルウェイの森』を「感傷的なニヒリズムを下敷きにして読みやすく書かれた、性的逸脱者と変わり者たちの付き合いを描いた」「ポルノ小説」と批判したのは、評壇の大御所柳宗鎬だった。が、こうした辛辣な批評につづく、『ノルウェイの森』とは「もはや作家が社会のエリートであるという自負をなくした、あるいはもう芸術的な抱負を抱き得ない時代の言語商品」という言説から読み取れるのは、作品自体に対する違和感よりは、ハルキ・キッズを大量に生んだ時代への危機意識のほうが大きいといえよう。
これはたとえば1980 年代の半ばに、大江健三郎が村上春樹の小説を例にあげ、サブカルチャー世代の登場に伴う文学の危機を訴えたこととも似通っている。
(以下、略)

柳宗鎬が何をどう批判するのも勝手ですが、「作家が社会のエリートであるという自負をなくした云々」には笑ってしまいます。柳はいまだに作家が社会のエリートであると信じて疑わない価値観を持ち主なのでしょう
なぜ、「がらくた大衆文学」が日本で、韓国で、中国で支持されたのか、柳には説明ができないと思われます
柳は解放後、営々と積み上げられてきた韓国現代文学を手放したくないのであり、異国から突然やってきた文学を拒絶し、他の韓国人にも拒絶するよう仕向けたいのだと解釈されます
省略した部分の中で、「アメリカでは村上春樹が日本人作家としてではなく、作家として読まれている」と言及されています
ここが重要で、韓国や中国の若い世代も「日本人作家村上春樹」という受け止め方ではなく、作家村上春樹として読んでいるのでしょう
そして個人的な経験の語り、という様式に違和感なく入り込め、物語を体験できるからこそ、好まれるのだと考えます
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