女性をボンネットに乗せ暴走 住職逮捕

あおり運転、危険運転に加え、コンビニエンスストアに高齢者の運転する車が突っ込む事故が頻繁に報道されています
車は走る凶器であり、人にぶつかれば簡単に命を奪ってしまう機械なのですが、毎日運転している人はそうした感覚を失ってしまうのでしょうか?
茨城県笠間市で寺の住職(78歳)が自分の車のボンネットの上に若い女性を乗せたまま走行し、さらには振り落とそうと蛇行したり急ブレーキをかけたりで、殺人未遂容疑で逮捕されたと報じられています
78歳にもなって何をしているのやら


茨城県警石岡署は4日、交通上のトラブルのあった女性をボンネットに乗せた状態で車を約960メートル走らせたとして、殺人未遂の疑いで、笠間市上郷、住職、田代貫章容疑者(78)を現行犯逮捕した。
逮捕容疑は同日午後0時半ごろ、笠間市泉の国道355号で、交通上のトラブルから車の前に立ちふさがった坂東市、歯科衛生士、女性(30)に対し、車を発進。女性がボンネットにしがみついたにもかかわらず、そのまま車を走らせ、蛇行運転や急ブレーキをかけるなどした疑い。
同署によると、田代容疑者は女性に対し、ボンネットに乗せて走ったことは認めているが、殺意は否認している。女性とは面識がなかった。田代容疑者と女性は常磐自動車道でトラブルになり、小美玉市の小美玉スマートインターで下り、笠間市方面へ向かっていたという。同インター付近で女性の関係者から「車に足をひかれ、逃げられた」などと、110番があった。
(茨城新聞の記事から引用)


別の報道によれば、女性の方が田代容疑者に「あおり運転をされた」と申し入れ、トラブルになったのだとか
昼間の時間帯ですし、田代容疑者は現場から車で立ち去ろうとせず、警察を呼んで話し合えばよかったのではないかと思うのですが
田代容疑者がパニック状態になり、車の前に立ちはだかる女性を無視して発進させ、女性が車のボンネットにしがみついたのでさらにパニックになった可能性は考えられます。が、それでも女性をボンネットから振り落とそうと蛇行したり、急ブレーキをかけたら転落して重傷を負う危険があるわけで、殺人未遂に問われるのは当然でしょう
冷静に対処すれば大事にならないものを、わざわざ最悪の事態に至らしめる真似をするのですから言葉もありません
僧侶だから、78歳だからと指摘するまでもなく、車を運転する以上、他者の安全に十分注意を払う義務を負うわけです。それができないのなら運転してはいけません
田代容疑者は日蓮宗一心寺の住職のようです。日蓮上人もさぞ、苦い顔をしておられるのではないでしょうか
最近の判決を見ると80歳以上の高齢者であっても有罪判決が下され、刑務所に収監されるのが当たり前です。高齢を理由に実刑を免れる可能性は限りなく低いのであり、殺人未遂で悪質な行為(運転)と判断されれば実刑もあり得ます。弁護士を立てて必死に示談に持ち込もうとすると思われますが

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下関無差別殺人での死刑判決に疑問 青沼陽一郎

何かと話題を提供してくれる週刊文春ですが、中には理解に苦しむ内容の記事も少なくありません
文春オンラインに掲載されている青沼陽一郎の『「私が見た21の死刑判決」より』を、今回取り上げます。これは文春新書から出ている同名書の抜粋のようです
死刑判決の下された事件を、ジャーナリストで作家である青沼陽一郎なりの視点で描いたものですが、よくあるジャーナリストの独りよがりな作文です。自分だけが鋭い時代感覚で事件と事件を取り巻く社会の異常性を捉え告発しているのだ、と言いたいだけの内容でしょう
長文の記事なので、文末の部分のみ引用します。全文を読みたい方は文春オンラインにアクセス願います
記事では1999年9月、JR下関駅にレンタカーで突っ込み、包丁で駅の利用客5人を殺害し、10人に重軽傷を負わせて死刑判決を受けた上部康明について触れたものです(上部死刑囚は2012年3月に死刑が執行されています)

「ただでは死ねない」睡眠薬120錠を飲んで駅に突っ込んだ下関通り魔事件にみる死刑相当事犯の“奇妙な共通点”
(前略)
最初に社会や組織、集団に適応できない個人としての存在がある。そこに苦しみを感じる。しかし、社会は決して自己に対して適応しようと変わってくれるものではなかった。それこそ、母親の胸のうちにあり、父親の経済的庇護の下にあった子どもの頃であれば、家族という最も小さな世界の側が包み込んで融通していてくれたからよかった。それが大人になると、父も母も離れていく。世界が変わらないのであれば、自分の側が変わるしかない。そこで診療を受け、あるいは修行によって、自らを変えていこうとする。時にはクスリの力にも頼る。内側を変えようとする。それでも、思ったような自分にはなれずに悩む。社会的に優位に立てると信じた学歴には裏切られ、あるいは学歴がないことをその原因のひとつと考える。異性への憧れも異国への逃避行にも裏切られた。変わろうとした努力する自分に罪はない。あるところまでいって、自己が変化することに頓挫したとき、究極の変革は自分を失うこと、すなわち自殺にあると知る。それが苦しみからの解放である。どうせ死んで無くなるならば、最後に世界の側に働きかけることで、今ある環境に手を加えてみようとする。世界に向かって自分の存在を確かめようとする。攻撃性は自己変革の失意がもたらした命の取引である。どうせ最後なら、世界の変革へと挑み、人を傷つける。受け入れてくれない社会を、自分とは違う他者を変えようとする。平等に同じ失意の痛みを味わわせる。他者であれば誰でもいい──。
2008年6月に発生した、秋葉原の通り魔事件だって、下関の事件と基本的には同じパターンだろう。
車で人通りの中を疾走して殺し、刃物を持って通行人を追い回す。そして、その場で取り押さえられて観念する。ぼくにいわせれば、同じことを繰り返しているに過ぎない。
「殺人者はみんな異常じゃないですか」
自分を変えるつもりが、麻原という虚像に全てを投げ出してしまったのがオウムということになる。服従することで理想の自分が手に入る。迷うこともない。責任は教祖が担ってくれる。悩みから解放された世界。その特異な空間が現実の世界を変えようと、ある日攻撃を仕掛けてきただけのことだと、ぼくは思っている。
ところが、攻撃を受けた側では、まったく身に覚えもなければ、恨みを受ける因果もない話だった。人の命を奪わないという最低限のルールと共通認識の中で安全に暮らしている人間からは、理解のできない行為にほかならない。
そこで、鑑定によってその時の殺人者の内側を探ろうとする。合理的な説明を求めようとする。本当に理非分別能力に欠けていたのなら、社会のルールすなわち法律によって刑事責任は問えないことになる。
物理的な薬物による作用が認められたのが、ハイジャック犯だった。
そうでないものには、死刑が適用される。
では、その判断は誰がするのか。
それが裁判官であり、これからは裁判員ということになる。
怖いことに、裁判員の中にはハイジャック犯と同じクスリを呑んでいる人も入ってくるかもしれないのだが──。
3通りの専門家による見解と、刑事責任能力の有無が分かれた鑑定結果から、5人を殺した下関の通り魔には、結局、死刑の判決が言い渡されている。
ひとりの被告人にいく通りもの診断、鑑定結果がでてくることが、精神鑑定の不確実さを証明しているようなものだ。
鑑定結果そのものもどこまで信用していいものか。どこまでが責任を追及できて、どこまでが責任を免れるのか。どこまでが異常で、どこまでが正常なのか。
(以下、略)

