「エヴァンゲリオン」を巡る言説 賛否の行方

エヴァンゲリオンの完結編である「シン・エヴァンゲリオン劇場版:||」の公開にかこつけて、新旧のエヴァンゲリオンについての論評を取り上げています。さすがに公開されたばかりの「シン・エヴァンゲリオン劇場版:||」についての踏み込んだ論評が登場するまでには、もう少し時間がかかるのでしょう。映画レビュー程度の記事ばかりが目に付き、これといった論評にはなかなか出会えません
少し古いのですが、「エヴァンゲリオン」を巡るさまざま言説に眼を配って書かれた、樫村愛子愛知大学教授の論文を今回は取り上げます
四半世紀もの間、さまざまに論じられてきた作品だけに、その論文、批評の類は膨大なものになっているのでしょう。どなたか、きちんとした「エヴァンゲリオン・データベース」を作っていただけると助かるのですが(既にあるなら、教えて下さい)

『エヴァンゲリオン』の文化分析

2.エヴァを巡る言説
ここで、エヴァを巡る社会的言説ー社会的反応について見ておこう。非常に大雑把なな分類をするならば、それは、「エヴァ批判」と「エヴァ評価」の二つに分けられ、多くの批判と評価の内実は、エヴァに見られるオタク的自閉性を批判するか評価するかにほぼ収束しているとおもわれる。
前者の批判側は、いわば「他者」であるオタクを、「社会適応不能者ー自閉者」として批判するものであり、後者の評価側は、オタクのいる場所は、彼らにとって自由選択されたものではなく、余儀なく置かれている周辺的居場所であることを指摘し、そこにおける独自の表象様式を認め、高みから批判するべきではないとするものである。しかし、後者の議論においても、論者たちにとってオタクは結局「他者」であり続け、後者の議論は、前者の批判に対する批判理論としてしか機能しておらず、オタクの場所のもつ意味を、私たちの社会の問題として捉える視点は弱い。
そこで、私は、特に、批判理論に終わっている後者の議論を補足し乗り越え、前者の議論の示唆するオタクの自閉性のもつ問題も含めた社会分析を行いたい思う。
が、ここで、それぞれの言説の具体的な中身をもう少し紹介しておこう。
まず、前者の議論である。特に、最終二話が、現実とは切り離された自己実現として終了してしまう点を、大塚英志は「自己啓発セミナー的だ」と批判し、宮崎哲弥は、「表現個人主義の限界」として共同体の危機を読んだ。また、上野俊哉は、この作品が閉じた箱庭的世界観を反復し、「自閉的な世界に逃げ込むだけの解釈の袋小路に向かっている」とし、日本が排除している、移民他の世界的現実は全く言及されていないとする。

この論文は2002年3月発行の紀要に掲載されたものです。当時はまだ「オタク」が論争の対象だったのでしょう。今回の「シン・エヴァンゲリオン劇場版:||」公開に伴い書かれた論評を見ても、「オタク」などという用語はほとんど登場しません。せいぜい、往時を回顧する文脈の中に登場する程度です
なので、樫村論文に頻繁に「オタク」が登場するのに逆に驚いてしまいます。気がつくのは、「エヴァンゲリオン」に惹かれ魅せられたのは決して「オタク」と呼ばれるコアなマニアだけでなく、一般の青少年から中年まで幅広い層だった、ということです。なので、「オタク」を特異な存在という前提で扱うこの論文には違和感が生じます。が、それはそうとしてオタク=自閉的世界に逃げ込んでいる者という決めつけは、現在の風潮からすれば不適切な決めつけでしょう
先日取り上げた大塚英志が日本経済新聞で語っている記事は、「エヴァンゲリオンは時代を先取りした作品」であると褒めていました。ここでは「自己啓発セミナーみたいだ」と批判しているのですが
論者の意見も四半世紀を経ると変わるのであり、それは特段批判すべきことではありません
さて、上記の見解はいずれも「エヴァンゲリオン」は失敗作との評価であり、失敗作だからダメ、という判断です
過去、TVアニメにおいても失敗作は山ほどあり、それらは論じられる機会もなく忘れ去られてしまったのですが、失敗作であるはずの「エヴァンゲリオン」がいつまでも語られ、論じられること自体、失敗作との評価に反するわけです

