座間9人殺害事件を考える 死刑求刑

神奈川県座間市のアパート15歳から26歳の男女9人が殺害された事件で起訴された、白石隆浩被告(30)の裁判員裁判の第23回公判が開かれ、検察側は「万死に値する行為」として死刑を求刑しています
白石被告は最終陳述で「何もありません」とのみ発言し、結審しました。弁護側は白石被告本人の公判における陳述を否定し、「被告の再度の精神鑑定を求めながら実施されなかった」と刑事責任能力を疑問視した上で、「被告は反省したから事実を話したのではなく、(裁判を)『最速』で終わらせる方向で供述していた」とし、「承諾の有無に関する被告の供述は信用できない」として、死刑は選択できないと述べています


神奈川県座間市で2017年に男女9人が殺害された事件の裁判員裁判で、死刑を求刑された白石隆浩被告(30)は計23回の公判で、検察側の主張に沿い事件の詳細を能弁に語った。一方、弁護団は被害者に殺害の同意があったとする承諾殺人罪の適用を主張。被告の法廷供述を「信用できない」と否定する異例の展開となったが、被告は人ごとのような態度に終始し、真摯な反省の弁はついに聞かれなかった。
「殺害承諾」めぐり被告と弁護団対立
最大の争点であり、被告と弁護団との対立の根本が、被害者が殺害を承諾していたかどうかだ。
検察側は被害者の通信記録などを基に、彼らの「生きる意思」を示し、白石被告も「殺害の同意をとったり、依頼されたことはなかった」と明言した。だが、弁護団は「被害者は被告の手で死の実現が行われることを想定していた」と被告と異なる主張をした。
被告の法廷での供述をめぐり、検察側が「一貫性があり詳細で信用できる」とする一方、弁護団は「変遷があり信用できない」とするねじれが生じた。
このため、白石被告がいらだち「はっきり言うが、起訴内容は事実だ」と弁護団に突きつける場面も。「起訴内容を争わず簡潔に(裁判を)終わらせてくれるというので選任した。(弁護団に)裏切られ根に持っている」と不満も述べた。
解体現場を目撃の女性も
白石被告が語った殺害動機は単純だった。恋愛関係に近かった最初の被害者については「他の男の影があったから」と説明。この被害者の知人だった男性被害者は「口封じ目的で殺害した」という。ほかの7人は「金になるなら付き合う。金にならなければレイプする。証拠隠滅のため、レイプしたら生きて帰さないと決めていた」と述べた。
一方、公判では、4人目の被害者の遺体解体現場を目撃した女性の存在も明らかになった。ツイッターで出会い、数日間、同居していたこの女性を、白石被告は「身なりや雰囲気で収入がある」と判断して殺さず、「しっかり口説けていた」ため、警察に通報しない自信もあったという。
「おやつの誘惑に勝てなかった」
白石被告は法廷で「後悔はない」と繰り返した。逮捕されて以降、「健康のため」に筋肉トレーニングに専念。拘置所でのおやつを買う金を得るため、報道関係者の面会に応じていたとし、検察官が「その記事で遺族が心を痛める」と責めると、「おやつの誘惑に勝てなかった」と答えた。
最初の被害者や子どもがいた被害者ら殺害した4人に対しては、最後の被告人質問で「本当に申し訳ございませんでした」と口にした。しかし、残る5人の被害者は「会ってすぐに殺害したため印象が薄い」などと、謝罪を拒否した。一方で、自らの家族には「迷惑をかけて申し訳ない。自分の存在を忘れて生活してほしい」と愛情を表現した。
「何の反省もしていないようだった」
最後の被告人質問で「懲役でも極刑でもいい」と投げやりな態度を見せた被告。26日に意見陳述した被害者遺族は「殺害状況を淡々と話す被告の声は、何の反省もしていないようだった。こんなことを聞いているぐらいなら、すぐにでも被告を殺したいと思った」と怒りをあらわにした。
(東京新聞の記事から引用)