長文の記事です。これでも文春オンラインで2回に分けて掲載されている記事の1回分から、その一部を引用しただけなのですが
まあ、「ポエムかよ」との突っ込みは横に置いて、自分の思うところを手短に述べます
上記の記事で赤線表示をした部分が自分としては納得できないところであり、異論を書きます
上部康明死刑囚については、起訴前に簡易鑑定が1回行われ、その後山口地裁下関支部の判断で精神鑑定が行われ、福島章上智大学名誉教授と保崎秀夫慶応大学名誉教授がそれぞれ鑑定を実施しています。日本で精神鑑定といえば福島章の名前が出るくらい、数多くの鑑定を実施してきた人物です。が、福島教授の見立ても、福島教授なりの理論による一側面であり、一側面でしかないのです
人間の精神状況など複雑怪奇で凸凹なものであり、それをA理論で分析すれば「Aの1」という鑑定結果が得られます。B理論で分析すれば「Bの1」という鑑定結果が得られるでしょう。なので、1人の被告人に対し異なる鑑定結果が出るのは不思議でも何でもありません
凸凹で複雑怪奇な塊にどの角度で光を当てるかにより、見え方は異なるのですから
精神鑑定というのはそうしたものです。以前、当ブログで昔のニュース番組のコメンテーターが「精神鑑定は方法論が統一されておれず、鑑定する人によって結果のばらつきがある」と欠陥であるかのような指摘をしていました。しかし、その解釈は大間違いであり、複数の方法論によって鑑定をする(異なる角度から光を当てる)ことが重要であり有効なのです。精神鑑定を単一の理論だけで実施したのでは、一側面だけしか見ないのと同じです。精神医学でもその根幹となる理論はいくつもあり、どの理論を依り何処にするかで見方が変わります
この場合、福島鑑定も保崎鑑定も汲むべきところはあり、それを裁判官が判断して結論(死刑)を下しているのであり、現状の裁判制度として正常な手続きです。もし上部被告を死刑に処さないのであれば、被害者やその家族は報われません。ジャーナリストのセンチメンタルな回顧など役に立たないのであり…
青沼陽一郎は長く事件を取材し、現場を歩いてきた人物なのでしょうが、明らかに勉強不足です。もっと基本となる犯罪心理学や精神医学をきちんと学んでもらいたいものです
拘置所で被告人に20分ほど面会しただけで、その人物を理解した気になるのも大間違いです(多くのジャーナリストがこうした勘違いをし、いわゆる実録物と呼ばれるルポルタージュを書いています)
自分の経験を述べると、恐喝容疑で逮捕された男は、「自分はそんな事件、やっていませんよ」といかにも実直そうに主張していたのですが、深夜の就寝時間中に「テメー、俺を誰だと思ってやがる。殺すぞ」と寝言を繰り返していました。だから彼が恐喝犯だと決めつけられるものではありませんが、彼が夢(無意識)の中で恐喝を繰り返しているのは確かでしょう。面会場面だけが彼のすべてではありません
20分だけの面会で得られる情報に依存し、「自分こそが死刑囚の本当の姿を知っているのだ」などと思いこむのは大間違いです
追記:起訴前の簡易鑑定でも40万円から50万円、本格的な精神鑑定ともなれば80万円から100万円の費用がかかるため、1つの事件で何回も精神鑑定を実施するわけにはいきません。これはすべて国費で負担となり、国民の税金が使われるのですから

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南カリフォルニア大 性犯罪を繰り返した校医

南カリフォルニア大学の婦人科校医が、学生らに性犯罪を繰り返していた事件を先日取り上げました。事件の経緯を確認していませんでしたので、過去の記事を引っ張り出して貼っておきます
被害者からの申し出があったにもかかわらず、大学側は何の対応もせず放置し、挙げ句にジョージ・ティンダル医師が密かに退職することを容認していた、とあります。つまり大学側は事件化などせず、闇に葬る気だったのでしょう
2018年5月の報道は以下のようになっています

米ロサンゼルスで21日、南カリフォルニア大学(University of Southern California)に30年近く勤務していた医師から性的虐待を受けたと主張する女性5人が、医師と大学を相手取って裁判所に訴えを起こした。女性らは大学に被害を訴えたものの、大学側は医師の不法行為を放置していたという。
訴えられたのは昨年まで南カリフォルニア大の学生保健センターに婦人科の医師として勤務していたジョージ・ティンダル(George Tyndall)被告(71)。AFPがロサンゼルス郡上級裁判所から入手した訴状には、ティンダル被告が長年にわたって行ってきたとされる性的虐待の様子が詳細に記されていた。
原告女性の1人は2003年に婦人科検診を受けた際に無理やり膣内に被告の手を手首まで突っ込まれ、みだらなことを言われたと訴えており、また別の女性は2008年、初診にもかかわらず胸をまさぐられた上にいやらしい目つきで見られたという。
原告女性たちによると主任看護師が被害を大学が放置していることに驚き、学内のレイプ対応センターに報告。2016年になってようやく大学側は調査を開始したという。その後、ティンダル被告は昨年6月に「隠密に」退職することを認められたという。
(AFPの記事から引用)

そしてティンダル容疑者が逮捕されたのは2019年6月です。南カリフォルニア大の学長がティンダル容疑者の犯行を隠蔽していた責任を問われ、辞任したと書かれています

南カリフォルニア大学(USC)の婦人科医として30年近くにわたり勤務していたジョージ・ティンダル容疑者(72)が26日、患者400人以上に対する性的暴行容疑29件で逮捕された。
検察官によると、性的暴行はティンダル容疑者がキャンパスのヘルスセンターで働いていた2009年から2016年に起き、被害者は年齢17歳から29歳の学生ら。
USC側は2016年、ティンダル容疑者をめぐる疑惑についての調査に着手し、一連のスキャンダルは昨年学長を辞任に追い込んだ。大学側は、被害者による集団訴訟で2億ドル以上の和解金を支払った。
逮捕時、ティンダル容疑者は自宅に38口径リボルバーを所持していた。違法な所持である可能性が高く、警察が捜査している。
(Weekly LALALA の記事から引用)

事件が明るみに出てから逮捕に至るまで1年以上間があるのは、何とも不可解です。ティダル容疑者の方がどうなったか検索していますが、起訴されて判決が下されたのか、現時点では分かりません
さて、以前当ブログで取り上げた、ミシガン州立大の医師でアメリカ女子体操チームのチームドクターを務めていたラリー・ナサール受刑者による性犯罪事件では、332人の被害者に対し、ミシガン州立大学がおよそ550億円を支払うことになったと報じられています
もちろん、州立大学にそれだけのお金があるはずもなく、卒業生から寄付を集めたり、さまざまな方法で和解金を用意するのでしょう

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「シン・エヴァンゲリオン劇場版:||」 シンジとゲンドウの和解

「シン・エヴァンゲリオン劇場版:||」の公開にかこつけ、連日「エヴァンゲリオン」シリーズについて語っています
今回は文春オンラインに掲載されたアニメーション評論家藤津亮太の記事を取り上げます
主題はシンジとゲンドウの和解は成立するのか、というものです
劇場版をまだ観ていませんので、作品の中でシンジとゲンドウの関係がどう描かれているのか分かりません。が、分からないなりに検討し、心理臨床の場として和解が可能かどうかを思索を試みます

3回目の結末を迎えた『エヴァンゲリオン』 今だからこそ描かれた「描きたいもの」と「描かなくてはならないもの」
「こうなるしかない」かたち
では『シン・エヴァ』の人類補完計画では何が描かれたのか。それはシンジとゲンドウの直接対決である。そもそも『新世紀エヴァンゲリオン』はゲンドウがシンジを一方的にエヴァンゲリオンのパイロットにしたことが全ての始まり。しかしテレビシリーズもその劇場版も、そこを正面から扱うことはなかった。だからシンジとゲンドウの対決は、四半世紀を経て初めて正面から「描かれるべき部分が描かれた」ということができる。
とはいえその内容は決して驚くようなものではない。むしろ「こうなるしかない」と納得できる、とても自然なものだった。例えば、ゲンドウが人類補完計画を進める理由も、これまで描かれた通りだし、シンジとの関係についても、『新世紀エヴァンゲリオン劇場版 Air/まごころを、君に』でゲンドウが今際の際に語り、ユイに「シンジが怖かったのね」と評された通りだ。
ただ、重要なのは『シン・エヴァ』では、この自分の弱さをゲンドウが、シンジに対して語るところにあると思う。しかも情けないほど感情を露わにして。そこに2人が直接対決した意味がある。そして現実世界で成長したシンジだからこそ、弱さを吐露するゲンドウの姿も受け入れることができた。こうして過去の2つのラストを包含しつつ、登場人物たちの物語に決着をつけて『エヴァンゲリオン』は三度目の結末を迎えたのである。