これに対し、この作品を症例的に読むものを見ていいこう。香山リカは、「使徒から地球を守るという大きな使命を担った特務機関ネルフの人たちが、そろいもそろってこうしてファミリーロマンスに巻き込まれてしまうのはどうしてなのだろう」と問いつつも、「地球を救う戦士たちが、大義名分でも『人類の平和のために闘うぞ』とはいえず、ファミリーロマンスの中でしか生きられないということが、この作品の最大の衝撃であり魅力だろう」と指摘し、この作品を否定しない。また、岡真理は、「自ら生き延びるために友人を傷つけ、自らが生き延びるために逡巡の果てに唯一の親友(カヲル)を殺した十四歳の少年が、人間が生きるということの、生き延びるということの暴力性を知っている彼が、それえもなお、類的存在として安らぐことを拒否して、この暴力のただ中へ、共約不能な他者との関係性の中へ、個別的存在として回帰してくることを、人間の運命として選ぶ、それはなぜなのか」と共感的理解を伴いながら問い、「その答はテクストの内部にはない」としている。また澤野雅樹は、「エヴァの最後の二話を自己啓発セミナーといって悦に入る人々は、マイノリティになったこともない人格者たちである」とし、自ら左利きの経験から、「社会の記憶術が手に刻印されている時、適応とは抑圧である」とする。そして、「巨大な敵と対峙する恐れをエヴァほど生々しく描きえた作品はなかった」とし、「シンジが『逃げちゃダメだ』とくり返すのは、使徒が恐ろしいからだけでなく、使徒から逃げることで、誰からも愛されなくなることが恐ろしいからである」と述べている。

作品を肯定する意見もさまざまです。つまるところ、「作品に見るべきものがあったのなら、語るべきものがあったなら否定しなくてもよいのでは?」との考えが成り立つのではないでしょうか?
作品を肯定する論拠もさまざまですし、作品に関連して主張する意見もまちまちです。ただ、そうしたさまざまな肯定が可能であるところが、エヴァンゲリオンの人気の原点であるのかもしれません
単に使徒から地球を守り、人類を守る話を24話やっても仕方がないのであり(それならウルトラマンを観ていればよいので)、使徒との闘いがいつの間にかエヴァ・パイロットであるシンジやアスカ、レイの内面を描く話になり、深みを増して行くところで、自分は背筋がぞわぞわします
この先、樫村論文は最終二話についての考察があり、アニメオタクに迎合することなく、己の表現したいものを最後の二話で描ききった庵野秀明監督の意図に賛同しています。精神分析の考えからすれば、あの二話はあれでよくできていると樫村論文は結論付けており、自分も同感です
樫村論文の「(4)シンジの治癒」と「(5)最終二話のもちオタク的論理」については語りたいところ、疑問に思うところもありますので、別の機会に取り上げることにします
ただ、あの最終二話ゆえに庵野秀明監督はアニメオタクから裏切り者と呼ばれ、作品を投げ出したと批判されたのであり、結果として四半世紀も「エヴァンゲリオン」に関わるようになってしまったといえます
アニメオタクが望んだのは、シンジとエヴァンゲリオンが覚醒して超常的な力を発揮し、使徒やら量産型エヴァを粉砕し、「人類補完計画」などの伏線がきっちり回収される展開だったのでしょう
が、伏線回収して、シンジとエヴァンゲリオンが無敵の強さを発揮して、それで何が得られるのか、という問題があります。アニメオタクにとっては大満足かもしれませんが、「エヴァンゲリオン」の物語としては破綻していたのかもしれません

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