池袋暴走事故 無罪主張の狙い

池袋暴走事故で在宅起訴された飯塚幸三被告の裁判が始まっていますが、初公判で過失は一切ないと全面否定しています
車(プリウス)に何らかの異常が生じたため、と主張しているのですが、飯塚被告にしろ弁護人にしろ、それを立証するのは困難と考えられます。昔ならば、「車に何らかの異常が生じた可能性を否定できない」と、異常発生を100%否定できないのならば被告人の利益にするべきだとの考えで無罪を言い渡したのかもしれません
しかし、現代ではプリウスに事故直前、運転者がアクセルやブレーキを操作したかどうかデータとして残っているため、車本体に異常はなかったと推認できるのであり、飯塚被告の主張は無理筋です


池袋暴走事故の飯塚被告は実刑判決でも「執行停止」か…90歳以上で初収監の前例は?
昨年4月、東京・池袋で乗用車が暴走し11人が死傷した事故で過失運転致死傷罪に問われた旧通産省工業技術院の元院長、飯塚幸三被告(89)が初公判で「車に異常が生じた」として自身の無罪を主張した。その姿勢に批判の世論が高まっている中、元神奈川県警刑事で犯罪ジャーナリストの小川泰平氏は16日、当サイトの取材に対し、飯塚被告が仮に実刑を受けても「年齢の壁」によって執行停止となり、「収監されない可能性が高い」と指摘した。
(中略)
刑事訴訟法第482条では、「懲役、禁錮又は拘留の言渡を受けた者」について以下に列挙したケースがある時は「執行を停止することができる」とされている。
(1) 刑の執行によって、著しく健康を害するとき、又は生命を保つことのできないおそれがあるとき
(2)年齢70年以上であるとき
(3)受胎後150日以上であるとき
(4)出産後60日を経過しないとき
(5)刑の執行によって回復することのできない不利益を生ずるおそれがあるとき
(6)祖父母又は父母が年齢70年以上又は重病若しくは不具で、他にこれを保護する親族がないとき
(7)子又は孫が幼年で、他にこれを保護する親族がないとき
(8)その他重大な事由があるとき 
飯塚被告の場合は(2)に該当する。
小川氏は「刑事訴訟法428条では『70歳以上』となっているが、今は70代になって初めて刑務所に入る人は多く、珍しくはない。車いす生活の人もいれば、医療刑務所に入ることもできる。法務省の関係者に聞いたところ、『刑事収容施設法』では90歳などと年齢は明文化されていないが、実務上、収監されない可能性がある。
(以下、略)


上記の記事にあるように、90歳を超える高齢者であれば収監される可能性はほぼないと言えます
ですが、飯塚被告は「有罪判決を受けたけれども刑務所には収監されない」という扱いすら我慢できないのでしょう
高級官僚としてのキャリアに一点の傷もあってはならないと考えているのか、とことん無罪を主張し、東京地方裁判所で有罪判決が下されたなら控訴し、それでもダメなら最高裁にまで持ち込む気だと思われます
裁判中に死亡すれば、有罪判決は確定しないまま裁判は終了します。現在89歳ですから、最高裁まで争い判決が下されるのは2年先か、3年先になるか?
どれだけバッシングを浴びようと、考えを変える気はないのでしょう。あらためて業の深さを感じます
当然ならが被害者遺族側は過失を認めようとしない飯塚被告と示談に応じるはずはなく、交渉は暗礁に乗り上げたままでは
事故の後始末もしないまま飯塚被告が死亡するとなれば、何とも迷惑な話です

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「海辺のカフカ」を巡る冒険 性と暴力の神話として(2)

遠藤伸治県立広島大教授の論文「村上春樹『海辺のカフカ』論ー性と暴力をめぐる現代の神話ー」を引き続き叩き台にさせてもらいます
論文は以下のアドレスからダウンロードできます

村上春樹『海辺のカフカ』論 : 性と暴力をめぐる現代の神話

前回は遠藤論文の中の、小森陽一による「海辺のカフカ」批判について触れた部分ばかり語って終わってしまいましたので、今回は別のテーマでいきます
「海辺のカフカ」の物語は、その前提としてギリシア悲劇であるオイディプス王の神話が使われています
村上春樹は「海辺のカフカ」を執筆にするにあたって、オイディプス王の神話をベースに用い、しかもそれとは異なる展開の物語にしようと企図したのでしょう
田村カフカの父親は息子に対し、繰り返し「お前はいつかその手で父親を殺し、いつか母親と交わることになる。また、姉ともいつか交わる」と繰り返し申し向け、呪いのようにカフカ少年の意識に刻み込んだ
「父は、自分を捨てて出ていった母と姉に復讐をしたかったのかもしれない。彼女たちお罰したかったのかもしれない。僕という存在を通して」というのが「海辺のカフカ」の物語の序盤の骨子です。
遠藤論文は以下のように考察しています