一般論化するのが妥当であるかはともかく、ゲンドウを仕事にのめり込んで家庭を顧みない父親(そのくせ、愛人を作っていたりする)と見なして考えれば、息子であるシンジが父親に不信感を抱き尊敬もせず、「こんな大人にだけはなりたくない」と思うのは当然でしょう
さて、そんな父と息子の間で和解は成立するのでしょうか?
端的に言って「無理」だと考えます
もちろん、表面上の和解は可能でしょう。シンジが少しばかり大人になり、ゲンドウのずるさや身勝手をある程度許容できるだけの社会性を身につけられたのであれば
しかし、長い歳月をかけてこじれにこじれた親子関係を修復し、和解に持ち込むには時間もかかりますし、父親にも息子にも価値観や人生観の変容が求められます
世の中に断絶した親子がいかに多いかを思い起こせば、和解など奇跡のようなものといえます
ただし、そうではあってもエヴァンゲリオンの物語を完結させるためには、シンジとゲンドウが直接対峙し、そこで何かを語り合う場面が必要だったと推測します

「現在」に縛られながら作られてきた『エヴァンゲリオン』
『シン・エヴァ』は「描きたいもの(スペクタル)」と「描かなくてはならないもの(ドラマ)」が、どちらかがどちらかのためにあるという関係ではなく、融合というよりは、それぞれのまま2つの柱として屹立している作品なのだと思う。そこに最大の特徴がある。その点で世間が思う“映画”とは似て非なる形をしており、唯一といっていい(『:序』『:破』『:Q』とも異なる)作品として出来上がっている。観客が感じた圧倒的な体験は、この2つの太い柱の中で、自らの感性が激しく揺り動かされるところから生まれたものなのだろう。
さて黒沢は件の文章の終盤に、こんなことを書いている。“映画”という表現がなにかを問うてしまうのは、そこに「不変」を映画を成立させるよすがにしようという考えがあるからだ、と黒沢は指摘するのだ。
「つまるところ不変という名の甘美な幻想にあると思う。もし十年先の人がこの作品を見たとしたら、とか、これが仮に七〇年代活劇だったとしたら、とか想定して映画を作ることなどはできはしない。映画製作とはうんざりするほど現在に縛られた、本当は不変とは縁もゆかりもない営みだ。『いかがわしさ』も『出鱈目さ』も全てそこに起因している。ではテレビジョンとどこか違うのだ、と問われれば、私はあえて『違いはない』と答えるだろう。それでいい」
『エヴァンゲリオン』もまた、「現在」に縛られながら、その時と場所に適合した作品のあり方を探り、それぞれ3回の結論を出してきた作品といえるのではないだろうか。そしてそこに、ある種の「いかがわしさ」も「出鱈目さ」もまた生じていた。そして、それは今回の『シン・エヴァ』も例外ではない。
不変を夢見るのではなく、現在に縛られながら生み出されていく様々な作品たち。それは『シン・エヴァ』作中でもいわれた「明日生きていくことだけ考えよう」という、現在と未来を孕んだ言葉と、深いところで響き合っているように思う。

文中にある「現在に縛られながら」との表現を翻案すると、「時代の空気に影響を受けて」という意味合いだろうと考えます
25年前と現在とで、社会状況がどう異なっているのかは、当ブログで取り上げた「エヴァンゲリオン」の論評・論文でそれぞれ触れているところであり、当然ながらそうした影響はあるのでしょう
ただし、あまり過大に「時代の空気に影響を受けたいる」と決めつけるのはどうか、という気もします
25年前のTVシリーズを観る上で当時の社会情勢を頭に入れておく必要はないのでしょうし、現在公開中の劇場版を観るについても、コロナ蔓延の社会情勢だの閉塞感を頭に置いてスクリーンと向かい合う必要はないはずです
それこそが「映画が時代を超える」ことであり、映画によって「甘美な幻想に浸る」のが可能になるのでは?
つまり、「観る側も作る側も時代に縛られてはいけない」と考えます
そして「甘美な幻想」を提供するという目的のためなら、シンジとゲンドウの和解を描くのもありでしょう
さて、話をシンジとゲンドウの親子に戻すのですが、親子間の葛藤は延々と繰り返されてきた問題であり、基本はそのまま(オイディプス王の物語のように)でしょう
なので、今現在、親子の関係が過去(25年前)と比べて変化したとはいえません
そして碇シンジは設定上14歳から15歳になる年齢であり、シンジが急速に大人びて物分りのよい人物となり、清濁併せ呑む度量を備えるにいたる可能性は皆無です
まだまだ父親に反抗したがる年齢である以上、やはりゲンドウとの和解は実現不可能と結論付けるしかありません

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静岡の中学教頭 山本英仁の鬼畜な犯行

静岡県の中学教頭が少女2人を監禁しわいせつ行為をした事件で、静岡地方裁判所沼津支部は懲役12年の判決を言い渡しています
これで事件は一段落と言いたいところですが、現実には何も解決などしていないのでしょう。元教頭山本英仁被告と被害者との間には示談も成立していないようで、これから示談交渉が始まるのかどうか。山本被告側が示談に応じないのであれば、被害者側は山本被告の雇用主である静岡県を相手取って損害賠償請求の訴えを起こさなければならず、また時間がかかります
デイリー新潮が山本被告に対する判決を含め、記事にしていますので取り上げます

〈陰部に電動マッサージ器を挿入するなどの暴行を加え、その反抗を抑圧して同人と口腔性交し〉――3月15日の判決公判で読み上げられたのは、吐き気を催すような犯行態様だった。
***
およそ教職者とは思えない、獣のごとき犯行に及んだのは、静岡県沼津市にある市立中学で教頭を務めていた山本英仁(53)である。
昨年9月、あらかじめレンタカーに偽造のナンバープレートを取り付け、当時12歳だった中学生の少女を自宅付近で待ち伏せした山本。少女が帰ってくると、「荷物を運ぶのを手伝ってほしい」と嘘を言って車に誘った。そして、隙を見て彼女の手足をロープで縛り、口に粘着テープを貼った山本は、自分が管理する山小屋に彼女を監禁。服を脱がせると、〈陰部を直接指で弄ぶなどの暴行を加え、(中略)強制的に口腔性交し〉(判決文より)、その様子を携帯電話で撮影した。
警察がこの事件の証拠品を調べる中で浮上したのがもう一件の犯行である。こちらの被害者は当時13歳だった少女。2017年8月、「母親の承諾は取ってある」と嘘を言って自分の車に乗せ、車内にて冒頭で触れたようなおぞましい犯行に及んだ。さらにその様子を携帯電話で撮影し、事件のことを話したら「動画をばらまく」と脅したのだ。
山本と彼女は、過去に児童相談所勤務時の担当者として接点があった。また、山小屋に監禁された少女とは、勤務していた中学校の教員として面識があった。そのため、おそらく全く警戒心を抱かずに山本の誘いに応じたであろう彼女たちは、その獣のような本性を目の当たりにした時、どれほどショックを受けただろうか。「動画をばらまく」と脅されていた少女は「死んで償ってほしい」と公判で意見陳述したが、下された判決は懲役12年だった。
妻は学校の「マドンナ」
山本が勤務していた中学校に娘を通わせているという保護者の一人が語る。
「同じ年頃の娘をもつ身としては本当に驚いています。逆に娘の方は冷めたもんで、“ふーん、やばー”とか言っておしまい。そういう変なことをする先生って、雰囲気が独特で分かるものですが、山本先生はそういう感じは全くしなくて、むしろしっかりした先生だなと思っていたので意外です」
(中略)
「山本先生の奥さんは同じ中学の保健体育の先生で、優しくて美人だったから、マドンナじゃないけど、男子生徒の中には憧れていたヤツもいたくらい。当時は山本先生も20代後半くらいで、色黒でスポーティーな感じだった。女子生徒からも人気があったから、今回の事件は本当に信じられません」
山本の自宅近所の住人によると、
「山本さんの家は元々教育者一家。奥さんだけではなく、もう亡くなっているおじいちゃん(山本の父)も教師で、校長先生までやった。この地区でも区長を任されて信頼されていました。おばあちゃん(山本の母)も昔、小学生向けの学習塾をやっていました。山本さん夫妻には子どもが3人いて、上から女、男、男。長女は大学生で、一番下はまだ中学生くらいかな」
自分の子どもと同年代の少女を、歪んだ性欲のはけ口にしていたわけである。
(デイリー新潮の記事から引用)

