涼宮ハルヒ セカイ系とゼロ年代

「涼宮ハルヒの憂鬱」を繰り返し取り上げてきたところで、前回で最後にしようと思っていたのですが、1つ取り上げるのを忘れていたテーマがありました。それが記事のタイトルに書いたとおり、「セカイ系」とか「ゼロ年代」というものです
「ゼロ年代」とは評論家の東浩紀らがしきりに多用する用語で、一般的には「2000年から2009年までに発表された作品の間で想像、共有された世界観」を指します。ですが、ここまでは「ゼロ年代」の作品でそれ以降は別物、という風にバッサリと割り切れるものなのか、疑問に感じてきました
あるいは「涼宮ハルヒはセカイ系である」といった決めつけにも疑問があり、シリーズ全体を眺めれば首を傾げたくなるところがあります
今回は評論家佐々木敦の「サブカル論参考『SOS語る団はもう解散している』」から一部を引用させてもらいます
2000年代冒頭から、小説の分野ではジャンルを横断する作品の台頭が顕著になったと指摘しています

サブカル論参考「SOS団はもう解散している」
(前略)
フィクションの世界に目を向けると、この時期はいわゆる「セカイ系」というキーワードが、あちこちで持ち出されていた頃である。作中世界の何もかもが、結局のところはハルヒの無意識に帰着する『ハルヒ』も、言うまでもなく一種の、というか究極の「セカイ系」と捉えることが出来る。色んな定義があるのだろうが、とりあえず「セカイ系」とは、言ってみれば「世界」を、地球とか宇宙とか過去とか未来とかをあっさりと超えた、ほとんど無限に近いものにまで一旦拡張し捲ったうえで、いきなり学校とか教室とかお茶の間とか自室のレベルにまで縮減し、遂には誰かの脳内の妄想とか想像に行き着いてしまうという、デカルト的懐疑の極端な真に受けというか、ベタな独我論のようなものである。クラスメイトが神(みたいなもの)であり、その周りに宇宙人や未来人や超能力者なんかが、それぞれのカテゴリの命運を賭けて集ってくるなどというのはその最たるものだろう。
(中略)
何が言いたいのかといえば、ハルヒ登場の前後に、小説のジャンル崩壊みたいなことが、各所で勢いよく進行していたという事実である。それは大きく二方向から成る。個々のジャンル内における自己批評(とそれに伴う変質・歪曲)的な側面と、他/多ジャンルの混交(とそれに伴う「ジャンル性」の再編成)という側面である。牽引したのは疑いもなく「メフィスト」と「ファウスト」(は二〇〇三年九月創刊)だろうが、星海社設立へと連なる太田克史の理念や理想とはまた別に、いわば「小説」は自らのサヴァイヴの為にこそ、それなりに有効に機能してきた「ジャンル」なるものを根本から見直さざるを得なくなっていたのだし、何よりそれは個々の作家たちの意識無意識の内で、或る必然性を持っていたのだと思われる。そして考えてみれば(考えてみるまでもなく)、そもそもライトノベルとは明らかに、小説にイラストという「小説」以外の「ジャンル」を合体させたことによって(商業的な次元でいうなら、ほとんどそれのみによって)成功したのである。

過去の日本の文学史におけるムーブメントを例に挙げるまでもなく、同時多発的に類似した傾向の作品が登場したり、同じ発想・思想による作品が相次いで生まれるケースがあるわけで、セカイ系とされるライトノベルや漫画が同時多発的に登場したと認められるのでしょう
その中でも「涼宮ハルヒの憂鬱」が商業的成功を手にしたのですから、ライトノベルでセカイ系を代表する作品であるかのように語られるのはやむを得ないところでしょう
ただし、涼宮ハルヒがサブカルチャーにどのような影響を及ぼしたのか、あるいは社会をどう変化させたのかを問わずに、「セカイ系だから」と決めつけて満足する風潮は大いに不満です
以前、「9・11以降、世界は変わってしまった」との物言いを当ブログで批判しました。同じ理屈で、「涼宮ハルヒ」以前も以降も世界は大きく変わってなどいない、と主張することも可能です
ただ、それは保留しておきます。社会的影響がどうであったか、というのも興味深いテーマですが、現時点で語れるほど洞察できているわけでもなく、そちらも先送りです。ハルヒのコスプレが流行ったとか、「ハレ晴レユカイ」を踊ってYou Tubeに投稿するブームがあったとか、記憶にある程度では何も語れませんし、どこにもたどり着けません
ともあれ、漫画やライトノベル、アニメーションに出現したセカイ系とはどのようなものであったのか、佐々木は次のように説明します