これまで23回もの公判が開かれ、新聞社によっては詳細に報じていたところもあります
しかし、個人的な感想としては特段気になる立証や陳述もなく、淡々と裁判が進行したように感じます。最大の要因は白石被告のやる気の無さであり、早く裁判を終わらせたいとの態度がありありでした
弁護人(おそらく国選)は上記のように白石被告が精神疾患で心神喪失、あるいは心神耗弱だったと主張した上に、被害者からの依頼を受けた嘱託殺人説に固執し、弁論を続けていました
それでも白石被告が、ほぼ検察側の立件に沿う内容の陳述を続け、被害者から「殺してほしい」との明確な依頼はなかったと述べているのですからどうしようもありません
さて、9人殺害というのは日本の犯罪史上でも稀有な例です。8人を殺害した大久保清死刑囚を上回っています。さらに上には身体障害者施設を襲って19人を殺害した植松聖被告がいるわけですが
多くの女性への強姦を繰り返し、8人を殺害した大久保清死刑囚は判決確定から2年10か月で死刑が執行されており、昨今でも例を見ない早期の執行でした

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「ナウシカ解読」における4つの問いを考える

稲葉振一郎の著作「ナウシカ解読ーユートピアの臨界」(窓社刊)の中で、稲葉は『ナウシカ』を読解するにあたって 四つの問題提起を行っています(52ページから始まる第三節 問題設定において)
第一問:なぜ、絶望の淵に沈み、「王蟲」とともに「森になろう」としたナウシカは、セルムの導きによって「青き清浄の地」を見出すことによって生きる力を取り戻すのか。
第二問:なぜナウシカは、ヒドラの牧人の守る庭園で真相に到達することができたのか。
第三問:この真相に到達した後も、ナウシカが「ひょっとすると…人間を亡ぼしに行くのかもしれない……」と知りつつ、なお「墓所」に赴き、それを封印し、かつ自分の知り得た真相を秘密にしたのはなぜか。
第四問:クシャナは戦いの中で、王位の簒奪を通じて母の仇討ちに固執していた自らの愚かさに気づいていたにもかかわらず、なぜ土鬼難民終結地での衝突の危機において手をこまねくばかりだったのか。より具体的に言えば、なぜ彼女は、ユパの死という犠牲を払ってしか「王道」への覚悟を決めることができなかったのか。
この四つの問いについて考えようというのが今回の企画です
もちろん、「ナウシカ解読」の中で稲葉は自身の問いに対する答えを記述しているわけですが、それをそのまま抜書きしただけなら、ブログを書く意義がありません
自分なりの答える求めるからこそ、でしょう
そのための手掛かりとして、砂澤雄一の学位請求論文「マンガ版『風の谷のナウシカ』における生成論的研究 : コミックス成立時における改稿からみた作品分析」から一部を引用します。砂澤氏は山梨県立笛吹高校の教諭で、学習院大学大学院人文科学研究科身体表象文化学専攻博士後期課程修了 (表象文化学)を修了し、この論文で博士号を手にしています

マンガ版『風の谷のナウシカ』における生成論的研究 : コミックス成立時における改稿からみた作品分析
https://glim-re.repo.nii.ac.jp/?action=repository_uri&item_id=3853&file_id=34&file_no=3

博士号の学位請求論文なので長文です。引用するのは論文の230ページ目からです
画面では稲葉振一郎の問いを紫色で表示し、砂澤論文からの引用は赤色で、自分のコメントは黒色で表示します

第一問:なぜ、絶望の淵に沈み、「王蟲」とともに「森になろう」としたナウシカは、セルムの導きによって「青き清浄の地」を見出すことによって生きる力を取り戻すのか。
ナウシカが王蟲とともに森になろうと思った理由。それは腐海の生き物たちが、他ならぬ人間の愚かさを償うために死んでゆくという状況にナウシカは深く傷ついたからだとする。だからこそ蟲たちと運命を共にしようとしたのだ。
では、「青き清浄の地」を見出すことで生きる力を取り戻したのはなぜか。「青き清浄の地」は、その時まで仮説であって「可能性」あるいは「未来」に過ぎなかった。しかし、「青き清浄の地」が実在するものであることを知ったナウシカは、ふたたび愛するもののために力を取り戻したからだとする。
(中略)だとすると、ナウシカの正義はどうなるのだろうか。ナウシカの「正義」の動機は様々なものへの「愛」であったからだ。
「ナウシカ」の物語は単純な勧善懲悪の思考によって組み立てられたものではありません。土鬼とトルメキアの戦争が繰り広げられる中で大海嘯が発生し、人類は追い込まれます。ナウシカの絶望は人類が追い込まれたからではなく、腐海の生き物たちが人間の愚かさを償うため死んでいくことへの罪の重さがナウシカの心を折ったからでしょう
そこでは誰が悪い、誰のせいだ、などと言っても始まらないのであり、取り返しのつかない事態に茫然自失となり、抗う気も失せたと想像します
しかし、王蟲はナウシカの死を妨げ、生きるよう促します
「青き清浄の地」に至れば、人間もほかの生き物も腐海の毒に怯えることなくともに生きていける、というその時点での推論こそ、ナウシカにとって生きる希望となり得たと解釈します

