韓国 「ノーベル文学賞のインフラが整った」

韓国メディアの記事をチェックしていると、トンチンカンな主張に出くわすのが珍しくありません。大上段に振りかぶり、何やら意味深な発言をしているつもりなのでしょうが、日本人の感覚からすればあまりに滑稽でバカバカしく聞こえます
特に目につくのがエンターティメント系の記事で、「韓流はすごい。世界中で人気だ」という自惚れが溢れ出て胸焼けしそうなほど、盛りに盛った言い回しが見られます。以前も紹介したように「世界を制覇した韓流」とか「日本征伐を完了した韓流」等の表現は韓国の読者にとって心地よいのでしょうが、繰り返し使うとバカにしか見えません
さて、今回はノーベル文学賞の記事を取り上げます。韓国文学を外国語に翻訳して国外に紹介する部門のトップが、「ノーベル文学賞のインフラが整った」と大言壮語しています
最近では韓国人作家チョ・ナムジュの「82年生まれ、キム・ジヨン」がフランスの「アジア文学賞」にノミネートされ、評価が高まっているのは事実です(残念ながらアジア文学賞は受賞ならず)


「『韓国文学の世界化』という言葉を、これ以上使わない。韓国文学はいまや、世界文学の堂々とした一員として 新たな章を開くべきだ」
韓国文学翻訳院のクァク・ヒョファン院長は今日(6日)、ソウル セジョン(世宗)文化会館で開かれた記者会見で「“韓国文学の世界化”は、1990年代 世界に向けて『韓国文学をどうか知ってほしい』と願って 身もだえした時に使った言葉だ」として、韓国文学の成長した地位を強調した。
クァク院長は ハン・ガン(韓江)、キム・ヨンハ(金英夏)、ユン・ゴウンなどの韓国作家たちによる海外文学賞の受賞、世界的なKカルチャー旋風などを言及し「韓国文学が 現在おかれている多様でダイナミックな状況は、チャンスとも危機ともなり得る」とし「韓国文学翻訳院の役割もまた、韓国文学が世界文学へと進んでいけるようにすることだ」と語った。
特に クァク院長は「韓国文学は、ノーベル文学賞の受賞を期待することのできるインフラを十分整えている」と評価した。クァク院長は「日本が1990年代までに約4000種の本を海外に翻訳・出版し、これを基に1994年 大江健三郎氏がノーベル文学賞を受賞した」とし「韓国も1980年以降 海外に紹介された韓国文学の種が、韓国文学翻訳院の翻訳した1528種を含め2500種ほどになる」と説明した。
つづけて「過去において 韓国文学が、何の基盤もなしにノーベル文学賞を望んでいたとすれば、いまや世界文学の一員として 基本的なインフラが備わっているだけに、非常に重大な岐路に立っているということができる」と付け加えた。
ただ「ノーベル文学賞が、韓国文学の目標となってはならない」と強調した。クァク院長は「シン・ギョンスク(申京淑)、韓江のような作家たちが 海外の文学賞を受賞した後 優秀な作家としての地位を築いたように、韓国文学も ノーベル文学賞は目標ではなく 世界文学としての地位を築くために進んで行くことにおいての “一つの関門”としてみるべきだ」と語った。
(WoW!Koreaの記事から引用)


まず、世界的なKカルチャー旋風などというものは存在するのでしょうか?
韓国ドラマが世界で人気だと煽るのが常ですが、人気のあるドラマはごく一部の作品だけであり、他の作品はケーブルテレビやインターネット配信の隙間を埋めるために使われているだけです
朝日新聞や毎日新聞は昨年から今年にかけて「韓国文学がすごい」との記事を掲載していますが、残念ながら韓国文学ブームと呼べるほど社会に影響を与えてはおらず、一部の愛好家同士で盛り上がっているだけです
上記の記事は、日本が文学作品を翻訳して海外に広めた結果、ノーベル文学賞に結び付いたので、韓国も真似してるというだけです。それで「インフラが整った」だの、「韓国文学はもはや世界文学である」と断言するところに苦笑するしかありません
実際、大江健三郎が海外で広く読まれるようになったのは、フランスやイタリア、中国などの熱心な研究者が大江作品を翻訳して自国に紹介したからです。同じように三島由紀夫作品を積極的に英語に翻訳して紹介したドナルド・キーンの存在も大きいのです
つまり翻訳にとどまらず、研究対象として取り上げられ、論文にもなり、学生に教えるという流れがあってこそ、広く深く読まれるに至ったのであり、評価を得たのです
韓国文学の熱心な研究者が海外に幾人もいてこそ、世界文学たり得るのです
クァク・ヒョファン院長はそこが理解できていないようです。翻訳して出版し、書店に本が並べばノーベル文学賞が取れる…と思い込んでいるのでは?
ただ、韓国の翻訳事業がまったく無駄というわけではなりません。女性推理作家ユン・ゴウンの「夜の旅行者たち」は翻訳事業によって英訳され、イギリス推理作家協会のダガー賞を受賞しており、長い推理小説の歴史に爪痕を残しています
なので、韓国のさまざまな小説が世界各国で読まれるようになってきたのは確かでしょう

