映画「十二単を着た悪魔」公開

10月29日にひき逃げなどの容疑で警視庁に逮捕さた俳優、伊藤健太郎が主演を務める映画「十二単衣を着た悪魔」(黒木瞳監督)の公開が決まったと報じられています。主演を務めた俳優が逮捕されたのですから、公開を見送るとの選択肢もあったわけですが、本作は公開すると配給元が公言しています
その選択をとやかく言うつもりはありません。非公開となった場合、伊藤健太郎はおそらく制作費や宣伝費5億円以上の返済を求められたはずであり、とても弁済などできなかったと思われます。支払いを建て替える所属の芸能事務所にしても、5億円をポンと払う能力はないはずです
なので、伊藤健太郎も所属事務所も、映画の公開が決まってほっとしているでしょう


映画監督・黒木瞳が最新作『十二単衣を着た悪魔』で魅せる! 柔軟な発想から生まれた大胆アプローチの秘密
『プラダを着た悪魔』(2006年)をヒントにしたという、脚本家・小説家の内館牧子による小説を映画化した本作。就職試験59連敗中のフリーター・雷(伊藤健太郎)が「源氏物語」の世界にタイムスリップしてしまい、帝の正妃・弘徽殿女御(三吉彩花)と出会う――という筋書きだ。
映像化にあたり、セットの屋根を取り払うなど、常識にとらわれない柔軟な発想で挑んだ黒木監督。彼女の創作術、さらには独自の「監督論」について、じっくりと伺った。
女優でも監督でも「お客様に作品を届ける」意識は一緒
―初監督作『嫌な女』から約4年が経ち、監督業にも変化はありましたか?
今回のカメラマンと演出部は、2017年に監督したショートムービー『わかれうた』と一緒なんです。あのメンバーとまた仕事をしたいと思い、オファーさせていただきました。初監督作品のときは、「どなたがいい」というスタッフィングまでは提案をしなかったので、一番の違いはそこかと思いますね。
やはり、監督は自分の頭の中にあるイメージを形にしていくので、なるべくコミュニケーションが取りやすい人だったり、共有しやすい方々だったりすると、言葉も半分で済むし、非常にやりやすい。そういった意味で、今回は気心が知れたメンバーと組むことが出来、いいチームになったと自負しています。
―より、やりやすくなったというような意識でしょうか。
そうですね。ただ、監督としてすべてのジャッジを下さなければならないという重責は、1本目だろうが3本目だろうが変わらないようにも思います。作品はみなそれぞれ違うものですし、「ここまでできた」と思っても、次の作品に挑む際に成長しているかどうかはわからないわけですから。一つひとつを丁寧にやっていくしかないのかもしれません。
―そういった意識は、俳優業と監督業ではまた別ですか?
そうですね。女優として40年経ちますが、自分が成長出来ているかは自分では分かりません。ただ、エンターテインメントの世界にいて、一つの映画に携わっているという意味では、女優であろうが監督であろうが「お客様に作品を届ける」という気持ちは一緒です。やっていることは全く違いますが、目指す場所は同じです。
―国内外でも「俳優の監督進出」が盛んになってきていますが、黒木さんはどう受け止めていらっしゃいますか?
俳優の方が監督をなさるという動きが増えてきていることは、私自身楽しみにしていますし、演じ手に限らず女性が監督をする機会が、もっと増えてきても面白いんじゃないかなとは感じています。
1本目の映画を撮った際に、日本外国特派員協会で記者会見をさせていただいたのですが、記者の方から「ハリウッドでも女性が主役の作品や、女性監督の作品が少ない。日本でも女性の監督作品が増えていってほしい」というお話を伺いました。これは単純に「女性の進出」というだけの理由ではなく、女性から見た景色や感受性は男性とは違うでしょうから、この先、様々な視点から撮られた作品が生まれていくことはとてもいいことだと思います。
(以下、略)

