斎藤環著「戦闘美少女の精神分析」を語る

ちくま文庫から出ていた斎藤環著の「戦闘美少女の精神分析」を読んだのは2006年であり、当ブログを始める前です
ブログで取り上げたつもりでいたため、これまで言及しないままだったと2020年5月になって気がつきました
当時としては手軽に入手できるサブカル評論として話題になっていたと思います。元々は太田出版から2000年に単行本として出たもので、いわばゼロ年代の遺物と表現できる著作です
書評とするには散漫な形ですが、自分なりに感じたところを幾つか述べようと思います

1 「オタク論」の消失
この著作のタイトルは「戦闘美少女の精神分析」ですが、アニメに登場する戦闘少女や魔法少女を分析しているのではありません。彼女たちに入れ込むオタク男子の心的構造を光を当てようというものです
その前提としてオタク男子の精神病理を冒頭で取り上げています
しかし、令和2年の現在、「オタクとか何か?」という問い自体消失しているのであり、過去の話でしょう
つまり、いまさら「オタクとは何か?」を問う人はいないのであり、「オタク論」そのものが不毛になってしまったというわけです
時代の変化と言えばそれまでですが、自分もそれだけ年齢を重ねているのだとあらためて認識する次第です
ただ、この章を無用として読み飛ばすのはもったいないのであり、過去に(2000年前後に)オタクがどう定義され、語られてきたかを押さえておくのは無駄ではないと考えます
大澤真幸の言う、「おたくにおいては、自己同一性を規定する二種類の他者、すなわち超越的な他者と内在的な他者が極度に接近している」との指摘を踏まえておけば、おたくの自己イメージが掴めるはずです
そして斎藤環はコミックマーケットに参加するおたくの中で、女性の割合が高い(7割を占める)とも指摘しているのですが、本書はすべからく男性目線で書かれており、女性の視座から戦闘少女や魔法少女を考察しようとはしていません

2 ヘンリー・ダーガーの奇妙な王国
第4章ではアメリカの無名アーティスト(小説家にして画家)ヘンリー・ダーガーを取り上げています
シカゴの病院で雑役夫をしていたヘンリー・ダーガーは地域の人とも交流せず、孤独な人生を送った人物ですが、長大な物語と多くの挿絵を残しています。15冊、1万5千ページものタイプ原稿からなる小説、300枚以上の挿絵にもなる作品に斎藤環は惹かれ、オタク文化の源流の1つと評価しています
しかし、数枚の写真で紹介されるダーガーのイラストを見て、惹かれる人は多くないのであり、この第4章自体余剰と感じます
確かにダーガーの執念には驚きますが、小説は翻訳もされていないため評価のしようがありません。イラストは年代物と言うしかないのであり、そこに何か斬新さを見出すのは無理があります。斎藤環の前著「文脈病」(青土社)でもダーガーを詳細に取り上げていますが、自分は特段関心が湧きませんでした

3 戦闘美少女の系譜
第5章では、これまでに作られたさまざまなアニメ作品を紹介し、戦闘美少女を系統立てて説明しようと試みています。大変な手間と時間、労苦を費やしたものです。これを読むと日本の戦闘美少女はハリウッド映画のヒロイン(後述するようなファリック・マザーというアマゾネス並みの女性ではなく、ステレオタイプの男性に助けられる女性)とは異なる存在であると分かります
もちろん日本のアニメにも、タフガイの男性に窮地を救われ惚れてしまう女性という存在はあります。作品によっては戦闘美少女が伝統的なハリウッド系ヒロインを兼ねるという(例えばツンデレ)という存在もあり、なかなか複雑です

4 ファリック・ガールズが生成する
第6章では、なぜ日本のアニメや漫画に戦闘美少女が生まれたのか、求められるのかを論じています。そこで斎藤は欧米のサブカルチャーに登場するファリック・マザー(ペニスを有する母親)との対比としてファリック・ガール(戦闘少女)なる定義を設けます
アメリカン・コミックに登場する女性の多くが成熟した大人であるのに対し、日本では未熟な少女が必要とされるわけです
詳細は「戦闘美少女の精神分析」を読んでもらうとして、ラカンを筆頭に精神分析の概念が多数投入されて論じられるため、一般の方には理解し辛い内容です。もちろん、これを平易に説き直す手はあるのですが、著者の平素の語りが精神分析用語の上に成り立っている以上、そのベースで語るのが当然なのでしょう
さて、なぜ日本の男性オタクがファリック・ガール(ペニスを有する戦闘美少女)に執着するのか?
斎藤は、「われわれが共有する幻想とは、いまやほとんど一つのこと、すなわち『われわれが大量の情報を消費しつつ生きている』という幻想のみである」として、「…メディア空間に晒された人々が『情報化幻想』にひきこもろうとするとき、そこにリアリティの回路を開くべく」ファリック・ガールが顕現し、「われわれが彼女たちを欲望した瞬間、そこに『現実』が介入する」。「過度に情報化を被った幻想の共同体で、いかにして『生の戦略』を展開すべきか。それがいかに『不適応』に似て見えようとも、ファリック・ガールを愛することは、やはり適応のための戦略なのだ。……ファリック・ガールを愛することは、自らのセクシュアリティという『現実』に自覚的であるために、われわれ自身が選択した一つの身振りにほかならないのだ」と述べています。結論としてどうなのか、受け取る側にすれば難解です
端的に言えば、「戦闘美少女に己の欲望をどういう形で投影するか、己自身の選択にかかっている」という意味でしょう。オタク男子の数だけ、選択肢はあると言えるのかもしれません。日本のアニメ作品、漫画は多声的な構造を有しており、さまざまな読み、解釈が可能であり、読み手の数だけ解釈の幅はあるので

大まかな把握の仕方ですが、今回はここまでにしておきます。戦闘美少女(魔法少女)を女性の側から論じる方法もありますので、そちらもいずれは取り上げるつもりです

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