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村上春樹「ハナレイ・ベイ」 深い余韻と波

動画配信サイト「GYAO!」で村上春樹の小説を映画化した「ハナレイ・ベイ」が7月20日までの間、無料公開されています
以前から見たいと思っていた映画でしたので、さっそく朝から視聴しました
何と言っても主演の吉田羊が圧巻です。残念ながら映画館で公開されたときには話題にもならず、興行結果もいまいちだったのですが
原作「ハナレイ・ベイ」は村上春樹の短編集「東京奇譚」に収められた一編で、読んだ後に深い余韻が胸中に残る不思議な小説です
話のあらすじを「GYAO!」のサイトから拾うと、以下のように書かれています


シングルマザーのサチ(吉田羊)は、息子のタカシ(佐野玲於)がハワイのカウアイ島にあるハナレイ・ベイで亡くなったことを電話で知らされる。大好きだったサーフィン中に大きなサメに襲われ死んだという。彼女は、彼が命を落としたハナレイ・ベイへ向かい、海辺近くの大きな木の下で読書をして過ごした。毎年、この「行為」は続いた。同じ場所にチェアを置き、10年間。だが、彼女は決して海には近づかない。ある日、サチは2人の若い日本人サーファーと出会う。無邪気にサーフィンを楽しむ2人の若者に、19歳で亡くなった息子の姿を重ねていくサチ。そんな時、2人から“ある話”を耳にする。「赤いサーフボードを持った、片脚の日本人サーファーを何度も見た」と……。サチは決意する。もう一度、息子に会うために──。

映画の予告と、上記と同じように「GYAO!」のサイトにあるイントロダクションを貼っておきます
映画『ハナレイ・ベイ』予告編


伝えたい。どんなにあなたを愛しているかを。
時代に刻まれる名作・話題作を発表し続ける作家、村上春樹。単行本と文庫本あわせ累計70万部を超えるロングセラー『東京奇譚集』(新潮文庫刊)の一篇である「ハナレイ・ベイ」は、ファンの間で村上文学史上屈指の名作として語られており、この度待望の実写映画化となる。主人公のサチを演じるのは吉田羊。主演から脇役まで目覚ましい活躍をみせ、まさに今最も輝く女優の一人である彼女が、本作では“これまで誰も見たことのない吉田羊”と評されるにふさわしい、圧倒的な存在感を放つ。サチの息子タカシを演じるのは佐野玲於(GENERATIONS from EXILE TRIBE)。近年は俳優としても頭角を現す彼の、全く新しい一面を本作で目にするだろう。また、サチがハナレイ・ベイで出会う日本人サーファーの高橋には、抜群の感性と自然体な演技で最注目の若手俳優、村上虹郎。監督は『トイレのピエタ』が批評家から絶賛され、日本映画界の新鋭として期待を集める松永大司。


最近のテレビドラマのように、役者が機関銃並みに台詞をまくし立てたりはしません。ハワイの波の音や鳥のさえずりが響き、海辺で吉田羊が椅子に座って本を広げている…。テレビドラマに見慣れてしまった方は、あまりに台詞が少なくてドラマを見ている気がせず、「もっと説明しろよ。もっとしゃべれよ」と突っ込みを入れたくなるのではないでしょうか?
今のテレビドラマは何でもかんでも台詞で説明しようとするため、ともかく役者がしゃべりまくらないとドラマが成り立たない傾向があります
「ハナレイ・ベイ」は逆に、登場人物たちの台詞は最小限であり、立ち姿、表情、視線で物語が進められます
なので、視聴した後、久し振りに映画らしい映画を観た気分になりました
物語は深い喪失感を胸の内に宿したサチが、ハナレイ・ベイの浜に息子の姿を探し求めるものであり、いつもの村上春樹の小説にある「喪失」がテーマです
ただ、サチだけが特別というのではなく、サチが出会うハワイの人たちもそれぞれに身内を失った悲しみを内に宿しています。ただ、彼ら彼女らの悲しみをサチは受け入れらず、「自分とは関係ない」と当初、切り捨てています。そこは台詞ではなく、吉田羊が表情のみで表現しています
そして本当の悲しみは後から、静かな波のように押し寄せます。片足で浜に立つ日本人サーファーの噂を耳し、サチは懸命にその姿を捜すのですが、彼女にだけはその姿が見えない。どれだけ求めても
もちろん、いつかはサチの目の前に彼(息子)が現れるかもしれない。そのためにサチはまた、ハナレイ・ベイを訪れるのでしょう
原作小説とは微妙に異なりながらも、味わい深い映画になっています

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