伊藤健太郎×三吉彩花主演!映画『十二単衣を着た悪魔』 予告編


黒木瞳といえば、青山学院の付属中学に通っていた娘がいじめの主犯格として問題を起こし、転校を余儀なくされた事件を思い起こします
娘は何度も宝塚歌劇団の試験を受けたものの合格できず、慶応大学に進学したのだとか
宝塚歌劇団でトップをはった女優の娘でも合格できないほど選抜基準が厳しいのか、あるいはいじめに加わるような人物は合格させないという内規があるのかは分かりません。あるいは娘の側に母親への反発、対抗心があって何度も宝塚音楽学校の試験に挑んだ、とも考えられます
娘が芸能界入りを望んでいるなら、自身の監督作品に出演させる手もあるのですが、そうはしなかったようです(映画の出演者をチェックしたわけではないので、単なる憶測ですが)
家族ぐるみで息子や娘を売り出そうと躍起になっている芸能人も少なくないだけに、意外な気がします
一方で主演の伊藤健太郎のひき逃げ事件があり、どれだけ観客を呼び込めるかは不明です
敢えて予想するなら、興行成績はぱっとしない結果に終わるでしょう。アヤのついた映画を観に行こうとする人はいないわけで
原作となった内館牧子の同名の小説は随分と評判がよく、アマゾンのサイトを見ると好意的なレビューが並んでいます
古典である源氏物語の世界を下敷きに、新たな感覚で物語を展開させる発想は興味深いと思いましたので取り上げました
ちなみに主演は伊藤健太郎でなくても、誰でもよかったのではないかとも思います。彼程度の役者は大勢いるわけで

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「うる星やつら2 ビューティフル・ドリーマー」論

押井守監督による「うる星やつら2 ビューティフル・ドリーマー」が公開されたのは1984年です
なので、日本のアニメーション作品としては古典の部類に含まれるのかもしれません。若い世代では、「知らない」、「観たことない」と答える人がほとんどでしょう
ここ最近、宮崎駿作品について言及してきたのですが、趣を変えて今回は押井守監督作品を取り上げます
宮崎監督の場合、「ルパン三世 カリオストロの城」が1つのターニングポイントとされるように、押井監督にとってはこの「ビューティフル・ドリーマー」が世に知られるきっかけになった作品です
前作である劇場版アニメ「うる星やつら オンリー・ユー」でも監督を務めていますが、いわゆる押井守らしさは控え目です。こちらの「オンリー・ユー」では、いくつものアニメーション作品の脚本を担当している今春智子(能楽、金春流宗家の出身)が脚本を担当し、原作者の高橋留美子もその出来栄えに大満足したとの話です
対して、「ビューティフル・ドリーマー」は押井監督が脚本も担当し、押井ワールド全開の展開でしたが、興行結果は前作に負けています。さらに、試写を観た高橋留美子が激怒した、というエピソードもあります
では、原作者を激怒させた「ビューティフル・ドリーマー」とはどのような作品なのか?
ネタバレを回避する気はありませんが、物語のあらすじに字数を費やすのは無駄なので作品の概要は省略させてもらいます
今日は「このページを読む者に永遠の呪いあれ」さんのブログから、「『ビューティフル・ドリーマー』に見るモラトリウムの終焉」と題された記事を引用させてもらいます