第二問:なぜナウシカは、ヒドラの牧人の守る庭園で真相に到達することができたのか。
ナウシカは庭の主との会話から腐海の秘密を知る。ナウシカもユパも、すでに腐海が環境浄化機能を持っていることは知っていたにもかかわらず、この時までさらなる腐海の秘密に気づかなかった。ナウシカに至っては「青き清浄の地」に赴き、腐海が「役割が済んだら亡びるようにも定められている」と知ったときでさえ、何時かは人類がこの地に立てると思っていたのである。
直接的な答えになっていないので補足すると、ナウシカは庭の主(牧人)と対話を繰り広げる中で、主が途中から対話に加わったセルムに向け「そなたは知っている。人間の体が素から変わってしまったことを。汚した世界に合うように・・・自分たちだけではない。草や木や動物までも変えたのだ。天地が清浄だった時のいきものが腐海のほとりにすめるはずがない。瘴気に肌をさらしながらわざかなマスクだけで平気なのをおかしいと感じなかったのかな。汚染のないこの庭の大気は甘くて強い。私が少女の身体に何もしなかったらその子の肺は血潮を噴き出していたはずだ」と言い放ちます
ナウシカはそこで、人間をはじめとするいきものすべてが腐海のある環境に耐えうるよう作り変えられていた、という真相に気づきます
その真相を知られる(漏らす)のは庭の主に許されていない行為だったのですが、真相を知ったナウシカが庭から出立するのを庭の主は許します
間違いなく庭の主も心を持っている。「王蟲」と同様に、計画のために造られながら、計画の意味を知ることで「決して癒されない悲しみ」を抱える存在なのだ。庭の主も、人間が「青き清浄の地」へと決してたどり着けないことを悲しんでいる。ナウシカはその悲しみを理解したがゆえに誘惑を振り切って墓所を目指すことができたのであり、また庭の主もナウシカが「悲しみ」を理解したがゆえに墓所へ行かせたのである。

第三問:この真相に到達した後も、ナウシカが「ひょっとすると…人間を亡ぼしに行くのかもしれない……」と知りつつ、なお「墓所」に赴き、それを封印し、かつ自分の知り得た真相を秘密にしたのはなぜか。
「墓所」の計画の不気味さはある意味で私達になじみ深いものでもある。つまり、近代のユートピア主義的な社会計画が、20 世紀において全体主義の悪夢に帰結してしまった事例を私達は知っているからである。しかし、実はそうした「既存の全体主義批判や社会主義批判の論法」自体が、すでに自明性を失ってしまっていたことも事実である。冷戦期には「最終戦争=核戦争」は世界の破壊と等値され絶対的に回避されるべきものとして捉えられていた。そして『ナウシカ』というテクストもSFという表現形式で「最終戦争」後を描くものの一つだったのだ。ところが、断続的に連載が続くうちに冷戦は終わってしまった。この時点から『ナウシカ』はポスト「最終戦争」ものではなくなっていく。(中略)
ナウシカは墓所のしようとしていることを、「清浄な世界」のために現在存在する「生命」を虚しくするものだと責める。ナウシカは墓所に向かって「私達は血を吐きつつくり返しくり返しその朝をこえてとぶ鳥だ!! 生きることは変わることだ 王蟲も粘菌も草木も人間も変わっていくだろう 腐海も共に生きるだろう だがお前は変われない 組み込まれた予定があるだけだ 死を否定しているから……」(第 7 巻 p198)という。(中略)
ナウシカのしたことは、実践的には腐海のほとりでの業苦の生という「政策」であり、同時に象徴的には「青き清浄の地」という彼岸的ユートピアの欺瞞である。しかし、この欺瞞の裏にあるナウシカだけの個人の倫理として引き受けた「青き清浄の地」の真実はノージック的な「枠」などよりいっそう高次な意味で「メタ・ユートピア」と呼びうるものである。
「問三」への答としても、赤字で砂澤論文を引用してみましたが、書かれているのは「ナウシカ解読」にある稲葉振一郎の解釈(マックス・ホルクハイマーとテオドール・アドルノの「啓蒙の弁証法」やロバート・ノージックの「アナーキー・国家・ユートピア」を参照しつつ、ハンナ・アーレントの「政治」と「倫理」の考察を援用する)を粗述した内容であり、物足りなく感じます。砂澤氏ならではの見解が示されていないので
このナウシカの墓所破壊とその後の嘘(青き清浄な清浄の地には決してたどり着けないとナウシカは知りながら、人々には伏せておく行動)についても、当ブログの過去の記事で何度か言及したところです
腐海のほとりで生きてきた人間やそのほかの生物への冒涜ともいえる「墓所」の計画は断固阻止すべきものだ、とナウシカは感じたのであり、躊躇なく「墓所」を破壊します
その結果、人類の選択肢は限られてしまいます
常に生命の危機と向き合いつつ腐海の傍らで生きながらえる道を選んだナウシカは、人々にもその生き方を強いる羽目になったわけであり、過酷な運命を知った人々が絶望に陥らぬよう「青き清浄の地」にいつかたどり着けると希望を提示する必要を感じたのでしょう