一 暴力の再生産装置
確かに、〈父〉が言い聞かせた〈予言〉は、「オイディプス王が受けた予言」と同じである。しかし、一方〈僕〉の語る〈物語〉は、オイディプス王の神話とは異なっている。したがって、オイディプス王の神話とこの神話の近代バージョンとも言えるフロイト的心理学や人間学を、『海辺のカフカ』という作品に単純にあてはめるべきではない。逆に、男女の役割が変化しつつある現代にあっても持ちこたえている王ディプス王の神話のフロイト的解釈、フロイト的人間学に対する批評性、それらからの逃走こそ、この『海辺のカフカ』という作品の意義は見出される。
(中略)
それゆえ〈僕〉は、〈カフカ〉と名乗り、自然的生得的な〈無意識〉についてではなく、人為的に作られた〈装置〉、〈処刑機械〉について語る。カフカの〈流刑地にて〉に登場する「複雑で目的のしれない処刑機械は、現実の僕のまわりに実際に存在したのだ」と。〈父〉こそが、最初から所有も、支配もできなかった〈母/姉〉に対する欲望と憎悪を〈息子〉に投影し、破綻したエディプス的三角関係を言葉によって捏造し、〈父殺し〉という暴力と、〈母/姉〉に対する所有・支配という欲望とを〈僕〉の中に無理やり再生産しようとするのであり、そのような〈僕〉を通して、タブーを犯した〈母/姉〉を〈罰〉し、〈処刑〉しようとする暴力的存在以外の何者でもないのだと。


こう端的に語ってしまうと身も蓋もない物語のように映ります
酒によっては暴力をふるい、刑務所に出たり入ったりする父親が、息子をそそのかし挑発して悪の道へ追い込んでしまう話、みたいな
さて、カフカ少年の父親はなぜ息子に対し、「お前はいつかその手で父親を殺し、いつか母親と交わることになる。また、姉ともいつか交わる」との予言(予言と呼ぶべきものかどうか、そこにもさまざまな解釈があります)をしたのか?
その物言いは父親殺しをそそのかしているようにも読み取れます。ならば処罰すべき対象は〈母/姉〉ではなく、〈父〉自身ということになります
ただし、その父親殺しをカフカ少年の手で実行させたのなら、今度はカフカ少年が裁かれる結果を生じるのであり、何の救いもない展開です
上記の遠藤論文では父親=暴力的存在以外の何者でもない
なので、カフカ少年に父親殺しをそそのかすような言動を繰り返した理由も、それで何の利益が得られるのかも不明なままです
以前、当ブログでは自分の解釈として「母や姉の行方を捜し、再会してはならない」との警告ではなく、「母や姉の行方を捜し求め、会いに行け」とのメッセージであると受け取れると書きました
母や姉との再会に重点を置いてあの予言を解釈するなら、「父親殺しをする前に家を離れ、母を捜しに行け」との意味でしょうか?
物語でカフカ少年は四国行きのバスで偶然姉と乗り合わせるとか、立ち寄った図書館に母親がいるという御都合主義すぎる展開もあれですが、オイディプス王の神話そのものが旅先で偶然父親と出会いそうと知らないまま殺害したり…という御都合主義的展開なのですから、「海辺のカフカ」の方にも違和感はありません
その辺りは村上春樹が意図してやっているのでしょう
「エディプスコンプレックス」を話に織り込んだ上で、なおもオイディプス王の悲劇とは別の展開を模索し、描いた(遠藤論文の言うところの「エディプスの三角関係から逃走した」)と解釈できます
ただし、ジョニー・ウォーカーに擬えたカフカ少年の父親は殺害されてしまうので、本当の意図が何であったかは不明のままです。読者の想像に委ねられた、と判斷するしかありません
もちろん、暴力の再生産という悪循環を断ち切ってそこから逃げ出す展開こそが物語の本筋ですから、父親の意図はどうでもよいことになってしまうのですが(それを問うのは、神話に登場する神様に向かって「なぜ、そうしたのか?」と問うのと同じです)

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