『ビューティフル・ドリーマー』に見るモラトリウムの終焉
(前略)
主要な男女キャラが「相手を好きだ」と認識し、それが発展した時にすべてが終わる。その時がくるまでの狂騒的なお祭り騒ぎ。
『涼宮ハルヒ』シリーズを筆頭に、現在蔓延しているラノベや、それに付随する一連の作品は、こうした『うる星やつら』の構造を雛形とし、30年近く経った今も同じことを繰り返しつづけている。
『うる星やつら』の模倣者たちは、『ビューティフル・ドリーマー』がそうした作品のアンチテーゼであることに自覚的なのか無自覚なのかわからないが、『涼宮ハルヒ』シリーズに関して言えば、『ビューティフル・ドリーマー』のスピリットを理解せぬまま、ギミックやトリックだけを借用し、焼き直しをしているようにしか見えない。
そして『ビューティフル・ドリーマー』とは、『うる星やつら』の持つ幻想を解体し、本質をあぶりだす作品に他ならなかった。
当時の高橋留美子が『ビューティフル・ドリーマー』を試写で見た直後、怒ったのも無理はない。
だが、そうした思惑にも関わらず『ビューティフル・ドリーマー』がわれわれを魅了してやまないのは、メインヒロインのラムちゃんの望んだ「みんなといつまでも仲良く、楽しく過ごしたい」という願いが、あまりにも美しく悲しすぎたからだ。
誰もが若い頃、一度は抱いたであろう「仲のよい友達といつまでも一緒に楽しく過ごせたらいいのに」という願いは、現実では決して叶うことのない夢なのだから。


「いつまでも気心の知れた仲間と楽しく」といった絆も、仲間内にいくつかのカップルが誕生すればあっさりと崩壊してしまいます。あるいは互いの恋人を奪い合う、どうしようもない修羅場を迎えるか
そうなる前の、ひとときのお祭り騒ぎを描いた作品という解釈に異論はありません。祭りの後の虚しさには敢えて触れず、夢は夢のままに、との描き方をしているのですから、これで高橋留美子が激怒した、というのはちょっと不可解な気もします
むしろ、「うる星やつら」のキャラと設定を借りて、まったく別の物語にされてしまったのが不快だったのではないか、と自分は思うのです。原作者として絶対に譲れないものがあり、そこに押井守がズカズカと踏み込んだがゆえの怒り、だと
一度試写を観ただけで、上記のブログで展開されている主張(幻想の解体)のような深読みが高橋留美子にできたのかどうか疑問です
さて、上記の記事で前段部分は省略したのですが、他者の存在を認識することこそ、恋愛であるとの主張が盛り込まれています(記述があまり明確ではないので読み取り辛い感がして残念です)
となれば、次々と美少女を追いかけ回す諸星あたるは、他者の存在をどう認識しているのか、が気になります。そもそも諸星あたるは他者を認識できているのか、あるいはラムとその他の少女たちをどう認識しているのか、そこに差異はあるのか、という問いが立てられます
これに関して、ブログ記事へ寄せられたコメントが欄外に記載されており、「涼宮ハルヒ」擁護派の人が異論を唱えているのが面白く感じられます
いわく、「諸星あたるに他者認識はできず、キョン(「涼宮ハルヒ」シリーズの登場人物)のように人の面倒を率先してみられる人物にならないと他者認識などできないと言うべき」だと
ここは考えどころです。恋愛の場合、相手を実物以上に理想化し、過大に評価してしまう危険が伴うのであり、それは他者を認識していると言い難く、他者なるものを誤解する行為です。いわば、他人に自身の期待を重ねて幻視しているわけです
幻視した部分をも含めて、他者として認識していると強弁する手もありますが、それは認識論から逸脱し、価値観の問題、嗜好の問題になってしまうのでは?
抽象化された話ではわかりにくいでしょうから、「うる星やつら」に戻りましょう
諸星あたるは「ラムがいつでも自分を受け入れてくれる相手」であると信じて疑わないゆえ、他の女の子にちょっかいを出し、ラムを嫉妬させて喜んでいるのでしょう
ラムは諸星あたるが「決して自分を裏切らない男性」だと信じて疑わないゆえ、他の女の子に手を出すあたるに怒りの電撃を炸裂させているのであり、互いの役割を理解した上での夫婦漫才を延々と繰り返しているのです
そうと分かっているから、押井守は漫画「うる星やつら」を好きではない、と発言したのでしょう
「涼宮ハルヒ」シリーズでも類似した構図であり、こちらは互いの立場や役割をそうと理解しないまま、夫婦漫才を延々と繰り返している物語だといえます

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