山本被告の家族は判決をどう受け止めているのでしょうか?
裁判の中で山本被告は、「学校でパワハラやモラハラがあり、自分がストレスを受けていたので、学校や教育委員会に迷惑をかけてやろうと思った」と犯行動機を語り、2人の少女への行為が自分の性欲を満たすためではないとの弁明をしています
が、そのような弁明が通用するはずはなく、裁判長は判決の中で「「性的興奮を得るためではないなどと犯行態様にそぐわない不自然な供述に終始し、真摯な反省が認められない」と叱責しています
山本被告自身は刑務所に服役するとして、残された家族は大変です。数百万円もの損害賠償請求を突きつけられ、困惑しているのでしょう
実は先日、当ブログで取り上げた事件について、当事者からブログの記事削除の要請がきました。事件そのものは性犯罪とは呼べない内容ですが、「事件後もさまざまな制約を受け、非難を浴びているので記事を削除してもらいたい」という主旨の要請です。年に数件、そうした要請が届きます。モラルに反する行動をすればそれだけ世間から叩かれるのであり、信頼を回復するのは難しいわけです。もちろん、当ブログから記事を削除したからといって、世間が事件を忘れてくれたりはしません。削除することを拒むつもりはありませんが、インターネット上から事件に関する記述を消すのが唯一の解決策、などと考えてほしくはありません
話を戻して、山本被告がきちんと事件を向き合い、己の所業を反省する気があるなら、まずは被害者と向き合う誠実に示談を進める必要があります
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電車で女子中学生に体液 教頭逮捕

「エヴァンゲリオン」 精神分析と思春期理解

この記事を書いている途中、下書きとして保存していたのですが、ログインが切れてしまい再接続したら下書きが保存されておらず、消えていました。なぜ、こんなことが起こるのか、がっかりです
ともあれ、愚痴っていても仕方がないので、もう一度書き直します(この台詞を書くのも2度目です)

岡山県に就実大学というのが存在するのを、この論文を見て初めて知りました。創立は1979年なのだそうで、もう40年を超える歴史を有しているのだとか
さて、今回取り上げる論文は2019年2月の紀要に掲載されたものですから、新しい部類に入ります
ただ、論拠としているのは劇場版アニメーションではなく漫画版の方です。自分は漫画版を未読なので、テレビアニメーションのシリーズや、その後の劇場版などと比較し、どこがどう異なるのか正確には理解していません
が、前置きでダラダラ書くより、まずは論文を読んでいきましょう

漫画『新世紀エヴァンゲリオン』からみる思春期のこころ-情緒的ひきこもり状態を呈する思春期男子の精神分析的一考察ー
(前略)
そこで本論文では、思春期のこころの発達を理解することを目的とし、その手掛かりとして漫画『新世紀エヴァンゲリオン(貞本,1995-2014)』を取り上げたい。さらに、思春期のこころを理解する視点として精神分析を取り上げ、この物語を主人公シンジの夢とみなすことで、対象喪失や強い孤独感によって情緒的ひきこもり状態となった思春期男子の理解を深める。

平たく言えば、シンジという症例を読み解こうとする試みです
シンジが14歳の、思春期まっただ中の少年にありがちな症例と決めつけられるものではありませんし、シンジという症例を読み解いたからといって、中学生から高校生の、扱いづらい少年少女への理解が容易になるというわけでもありません
ただ、読み解くための方法論(当論文の場合はフロイトの精神分析、そしてフロイトの精神分析をさらに発展させたメラニー・クラインの抑うつポジション等の考えをバックボーンにしている)は、役に立つと考えます

(論文8ページ)
4.シンジの物語からみる思春期のこころ
漫画『新世紀エヴァンゲリオン』から思春期のこころを理解するにあたり、この物語をシンジの夢として捉えることができる理由と、精神分析における夢の位置づけ、および解釈の視点について説明する。
物語終盤の章、サード・インパクトによってシンジとレイは融合する。その中で、レイが「もとの世界に戻るのね」とシンジに問い、シンジが葛藤に満ち溢れた世界に留まる覚悟を決めたところで、この章は幕を閉じる。そして、最終章に入ると辺りはすっかり冬景色となり、シンジはアスカやケンスケと出会うがお互い覚えていない。このことから、ネルフで起きた一連の出来事は、今の世界とは全く別のところで起きた出来事であり、シンジの夢である可能性がうかがえる(実際に、アニメ版のエヴァンゲリオンは明らかに夢オチで終わっている。)
Freud(1900)は「夢は無意識への王道である」と記し、夢の内容を解釈することで人の無意識に接近できると考えた。さらに、後に Klein は夢が人の内的世界を描写していることを示唆している。また、精神分析では、人のこころの中にはいくつかのパーソナリティの部分が存在し、それらが複雑に絡み合うことで個人が形成されていると考えられている。例えば、Bion(1967)はパーソナリティを精神病部分と非精神病部分に、Meltzer(1968)は他者との現実的な関りを経験できる部分と自己破壊的態度へと誘う部分に区分し、患者のこころの状態を理解している。したがって、本論文ではこの物語を夢と捉えて内容を理解するだけでなく、この物語に現れる登場人物をシンジのこころのパーソナリティの一部である、との視点を踏まえながら考察する。

ジョン・シュタイナーの「病理的組織化」という概念を自分はよく理解していません。シュタイナーの著作は日本語訳が出版されているのですが、「こころの退避―精神病・神経症・境界例患者の病理的組織化」(岩崎学術出版)は2万5千円もするので手が出ません。しかもレビューによれば、誤訳が多いと指摘されています
物語の進行に伴ってシンジの示すさまざまな表情、反応、言動というものから一つの症例として読むのですが、14歳のシンジはまだ自我同一性を獲得していませんし、心の揺らぎはとても大きいと見なければなりません
矛盾するような言動があったとしても、それはそれでシンジのもの、と見て解釈する必要があります。物語の上でも、あるいはシンジの見ている夢の世界であるとしても、同じです

(論文10ページ)
物語の登場人物をシンジのパーソナリティの一部と考えると、情緒的絆を感じるパーソナリティが動き始めたとき、その関係を破壊しようとするパーソナリティが活動している、と理解できる。これは上述した「病理的組織化(Steiner,1993)」の病理である。また、Rosenfeld(1964)によると,病理的に組織化された状態では、悪い対象が理想化されることがあると考えられている。実際に、シンジはカヲル(使徒)に急接近する時期があり、一方的に心情を吐露したり一時とても頼りにしていたことから、悪い対象(使徒)が理想化されているところも垣間見える。
さらに、Steiner(1993)によると、病理的な組織化を形成している人には、こころの中に退避所があるとされる。そして、その退避所はこころの成長を伴わない不毛な場所と考えられている。物語を振り返ると、シンジは自らのこころが傷つくようなできごとに触れるとすぐに挫折し、叔父家族のもとに帰ろうとしている。シンジにとっての退避所は、叔父家族だったのかもしれない。しかし、叔父家族のところは心理的温かさを感じられるような場所ではなく、こころの成長は生じ得ない。したがって、この視点からも、シンジが病理的な組織化を形成している状態であることが支持される。

思春期に自分の理想と見なせる大人に出会えるかどうか、というのは人生に大きな影響を与えます
シンジにとって父ゲンドウは理想の大人ではなく、加持が一時期は理想ともいえるカッコいい大人でした
そしてカヲルが目の前に現れると、シンジは惹かれていきます。それは友人とか親友とかいうレベルを超え、「理想の自分」を見つけたかのように。そんなカヲルが使徒だったわけで、随分と大胆な設定です。もちろん、カヲルが唐突にネルフ内部に出現し、エヴァンゲリオンのパイロットとして訓練を受ける様にはある種の違和感が伴い、カヲルが使徒ではないかと視聴者にほのめかされるのですが(TVシリーズの話です)
上記の論文では「悪い対象が理想化される」と書かれていますが、これをカヲルに当てはめるのは違うと思うのですが
「悪い対象が理想化される」とは、「ヤクザに男らしさを見てしまう」とか、「暴走族の先輩にあこがれてしまう」ようなケースを言うのでは?