「セカイ系」の起動因とは何だったのか? それは端的に言って、現実否認と自己承認欲求の掛け合わせである。つまり平たく言えば、現実と日常がどうしようもなく辛く、堪え難いからこそ、甘美にして安心なフィクションへと逃避したくなる、そうするしかない(と思ってしまう)のであり、それゆえ逃げ込むべき虚構は、まず第一にはっきりと非日常的であることが必須だった。だが同時に、その甘美さは単なる欲望充足であってはならず、その安心さは自己満足的なハッピーエンドで決着してはならない。それではあまりにも単純過ぎる。それでは単に現実と日常のキツさの反転にしかならず、対立物は裏から支えるものだから、最終的にはキツさを強化するだけだからだ。したがって「セカイ系」の代表的作品の多くは、いわば肯定的な悲劇になる。たとえば「ぼく」にとって「世界=セカイ」と完全に同義/同値のヒロイン(きみ)は儚くも消滅する、最初から消滅すべき定めにしたがって消滅するのだが、それと引き換えに「ぼく」は生き残った自分自身の存在を以前よりポジティヴに受け止められるようになり、後には反復可能な想い出が残される。つまり、まず「世界」が「きみ」に変換され(或いは「きみ」が「世界」に変換され)て「セカイ」になり、その「セカイ」が抹消される(=「きみ」が永遠にいなくなる)ことによって「世界」が回帰する、それを失われた「セカイ」の「記憶」が底支えしている、という構造である。

厳密に定義を当てはめようとすれば、「涼宮ハルヒの憂鬱」とそれ以降のシリーズを同じジャンル(セカイ系)と解釈するのは無理があるというのが自分の意見です
SOS団に日常を描写した短編(「孤島症候群」など)は、それでも奇天烈な事件を含むわけですがセカイ系に含めるのは無理であり、含めてしまえば逆に何でもありになってしまいます
なので「涼宮ハルヒ」シリーズをまとめてセカイ系と断定するのはいかがなものか、と思うと同時に、日常を描写した短編までも非日常系と断定するのは居心地が悪い感があります
ただ、中編や短編を細かく日常系や非日常系に分類したところで、何かが得られるわけでもありません。セカイ系とそうでないものに分けるのも徒労でしょう
ジャンル分けなどいまさら無駄であり、無意味だとする意見もあるとは思いますが、読者の側からすれば重要です。バスケットボールの青春物と思って読み始めた「黒子のバスケ」が、いつの間にか高校生探偵黒子が活躍する推理小説もどきになったとすれば、読者は呆れるわけで
「涼宮ハルヒの直観」も何やら推理小説もどきになっており、次からは「名探偵涼宮ハルヒ」になりそうな予感がありありです

二〇一一年五月、約四年ぶりに『涼宮ハルヒの驚愕』上下巻は鳴り物入りで発売された。非常に興味深いと思えるのは、『憂鬱』から『驚愕』に至るまで、実のところ『ハルヒ』とは、一貫してすこぶる反時代的なライトノベルであるという事実である。そのことはここまでで多少とも明らかになったのではないかと思う。このシリーズが大量の読者を抱えており、それは更に飛躍的に増える最中であるということは、このことに関係があるのかないのか、わたしは今これ以上の意見を述べたいとは思わない。

ライトノベルとして初版上下巻で102万部も刷ったのですから、「驚愕」は商売として成功した部類に入るのでしょう。しかし、内容からすればどうしようもない失敗作であり、ファンの大量離脱を招いたのではないか、と思います。実際に調査したわけではないので、そこは自分の思い込みかもしれませんが、「ハルヒ=オワコン説」が顕在化したのは事実でしょう
同時に、涼宮ハルヒ的セカイ系の終わりを意味していたとも考えられます
ただし、佐々木敦は朝日新聞での書評で、「『驚愕』は前作『涼宮ハルヒの分裂』の続きである。ハルヒのライバル(?)の佐々木という少女が登場し、説明もなく物語は二つに分岐する。片方ではSOS団に新入生が入ってきたりと平穏な日々が続き、もうひとつの世界ではSOS団始まって以来の大ピンチが訪れる。誰もが覚えがあるような高校生活のディテールと、あまりにも荒唐無稽なストーリーとの、絶妙なる合体。ファンならずとも夢中になること請け合いの面白さである。ただし初めて読むなら第一作から読んだ方がいい」と書いており、「驚愕」も読むに値する作品と評価しています。「荒唐無稽なストーリー」は褒め言葉なのでしょうから
であるにせよ、「驚愕」の評価を変えるつもりはなく、ハルヒ的セカイ系の終わりに寂しさを感じたのでした。もっと「大きな物語」に成長する可能性があると思っていただけに

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