「風の谷のナウシカ」 王道と倫理

角一典北海道教育大学教授の論文「ジブリ映画のメタファー : 科学技術と倫理をめぐって」を引用します
村上春樹の小説「海辺のカフカ」で、大島さんがカフカ少年に向けて言うところの「ゲーテが言っているように、世界の万物はメタファーだ」との表現が好きで、この角論文に惹かれた、という単純な理由です
宮崎作品における機械文明やテクノロジーに関する角教授の考察も十分検討に値するのですが、今回は論文の後半部分にある「風の谷のナウシカ」におけるクシャナと王道についての考察を取り上げます
このクシャナと王道の関係は以前にも取り上げ、自説を述べたところです。ただ、もとより自説に執着するつもりはなく、他の方の考察にも耳を傾けようと思い、再度取り上げます


ジブリ映画のメタファー : 科学技術と倫理をめぐって
(前略)
3.3 「王道」を歩むために 再び『風の谷のナウシカ』へ
ここまでの考察で、ジブリ映画において科学技術、そして魔法は、権力の源泉として位置付けられ、大きな力を持つ存在になればなるほど、倫理観とも呼べるような自制の心が必要となるというメッセージを垣間見てきた。
本稿を締めくくるにあたって、コミック版『風の谷のナウシカ』を手掛かりにしながら、力を持つものが追求すべき『王道』について、簡単にまとめてみよう。
(中略)
船を借りることのできたクシャナはシュワの地で墓所の崩壊を目の当たりにし、また、父ヴ王の末期に遭遇する。ヴ王から王位継承を告げられる。それに対し、クシャナは以下のように返す。
「私は王にはならぬ。すでに新たな王を持っている。だが帰ろう!!王道を開くために」
クシャナの人生はつらく苦しいものであり、また、大切なものを次々と失う悲しいものでもあった。土鬼の皇帝ミラルパやナムリスのように、絶望や虚無に屈する可能性すらあった中で、ナウシカやユパなど、様々な人々の導きで王道のなんたるかを理解し、それを実践する選択をした。
王道にとって最も必要なものとは何であろうか。それはおそらく友愛の精神である。コミック版『風の谷のナウシカ』では、巨神兵誕生の寸前に初めて友愛という言葉が使われる。
腐海の生物はひとつの生態系として「全てにして個、個にして全」の存在である。人間はその生態系外の存在であり、敵として存在し得るが、王蟲の心はそうした敵/味方の意識を超越したところに位置している。衝動的な怒りをコントロールできずに攻撃をすることもあるが、あらゆる生命の消滅に対して王蟲は悲しみの感情を覚えるのである。それは、憎しみはさらなる憎しみの連鎖しか生まないこと、そしてより多くの不条理な死を生み出すことを知っているからに他ならない。時空を超えて意識を共有できる種である王蟲にとって、憎しみの連鎖は忌むべきものであり、苦しみの源泉である。墓所の主に対して「王蟲のいたわりと友愛は虚無の深淵から生まれた」と強く言い返すナウシカも、土鬼によって引き起こされた大海嘯の最中、死に満ち満ちた世界とその元凶である人間に絶望し、王蟲とともに森になろうと決意した。
そして、王蟲の心の深淵に達し、さまざまな人々や動物たちにも導かれ、そこから期間したのである。
ナウシカのような経験は誰にでもたやすく乗り越えられるものではないが、ユパが言うように「ナウシカになれずとも同じ道は行ける」。クシャナが開こうと決意した王道とは、ナウシカが到達した王蟲の友愛であり、欲望や憎しみの連鎖からの解放である。


鳩山由紀夫の登場以来、自分は「友愛」という言葉が大嫌いになりました。なので、ブログでも日常生活でも「友愛」という言葉は使いませんし、今後も使う気にはなれません
なので、この「風の谷のナウシカ」に「王蟲のいたわりと友愛」というセリフが出てくると、どうにも居心地の悪い気分になってしまいます
もちろん、宮崎駿は鳩山由紀夫に影響されて「友愛」と言ってるのでありませんし、鳩山由紀夫に漫画版「風の谷のナウシカ」は理解できないでしょう
ただ、ナウシカは少数部族の族長の娘、という立場ですからクシャナのような王位継承候補者とは違います。そしてナウシカは超能力者でもなく、魔術師でもないのですから彼女に「王道」を歩む資格があるのかと問えば、ないはずです
ですが、物語の中でナウシカを多くに人の心をつなぎとめ、影響を与え、結びつける役割を果たしています。挙げ句に巨神兵というとんでもない化け物を手なづけ操るのですから、カリスマと表現して不足はないのでしょう
王位を継承する資格のない者が王位に手をかければ梟雄とか、簒奪者と批判されるのが常です
しかし、ナウシカは王にもならず、救世主や英雄にもならない道を選択するのであり、そこはクシャナと異なります。クシャナは代王としてではありますが、トルメキアを率いる立場に就くのですから。代王としてのクシャナが「ナウシカになれずとも同じ道は行ける」を実践したのは間違いないでしょう。そしてトルメキアが王を持たない国となるのはクシャナの死後と考えられます
さて、話を戻してナウシカが身を持って示したのは、友愛による共存の道であると考えられます(友愛、とは何かという問題も残るのですが)
それがかの世界に平和と安定をもたらしたのかどうか、定かではありません
推測するに、トルメキアも土鬼も多くの国民が大海嘯とそれにまつわる戦乱に巻き込まれて亡くなり、生き延びた国民の数が少なく、かつてのように「寸土を争って多くの血を流す」事態は避けられたのと思われます
生き延びたものの、毒によって赤子は育たず、人口の回復も国力の回復もままならない状況が続いたのではないでしょうか?
クシャナとナウシカのその後を考えると、友愛の精神によってすべてが上手く展開するとは限らないのであり、両者とも苦難続きであったに違いないと想像します

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