(論文11ページ)
Steiner(2011)によると、病理的な組織化を形成した人が心的退避所から抜け出したとき、圧倒的な劣等感や無力感にさいなまれ、「恥」の気持ちを抱くとされる。実際にシンジは、使徒との戦いやアスカとの比較の中で自分の無力さを知り、強い劣等感を抱いていた。また、アスカと協同して使徒を倒す際、シンジは強い「恥」の感覚を抱くこともあった。
先に述べたように、情緒的ひきこもり状態を呈する思春期の理解において、そのひきこもりが病理的組織化に由来するのか、それともアイデンティティの拡散あるいは混乱に由来するのかを把握することは難しい。Rosenfeld(1964)によると、病理的組織化の背景として自己愛の傷つきが想定されている。さらに、Kohut(1984)は自己愛が傷つく一因として母子関係における外傷的な共感不全を挙げている。シンジの養育環境を振り返ると、彼は幼いころに母親を亡くし、その後、叔父家族のもとに預けられていることから、自己愛が傷つきやすい環境であった可能性がある。したがって、シンジの情緒的ひきこもり状態は、病理的組織化に由来するのかもしれない。

シュタイナーの病理的組織化を理解する上では次の記事が参考になります。東京オリンピックや戦前の大日本帝国を例に挙げて説明しています
自分もこの記事を書いている途中に読んで、腑に落ちました

今のうちに言っておきたい、東京五輪への「大きな違和感」

シンジのひきこもり状態ですが、これを自分は上記のようなアイデンティティの混乱によるものと解釈してたように思います。それを病理的組織化によるもの、とする解釈は新発見です。この論文を取り上げた意義はそこのあるといえます

(論文11ページ)
4-3.心理療法への示唆
以上のことから、漫画『新世紀エヴァンゲリオン』は、情緒的な引きこもり状態、すなわち病理的な組織化を形成している思春期男子が、自身の心的退避所から抜け出し、他者と情緒的に接触することや他者に依存することの難しさを感じながら、先送りしていた心理的課題であるエディプス・コンプレックスに向き合い、思春期の課題とされるアイデンティティの獲得に取り組む様を描いた物語といえる。
(中略)
以上より、情緒的ひきこもり状態を呈する思春期の心理療法において、心理臨床家はまず彼らの親子関係を精査し、次いで先送りしている心理的課題を検討しながら多角的なアセスメントを実施したうえで、思春期の発達課題「アイデンティティの獲得 対 アイデンティティの混乱・拡散」に共に向き合う必要がある。このような取り組みは、寄る辺ない不安を抱える彼らの支えとなり、成人期に向かう新たな一歩、すなわち彼らの「新世紀」への旅立ちを後押しすることとなるだろう。

「新世紀」への旅立ちと書いていますが、思春期の混乱を抜け出すことが輝かしい未来につながるというものではありません。思春期特有の万能感を断念し、自分が何者でもないと認め(ヒーローにはなれないと認め)、平々凡々たる人生を受け入れることでもあります
3度の書き直しはさすがにきついので、ここで終わりとします

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渡辺直美をブタに 組織委員会が文春にブチ切れ

東京五輪・パラリンピックの開会式や閉会式の演出を巡る不明朗な決定を暴露する記事を掲載した週刊文春に、組織委員会がブチ切れ、「雑誌を回収しろ」とか「文春オンラインの記事を削除しろ」と要求しているのだとか
佐々木宏によるバカな演出の問題もそうですが、組織委員会として何も明らかにせず、すべては「機密事項」であるからと闇に葬る態度は大いに問題でしょう。オリンピックもパラリンピックも国民あっての行事であり、組織委員会による組織委員会のための行事ではありません。何を勘違いしているのか、と言いたくなります。この場合の組織委員会の意思表明は、武藤敏郎事務局長の意向と解釈して間違いないでしょう


東京五輪・パラリンピック組織委員会は1日、3月31日の文春オンライン、1日発売の週刊文春が五輪開閉会式の演出内容を明らかにした記事を巡り、「極めて遺憾」とし、発行元の文芸春秋に対して書面で厳重抗議したと発表。内部資料を掲載して販売することは著作権の侵害にあたるとして掲載誌回収などを求めた。
「文春」では、開閉会式演出の責任者を一時務めた振付師のMIKIKO氏らが国際オリンピック委員会(IOC)にプレゼンした280ページに及ぶ内部資料(昨年4月6日付)を入手したとして、資料に記載された演出内容に言及し、また、一部の画像も掲載した。
組織委は、掲載内容について「極めて機密性の高い組織委員会の秘密情報で世界中の多くの方に開会式の当日に楽しんでご覧いただくもの」と事前の公表で演出の価値が大きく毀損(きそん)され、報道が業務を妨害していると指摘。「この内部資料の一部の画像を本件記事に掲載して販売すること及びオンラインに掲載することは、著作権を侵害するものです。同社に対しては、当該の掲載誌の回収、オンライン記事の全面削除、及び、資料を直ちに廃棄し、今後その内容を一切公表しないことを求めています」と“全面戦争”の姿勢を示した。
内部資料流出も深刻に受け止め「営業秘密を不正に開示する者には、不正競争防止法違反の罪及び業務妨害罪が成立しうる」と、警察とも相談の上、守秘義務違反を含めた徹底的な内部調査に着手。開閉会式の業務受託会社である電通に対しても、同様の調査と報告を要請すると同時に、演出内容を知りうる全ての関係者に守秘義務の順守徹底を求めるとした。
開閉会式を巡っては3月に、総合統括だった佐々木宏氏の不適切な演出プランが文春の報道で表面化し、結局辞任。MIKIKO氏が責任者を辞任に至る経緯なども、同誌が報じていた。
(スポーツ報知の記事から引用)


演出の変更を巡る不明朗な決定より、「関係者間のやりとりや資料が部外に漏れたことの方が問題だ」という感覚に唖然とします
大勢の人が関わっている以上、完全に情報を遮断し、外部に漏れないようにするなど不可能です。それに外部に漏れて困るような機密事項があるのか、と言いたくなります。それこそ、不都合な事実だけでしょう
記事では、「営業秘密を不正に開示する者には、不正競争防止法違反の罪及び業務妨害罪が成立しうる」などと書いていますが、これも不可解な言い分です。オリンピックの開会式は「営業上の秘密」なのでしょうか?
組織委員会はオリンピックを金儲けの場として、いかの儲けるかに執心していでしょうか?
すでの週刊文春は発売済であり、多くの読者が記事を読んでいます。文春オンラインとて同じであり、これを非公開にして、今後一切公表するな、などと要求する組織委員会の態度に何様のつもりか、と思うばかりです
組織委員会の演出問題を巡る決定のプロセス(誰が最初の演出案を白紙撤回し、別の演出案に差し替える決定を行ったのか。その決定がMIKIKO氏に事後通知されたのはなぜか?)を明らかにしないまま、情報を文春に売った犯人探しに躍起になっている風を装っているのですから、頭は大丈夫かと心配したくなりほどです
もちろん、情報の出どころがMIKIKO氏だとわかっているはいるものの、彼女を犯人として告発すれば「藪をつついて蛇を出す」結果となり、さらなる不都合な事実が暴露されかねないので放置しているわけです

