「ノルウェイの森」 直子と緑

昨日に続いて、山根由美恵山口大学教育学部准教授の論文を叩き台に、「ノルウェイの森」について書きます。今回は後半部分、直子と緑について触れます

「村上春樹『ノルウェイの森』論ー緑への手記ー」
おわりにー「緑への手記」ー
三十七歳まで「僕」は、「キズキ」の死の時のように、罪悪感に苛まれながらも努めて〈忘却〉することで生を構築しようとしていたと考えられる。しかし、ビートルズの『ノルウェイの森』を聞いたことで、「僕」は「直子」との過去を「起きろ、理解しろ」と問われる。
しかし、「直子」との約束を果たすために文章を書き始めながらも、「僕」は「緑」を本当に愛していたことを告白していた。そして「僕」自身が「直子は僕のことを愛してさえいなかったからだ」と考えていたにもかかわらず、「直子」は「僕」を愛しており、そのことを告白できずに死へと向かってしまった過程も描かれていた。「直子」の死は罪意識(第一の原罪、「キズキ」の自殺)を乗り越えることが出来ず、自らの愛を告白できなかったものである。同じように原罪(第二の原罪、「直子」の自殺)をかかえた「僕」も「緑」を選ぶことができず孤独な生を生きていると想像される。この手記には自らの愛と罪、「直子」に対する加害性と「緑」への愛を見つめる姿がある。
「ノルウェイの森」は、「僕」が二十歳の時「緑」に説明できなかった「直子」との関係を説明した「緑」へ向けた手記という捉え方ができないだろうか。つまり、「直子」の死の意味を理解した「僕」が、自らの罪を描くことで、自らの過去を全て「緑」にさらけ出し、新しい生を生きようと決意したということである。
これは、加藤典洋氏が述べるような〈内閉からの回復〉という生やさしいものではない。漱石「心」の先生が「私は今自分で自分の心臓を破って、其血をあなたの顔に浴せかけやうとしてゐるのです」と決意し、遺書を書いたように、「ノルウェイの森」は「僕」が自らの罪深い過去を血を流すように全霊を賭けて書いた手記なのである。「僕」は失ってしまった「緑」のために、分岐点になった上野駅に戻り「緑」を呼び続けている。ここには、死への指向ではなく、生へと向かう、つまり愛を選び取った究極のエゴイズムの姿がある。つまり、テクストには「直子」を犠牲にしてまでも「緑」への愛を吐露した「僕」のエゴイズムがあり、その意味で「ノルウェイの森」は「一〇〇%の恋愛小説」(帯の作者の言葉)なのである。


うーん、という感じです。引用はしませんでしたが、山根論文の中に先行する研究として、「直子」か「緑」かという研究がいくつもあるのだとか。つまり、「ノルウェイの森」のヒロインは「直子」なのか、「緑」なのかという問いであり、ワタナベが本当に愛したのは「直子」なのか、「緑」なのかをあれこれ議論しているわけです
ワタナベは「直子」に最初から惚れていたのであり、ただ親友の「キズキ」に遠慮して距離を置くようにしていただけです。さすがに「キズキ」の自殺の後に「直子」を口説くわけにはいかず、それでも「直子」と恋人同士になりたいと思い、腰が引けた態度で接します
そこに「緑」が割って入り込むのですが、男子学生の本音としては「直子」も「緑」もどちらもキープしておきたい、と考えるのではないでしょうか?
どちらか一方を愛し、他方は分かれるべきだという倫理観をもって男子学生が行動するとは限りません
なので、「直子」か「緑」か、という議論はまったく無駄であるように自分は感じます
加えて、先日書いたように「僕」が「緑」に入れ込んでしまったがため「直子」が自殺したという解釈に、自分は賛成できません
小説の展開としては「直子」が自殺してしまいますから、ワタナベが残された「緑」にすがりつくのは自然な成り行きでしょう
この時点で、ワタナベが本当に「緑」を愛しているのかどうか?
「緑」を愛していると表現するよりは、「緑」にすがるしかなかったというのが真相ではないでしょうか?
しょうもない成り行き任せの展開に映りますが、それでも当人たちにとっては「純愛」なのかもしれません
で、ワタナベが単身ドイツへ向かう飛行機に登場して…との小説冒頭のシーンに立ち返ると、「緑」とも別れて暮らしているようですから、「直子」も「緑」も過去の女であり、若気の至りを反芻しつつ手記を書いている風にも受け取れます(そうだ、とは言いませんが)
なので、末文のような「テクストには『直子』を犠牲にしてまでも『緑』への愛を吐露した『僕』のエゴイズムがあり…」という解釈に結びつくようには思えないのです
「直子」と「緑」の間で揺れ動き、振り回された学生時代の、悔悟を交えた回想という位置づけるのが、自分の解釈です(それでも繰り返し読む価値のある名作だと思っています)

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