村上春樹「一九七三年のピンボール」研究Ⅲ

前回はこの作品を自分がどう読んだのか、概要を書きました
その補足として、「僕」がなぜ直子を求め続けているのか、を考えます
ご存知のように初期の村上春樹の作品に、繰り返し直子と呼ばれる女性が登場します。あるいは直子とは呼ばれない、直子らしき女性が
ただ、「一九七三年のピンボール」の直子が「ノルウェイの森」の直子と同一人物であるとは限りません
個々の作品ごとに分けて解釈するべきであるとの考え方もあれば、初期の作品群をまとめて解釈すべきという立場もあります。それぞれの目的に沿った研究方法なので、どちらかが正解、というものではありません
自分が読んだ感触としては、いずれの作品にも登場する直子はその名前が同じというだけで、性格や言葉遣い、思考などに違いがあり、別人という気がします。もちろん、同じようなシチュエーションの中で語られる物語ですから、共通する部分があるわけですが

「一九七三年のピンボール」の直子はどうなのでしょうか?
「ノルウェイの森」では「僕」と「キズキ」と「直子」は同じ街(同じ地域)の出身とされます。しかし、「一九七三年のピンボール」では直子は「退屈な街」だと自身の出身地について語っており、「僕」とはまったく違う出身地の出てあると示唆されています
この作品の直子は「ノルウェイの森」のみどりを彷彿とさせる部分もあり、読み手は混乱(あるいは混同)してしまいそうになります
「僕」が直子とどれほどの恋愛関係にあったのかは伏せられており、はっきりしません
ただ、「僕」が直子の死に責任を感じ、自暴自棄気味になっているのが伝わってきます
東京の大学に通う「僕」はゲームセンターで見つけたピンボール台、スペースシップとのプレイにのめり込みます
先日引用した小島論文では、「直子がピンボール台に憑依した」と表現されていますが、自分の解釈としてはここに登場するのは「僕」が作り出した直子の疑似人格であり、その意味では直子ならざる直子です
「一九七三年のピンボール」では直子と「僕」が交際していたのは大学で出会ってからでしょうから、その期間はわずかであり、「僕」は直子についてほとんど何も知らないのでしょう。ゆえに疑似人格として作り出した直子はアウトプットされる情報が足りません

(15章から引用)
あなたのせいじゃない、と彼女は言った。そして何度も首を振った。あなたは悪くなんかないのよ、精一杯やったじゃない。
違う、と僕は言う。左のフリッパー、タップ、トランスファー、九番ターゲット。
違うんだ。僕は何ひとつ出来なかった。指一本動かせなかった。でも、やろうと思えばできたんだ。
人にできることはとてもかぎられたことなのよ、と彼女は言う。
そうかもしれない、と僕は言う。でも、何ひとつ終っちゃいない、いつまでもきっと同じなんだ。リターン・レーン、トラップ、キックアウト・ホール、リバウンド、ハギング、六番ターゲット・・・・・ボーナス・ライト。121150、終わったのよ、何もかも、と彼女は言う。

「僕」が直子に求めていたのは自殺をした理由であり、直子の抱えていた深い悩みに気づかなかった「僕」を責める言葉(「どうしてあなたは気づいてくれなかったの?」)だったのでしょう
しかし、「僕」の心象の中で形勢された疑似人格である直子は答えを持たないのであり、単なる慰めの言葉を投げかけてくるだけです
当然ながら、そんな慰めの言葉で「僕」は納得できるはずもなく、答えを求め続ける(ピンボールのプレイを続ける)のです
しかし、突然ゲームセンターは閉鎖され、スペースシップは姿をけします。あたかも直子が自殺し、唐突に姿を消したように
通常、「喪の作業」とは死者と折り合いをつけるためになされます。言いたかったこと、言えなかったことなどを心の中で整理し、死者との和解に漕ぎ着けようとする行為です
しかし、「僕」が目指しているのは上述したように直子との単純な和解ではなく、直子になじられ、責められ、そして直子の抱えていた悩みを含めた彼女自身と向き合うことです。実際に直子は「僕」に悩みを打ち明けたりはせず、自殺してしまいました。「僕」にとっては直子に無視されたも同然であり、自身の存在を否定され傷ついているわけです
なので、「僕」は直子を求め、彼女から悩みを打ち明けられ、相談をもちかけられ、彼女の存在すべてと向き合える自分になりたいと切に願っている・・・と解釈します

では、この小説における「鼠」の存在、その役割はどう解釈できるのか、それについては別途考えます

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