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南カリフォルニア大学校医 性暴行で1100億円の賠償

アメリカの女子体操ナショナルチーム付きのドクターが、長年に渡って女子選手へのわいせつ行為や性的暴行を繰り返してきたとして逮捕、起訴される事件があったのは記憶に新しいところです。今度は南カリフォルニア大学の校医による性的暴行が明らかとなり、大学が校医の犯行を知りながら放置していたとして、被害者およそ700人に対し1100億円の慰謝料を支払うことで合意した、と報じられています。これは上限額というわけではなく、今後、被害を申し出る元学生がいればさらに支払額は増えるのでしょう
逮捕、起訴された元校医ジョージ・ティンダルは30年にも渡って学生たち相手に性犯罪を繰り返してきたのだとか

米カリフォルニア州の名門南カリフォルニア大学で、婦人科の元校医が何百人もの女性に性暴力を振るっていたとされる問題で、同大が計10億ドル(約1100億円)以上の慰謝料を支払うことに同意した。原告の弁護団が25日、明らかにした。
弁護士のグロリア・オールレッド氏は、「大学を相手取った、性的暴行および嫌がらせの一つの民事訴訟で支払われる額としては過去最高」だとしている。
刑事事件でも起訴されているジョージ・ティンダル(George Tyndall)被告(74)は、30年にわたって診察中に暴行を繰り返していたとして、女性数百人から訴えられていた。
被害は1990年までさかのぼり、体への不適切な接触からレイプまで多岐にわたる。最年少の被害者は17歳だった。患者の性器の写真を撮る、胸をまさぐる、体形についてわいせつな発言をするといった行為に加え、人種や同性愛差別に当たる発言もあったとされる。
同大に多いアジア系の多数の学生が被害に遭っており、マイノリティーに属する学生を標的にしていたとの指摘もある。
大学はティンダル被告の行為を把握しながら学生との接触を許してきたとして、これまでに大勢の元患者が、適切な対応を講じてこなかった同大を提訴していた。
ロサンゼルス警察も独自の捜査に着手。ティンダル被告は2019年に逮捕され、若い女性16人に対するレイプと性的暴行の罪で起訴された。
地元検察によると、裁判はまだ始まっていないが、有罪と認められれば53年以下の禁錮刑が言い渡される可能性がある。被告は全ての罪状を否認している。
(AFPの記事から引用)

起訴されたのは被害者16人に対する性的暴行ですが、被害を訴え出た元学生は700人以上なのだとか。追起訴するかどうかは検察の判断ですが、そうなれば100年以上の禁固刑が科せられるのかもしれません
そして服役したティンダル元医師は、刑務所の中で袋叩きに遭うのでしょう
既に医師免許を返納した、と別の報道には書かれていますが、容疑は頑として否認し続けています
訴訟社会のアメリカですから、過去にティンダル元医師による性犯罪を告発する動きはあったと思われます。にもかかわらず、大学側はなぜ放置してしまったのか?
もう少し事件を掘り下げた報道を見つけたら、詳細について触れたいと思います

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「エヴァンゲリオン」を巡る言説 賛否の行方

エヴァンゲリオンの完結編である「シン・エヴァンゲリオン劇場版:||」の公開にかこつけて、新旧のエヴァンゲリオンについての論評を取り上げています。さすがに公開されたばかりの「シン・エヴァンゲリオン劇場版:||」についての踏み込んだ論評が登場するまでには、もう少し時間がかかるのでしょう。映画レビュー程度の記事ばかりが目に付き、これといった論評にはなかなか出会えません
少し古いのですが、「エヴァンゲリオン」を巡るさまざま言説に眼を配って書かれた、樫村愛子愛知大学教授の論文を今回は取り上げます
四半世紀もの間、さまざまに論じられてきた作品だけに、その論文、批評の類は膨大なものになっているのでしょう。どなたか、きちんとした「エヴァンゲリオン・データベース」を作っていただけると助かるのですが(既にあるなら、教えて下さい)

『エヴァンゲリオン』の文化分析

2.エヴァを巡る言説
ここで、エヴァを巡る社会的言説ー社会的反応について見ておこう。非常に大雑把なな分類をするならば、それは、「エヴァ批判」と「エヴァ評価」の二つに分けられ、多くの批判と評価の内実は、エヴァに見られるオタク的自閉性を批判するか評価するかにほぼ収束しているとおもわれる。
前者の批判側は、いわば「他者」であるオタクを、「社会適応不能者ー自閉者」として批判するものであり、後者の評価側は、オタクのいる場所は、彼らにとって自由選択されたものではなく、余儀なく置かれている周辺的居場所であることを指摘し、そこにおける独自の表象様式を認め、高みから批判するべきではないとするものである。しかし、後者の議論においても、論者たちにとってオタクは結局「他者」であり続け、後者の議論は、前者の批判に対する批判理論としてしか機能しておらず、オタクの場所のもつ意味を、私たちの社会の問題として捉える視点は弱い。
そこで、私は、特に、批判理論に終わっている後者の議論を補足し乗り越え、前者の議論の示唆するオタクの自閉性のもつ問題も含めた社会分析を行いたい思う。
が、ここで、それぞれの言説の具体的な中身をもう少し紹介しておこう。
まず、前者の議論である。特に、最終二話が、現実とは切り離された自己実現として終了してしまう点を、大塚英志は「自己啓発セミナー的だ」と批判し、宮崎哲弥は、「表現個人主義の限界」として共同体の危機を読んだ。また、上野俊哉は、この作品が閉じた箱庭的世界観を反復し、「自閉的な世界に逃げ込むだけの解釈の袋小路に向かっている」とし、日本が排除している、移民他の世界的現実は全く言及されていないとする。

この論文は2002年3月発行の紀要に掲載されたものです。当時はまだ「オタク」が論争の対象だったのでしょう。今回の「シン・エヴァンゲリオン劇場版:||」公開に伴い書かれた論評を見ても、「オタク」などという用語はほとんど登場しません。せいぜい、往時を回顧する文脈の中に登場する程度です
なので、樫村論文に頻繁に「オタク」が登場するのに逆に驚いてしまいます。気がつくのは、「エヴァンゲリオン」に惹かれ魅せられたのは決して「オタク」と呼ばれるコアなマニアだけでなく、一般の青少年から中年まで幅広い層だった、ということです。なので、「オタク」を特異な存在という前提で扱うこの論文には違和感が生じます。が、それはそうとしてオタク=自閉的世界に逃げ込んでいる者という決めつけは、現在の風潮からすれば不適切な決めつけでしょう
先日取り上げた大塚英志が日本経済新聞で語っている記事は、「エヴァンゲリオンは時代を先取りした作品」であると褒めていました。ここでは「自己啓発セミナーみたいだ」と批判しているのですが
論者の意見も四半世紀を経ると変わるのであり、それは特段批判すべきことではありません
さて、上記の見解はいずれも「エヴァンゲリオン」は失敗作との評価であり、失敗作だからダメ、という判断です
過去、TVアニメにおいても失敗作は山ほどあり、それらは論じられる機会もなく忘れ去られてしまったのですが、失敗作であるはずの「エヴァンゲリオン」がいつまでも語られ、論じられること自体、失敗作との評価に反するわけです