第四問:クシャナは戦いの中で、王位の簒奪を通じて母の仇討ちに固執していた自らの愚かさに気づいていたにもかかわらず、なぜ土鬼難民終結地での衝突の危機において手をこまねくばかりだったのか。より具体的に言えば、なぜ彼女は、ユパの死という犠牲を払ってしか「王道」への覚悟を決めることができなかったのか。
つまり、ユパはクシャナに「とりかえしなどとうにつかぬ」(第 7 巻 p77)という思いを捨てて、過去を「忘れろ」と言っている。クシャナにこれまでのことを忘れることを許したのだ。
ただしクシャナが「すでに新しい王を持っている」(第 7 巻 p222)と言う時、クシャナが「新しい王」と呼んだナウシカの何を理解していたのかは疑問である。ナウシカの抱えた秘密を見抜けというのは酷であるとしても「倫理」と「政治」の狭間に引き裂かれ、「決して癒されない悲しみ」を抱えているナウシカのことをクシャナは気づいているだろうか、と稲葉は言う。
この問いに対しても砂澤論文は自身の見解を述べることなく、上記にあるとおり稲葉振一郎の記述を引用し、答えとしています
クシャナと王道の関係についての自分の見解はすでに述べたところですが、もう一度簡単に書きます
クシャナは自分がナウシカのように立ち振る舞うことはできないと悟りつつも、ナウシカの生き方や考え方を多少なりとも真似ることはできると理解し、覇道を歩むのではなく、ナウシカの考えを取り込んだ国家の統治(王道)を考えたのでしょう
ユパの死がきっかけとなったのは、ユパがナウシカを信頼し、ナウシカにすべてを委ねる覚悟を示していると理解したからではないか、と自分は考えます
クシャナの発言、「すでに新しい王を持っている」を稲葉は王=ナウシカと解釈し、砂澤も特に異論は述べていません。が、ナウシカは王にも救世主にもならないという覚悟を示していることからすれば、単純に王=ナウシカと決めつけるのではなく、上述のようにナウシカの進もうとする道=王道と解釈し、クシャナが自分もその道を往くと決意したものと受け止めるのが妥当でしょう

砂澤論文は自分が引用した部分の前、「アニメージュ」掲載時のナウシカと単行本刊行時のナウシカを比較し、検討することが中心になっています。なので稲葉振一郎の著作に触れた部分は論文のページ数を稼ぐためのおまけのようなものです。が、やはり四つの問いに対する砂澤氏の見解をもっと盛り込んでほしかった、というのが自分の感想です
以下の関連記事は宮崎駿作品への言及が増えましたので、今回は「風の谷のナウシカ」に関係するもののみ、表示します

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