これに対し、この作品を症例的に読むものを見ていいこう。香山リカは、「使徒から地球を守るという大きな使命を担った特務機関ネルフの人たちが、そろいもそろってこうしてファミリーロマンスに巻き込まれてしまうのはどうしてなのだろう」と問いつつも、「地球を救う戦士たちが、大義名分でも『人類の平和のために闘うぞ』とはいえず、ファミリーロマンスの中でしか生きられないということが、この作品の最大の衝撃であり魅力だろう」と指摘し、この作品を否定しない。また、岡真理は、「自ら生き延びるために友人を傷つけ、自らが生き延びるために逡巡の果てに唯一の親友(カヲル)を殺した十四歳の少年が、人間が生きるということの、生き延びるということの暴力性を知っている彼が、それえもなお、類的存在として安らぐことを拒否して、この暴力のただ中へ、共約不能な他者との関係性の中へ、個別的存在として回帰してくることを、人間の運命として選ぶ、それはなぜなのか」と共感的理解を伴いながら問い、「その答はテクストの内部にはない」としている。また澤野雅樹は、「エヴァの最後の二話を自己啓発セミナーといって悦に入る人々は、マイノリティになったこともない人格者たちである」とし、自ら左利きの経験から、「社会の記憶術が手に刻印されている時、適応とは抑圧である」とする。そして、「巨大な敵と対峙する恐れをエヴァほど生々しく描きえた作品はなかった」とし、「シンジが『逃げちゃダメだ』とくり返すのは、使徒が恐ろしいからだけでなく、使徒から逃げることで、誰からも愛されなくなることが恐ろしいからである」と述べている。

作品を肯定する意見もさまざまです。つまるところ、「作品に見るべきものがあったのなら、語るべきものがあったなら否定しなくてもよいのでは?」との考えが成り立つのではないでしょうか?
作品を肯定する論拠もさまざまですし、作品に関連して主張する意見もまちまちです。ただ、そうしたさまざまな肯定が可能であるところが、エヴァンゲリオンの人気の原点であるのかもしれません
単に使徒から地球を守り、人類を守る話を24話やっても仕方がないのであり(それならウルトラマンを観ていればよいので)、使徒との闘いがいつの間にかエヴァ・パイロットであるシンジやアスカ、レイの内面を描く話になり、深みを増して行くところで、自分は背筋がぞわぞわします
この先、樫村論文は最終二話についての考察があり、アニメオタクに迎合することなく、己の表現したいものを最後の二話で描ききった庵野秀明監督の意図に賛同しています。精神分析の考えからすれば、あの二話はあれでよくできていると樫村論文は結論付けており、自分も同感です
樫村論文の「(4)シンジの治癒」と「(5)最終二話のもちオタク的論理」については語りたいところ、疑問に思うところもありますので、別の機会に取り上げることにします
ただ、あの最終二話ゆえに庵野秀明監督はアニメオタクから裏切り者と呼ばれ、作品を投げ出したと批判されたのであり、結果として四半世紀も「エヴァンゲリオン」に関わるようになってしまったといえます
アニメオタクが望んだのは、シンジとエヴァンゲリオンが覚醒して超常的な力を発揮し、使徒やら量産型エヴァを粉砕し、「人類補完計画」などの伏線がきっちり回収される展開だったのでしょう
が、伏線回収して、シンジとエヴァンゲリオンが無敵の強さを発揮して、それで何が得られるのか、という問題があります。アニメオタクにとっては大満足かもしれませんが、「エヴァンゲリオン」の物語としては破綻していたのかもしれません

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セカイ系 「天気の子」からサリンジャー
https://05448081.at.webry.info/202004/article_26.html
「ノルウェイの森」をセカイ系だと批評する東浩紀
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コロナ禍とセカイ系アニメ
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中国メディアの陳腐な論評「日本アニメ、人気の秘密は民族文化」
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セカイ系アニメを語る中国の論評
https://05448081.at.webry.info/202002/article_27.html

大阪女児誘拐事件を考える 保護ではなく監禁

SNS上で家出をしたいとほのめかす少女を、「ウチに来れば」などと言葉巧みに誘い出し、泊めるという事件が頻繁におきます。当事者は「犯罪ではなく」とか、「誘拐ではない」などと主張するわけですが、女子中学生や小学生を連れ去ったら罪です
大阪の女子小学生を栃木県内の自宅に監禁した容疑で逮捕された伊藤仁士被告は、「命を救うためにやった」と主張していますが、通用しません。第3回目の公判があり、誘拐された元女児(今年4月からは中学生)とその母親がリモートで証言しています

大阪市の小学6年の女児と茨城県内在住の女子中学生が連れ去られ、2019年11月に栃木県内で保護された事件で、未成年者誘拐や強制性交などの罪に問われた栃木県小山市、無職の伊藤仁士被告(36)の第3回公判が30日、水戸地裁(中島経太裁判長)であった。当時小学6年だった被害女性は証人尋問で、伊藤被告の自宅から逃げ出した理由を「怖かったから」と説明した。
起訴状などによると、女性は19年11月17日、大阪市から連れ出されたとされる。23日午前に伊藤被告の自宅から逃げ、午後に交番で保護された。
女性は法廷とは別の部屋で証言。逃げる前日、「ここを出たい。私のことは忘れてほしい」と記した手紙を伊藤被告に見せたと述べた。「無理」と返答されたという。
女性の母親も別室で、「勝手に娘を連れていかれ、憤りがすごかった」と証言した。
(読売新聞の記事から引用)

伊藤被告は少女2人をSNSで誘い出し、自宅に監禁してあんなことやこんなことをする計画だったと思われます。が、法廷の場でそれを語ったりはしないのでしょう
自分は善意で、正義のために少女たちを保護したのであり、誘拐ではないと主張しています
それが本心であるかどうか、自分にはわかりません。が、かなり思い込みが激しく融通の効かない性格であるらしい伊藤被告ですから、自己暗示のように自身に言い聞かせ、そう信じ込んでいる可能性もあります
いずれにせよ、自宅に連れ込んだ少女に行動の自由は与えず、拘束していたのは明らかであり、実刑が科せられるのは確実でしょう
有罪判決が下されても、それで伊藤被告が改心するはずもなく、控訴してとことん争い、己の正義を主張するものと予想されます
服役後も、「自分は罪など犯していない」と言い張り、不満タラタラで刑務所生活を送るのでしょう

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大塚英志 「エヴァンゲリオン」を語る

サブカルチャーの研究者でもある大塚英志が日本経済新聞で「エヴァンゲリオン」を語っていますので、取り上げます
漫画家、雑誌編集者、サブカルチャー評論家、大学教授として活動してきた大塚英志が「エヴァンゲリオン」の完結について何をどう語るのか、早速読み進めていきましょう

エヴァンゲリオン、25年目の完結 現代の分断社会予見
(前略)
戦いを通じ、少年少女の成長を描くSFアニメの王道だが、シンジの父ゲンドウらが進める「人類補完計画」が全編を貫く主題になっている。全人類や使徒が一つに融合し、単一生命体になって永遠の安らぎを得るという謎に満ちた発想だ。テレビアニメの初回放送は1995~96年。それから25年たった。長年サブカルチャーを研究してきた大塚氏は「近代の小説がずっとテーマにしてきた自己と他者みたいなことを正面から扱ったのが面白かった」と振り返る。
「自分と他人の境界が溶け合う世界を求めるのは、今では驚きはない。皆がインターネットで結ばれ、SNSで内面を露呈しながら匿名でまったりつながっている。そういう世界を人類補完計画で作ろうとして、主人公たちは飲み込まれつつも、一生懸命抵抗する」
「シンジは最終的に世界が滅んでも他人と溶け合うことを拒絶した。他者がずっといる世界を選択するという見せ方があのとき必要だったし、今も必要だと思う」。大塚氏はそう説く。

当ブログでは前回、「エヴァンゲリオン 家族を問う物語」と題し、精神科医樺沢紫苑による論評「なぜ日本人は『エヴァンゲリオン』に四半世紀も熱中しえいるのか」を取り上げました。そこで樺沢はシンジは父性と母性の補完を求めていたのだ、と結論づけていたわけですが、大塚は「人類補完計画」を他我の境界を取り払い、溶け合う世界の実現を目指すものと述べています。それが現実的に可能かどうかはともかく、樺沢の言う、「碇家の団欒」などというレベルを超えた世界です
とても理想的な世界であるとは思えませんし、個の消失を上回るだけのメリットがあるのか疑問です

他者の消去問う
大塚氏は、庵野秀明監督が作品で問うたのは「他者の消去」だと指摘する。それは今の社会でより鮮明になってきた課題だ。「自分が理解できない他人がいて、その他人と折り合いをつけ社会や世界を作っていくのが近代社会だった。今はそれを排除する『分断』に陥っている」という。
「理解できない思想を持つ人間にレッテルを貼り、『反日』などと決めつけ、いなくなってしまえと考える。意図がよく分からないが日本を襲ってくる使徒はまさに不条理な他者で、人類補完計画はそれを取り込み、自他の障壁を消そうとする。だが、作品では他者がいない世界は間違っていると結論を示した」
他者を排除しようとする思想はSNSの普及とともに世界的に広がっている。「分断といいながら、他方の殲滅(せんめつ)を考える。米大統領選のバイデンもトランプも皆がおのおのの自己補完を考えていた。好きなニュースを見て、嫌なニュースは見ない。そうなってしまう未来を25年前に正確に、批判的に描いたところがエヴァの価値だといえる」と大塚氏は力を込める。
シンジは劇場版でも他者との融合を拒み、アスカとともに世界に残される。「近代社会では互いに話し合い、合意しながら社会を形成するが、一方で『おまえなんか消えてしまえ』という心もある。だからアスカは『気持ち悪い』と他者としてシンジを拒絶した。そうやって個を生きるしかない。それが近代社会だから」と大塚氏は訴える。

ここでは他者をどう定義し、その役割を解釈するかが問題です
引きこもりの中年男が、「我思う、ゆえに我あり」と叫んでも虚しいのであり、中年男の存在が認知されるためにはどうしても社会の他者が必要になります。称賛されるにせよ、罵倒されるにせよ、人は他者の眼を介してのみ、己の存在を認識できるのですから(ゆえに、他者がいない世界は間違っている…との解釈に結びつきます)
上記で大塚は「他者の消去」と述べているのですが、これはアメリカ大統領選挙におけるバイデンとトランプの批判合戦の論理とは噛み合っておらず、場違いな感じがします。バイデンとトランプの批判合戦は、相手を排除する狙いではなく、外に敵を作って己の正当性をアピールしようというもので、エヴァンゲリオンの物語の説明とは不適切なのでは?
さらに、大塚が言うように「理解できない思想を持つ人間にレッテルを貼り、『反日』などと決めつけいなくなってしまえと考える」としても、いわゆるネット右翼は反日派と融合し一体化しようなどとは思わないのであり、それが「他者の消去」という概念に当たるとは考えられないのですが。何度読み返しても、大塚が言おうとしているところが自分には理解できません
大塚の語るところを記者が録音し、原稿に起こして大塚のチェックを受け記事にしたのでしょうが、自分には??です

不安定さ広がる
世界の命運を託されたシンジやアスカらは14歳という設定だった。大塚氏は「放送からしばらくして神戸連続児童殺傷事件などが起きる時代で、あのころの10代はひどく不安定だった。庵野監督はそうした10代のピリピリした心に意識的に反応したから、彼らの心に響いたのだろう。今は当時の10代が抱えていた不安定さがもっと幅広い世代や、世の中全体に及んでしまったのではないか」とみる。
「10代というのは世界に対峙しなければいけないと思いつつも、世界に対して恐怖する。そうした矛盾した状況に置かれている大人が増えているのでは」
庵野監督のパーソナルな感性に基づいて制作された作品だからこそ、逆に普遍性を持ち得た、とも分析する。大塚氏は「作品自体が監督の自己治癒だったのではと思う。病んでいたといえば失礼になるが、庵野監督が治癒していく過程にこそ、あの頃の14歳が感じていたイライラの正体があったのではないか。それ故に25年がたった時に、先駆性を持った批評になり得た」と話す。

エヴァンゲリオンの物語に惹かれたのは10代のこどもたちだけではないのであり、テレビシリーズ放映時点で幅広い層が反応したのではないかと思います。その後のテレビシリーズ再放送と併せて
誰もが思春期に抱く不安や葛藤、イライラなどなどを、アニメーションの中で表現し、それが必ずしも個々人の内心を描いたものではないのですが、共感を覚えた者が多かった(これは自分の物語だ、と思ってしまった)のでは?
25年を経ての完結は庵野監督自身と、そのスタッフを解放するものでしょう。ただし、エヴァンゲリオンの物語に惹かれた中高年から若者、少年までの幅広い観客を解放するものであるかどうかは分かりません
繰り返し書いているように、「観たかったエヴァの完結編はこれじゃない」と思う観客もいるのでしょうから
大塚英志なら、いずれエヴァンゲリオンについてまとまった論評を書くと思いますので、それを待って「他者の消去」なる概念について考えたいと思います(いわゆる、逃げです)

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ヒステリックブルーのナオキ 初公判でわいせつ否認

深夜帰宅する女性が見知らぬ男からいきなり体を触られたら、どれほどの恐怖を味わうか?
元ヒステリックブルーのギタリスト二階堂直樹被告がやった犯行がまさにそれです
被害者女性にしてみれば咄嗟に犯されるかもしれないと感じ、必死に抵抗して逃げ出すでしょう
つまり犯人の思惑がどうであれ、被害者にしてみれば強姦未遂と同じなのです


女性の胸を触ろうとしたとして強制わいせつ未遂の罪に問われた、ロックグループ「ヒステリックブルー」(解散)の元ギタリスト二階堂直樹被告(41)=甲府市=の初公判が30日、さいたま地裁(任介辰哉裁判官)であった。二階堂被告は女性に近づいたことなどは認めたうえで、わいせつ目的は否定した。
起訴状などによると、二階堂被告は昨年7月6日午前2時10分ごろ、埼玉県朝霞市内の路上を歩いていた20代の女性に背後から近づき、左手で口をふさぎ服の上から胸を触ろうとしたとされる。抵抗され、未遂に終わったという。
検察側の冒頭陳述などによると、二階堂被告は前夜に内縁の妻と言い合いになり外出。検察側は、被告が飲食店で1人で酒を飲んだ後、被害者の女性を見つけてわいせつ行為をしようと考え、足音に気付かれないようにサンダルを脱いで路上にバッグを置き近づいたと主張した。
二階堂被告は黒のスーツに赤と白のストライプのネクタイを締め、落ち着いた様子で法廷に立った。裁判官に「公訴事実を認めますか」と問われると、「日時や場所、行為は間違いありません」と答えた。これに対して裁判官が「では、最初の『徒歩で通行中の女性にわいせつ行為をはたらこうと思って近づき』という部分を否認するということですか」と再度問うと、二階堂被告は「はい」とうなずいた。
弁護側は「強制わいせつ未遂にはあたらず、県迷惑防止条例違反か暴行罪が相当」とし、理由は最終弁論で述べるとした。
(朝日新聞の記事から引用)


起訴された罪名は強制わいせつ未遂です。これに対し、二階堂被告は「強制わいせつの意図はなかった」と否認し争う姿勢を示しています
起訴前、月刊誌「創」の篠田編集長に伝えた言い分は、「自宅近くのラーメン店で一人で食事をし、酒を飲んでいた。そして酔った勢いで通りかかった女性の後をつけた。最初の女性には少し後をつけただけで何もしなかったが、2人目の女性に対しては背後から近づいて、叫ばれるのを防ぐために両手で口を押えた。そのうえで女性の胸などを触るという痴漢行為をしようとしたとたん、女性が動転して転倒してしまった。そして肘に擦り傷を作った。自分は女性の悲鳴に驚いて逃げたので、女性が転倒したことに気がつかなかった」という内容でした
「体を触る目的で尾行した」と述べているのですから、強制わいせつを企図した犯行と解釈できるのですが、いまさら何を否認して争うつもりなのでしょうか?
弁護人は県迷惑防止条例違反か暴行罪に相当すると主張していますので、罰金刑程度の微罪で済ませる狙いがあると思われます
そうしないと前回も実刑で服役しているため、今回も実刑を食らう可能性があると考えたのでしょう。それを避けるため、強制わいせつの狙いがあった事実を否定し、微罪に持ち込む法廷戦術に出たのかもしれません
しかし、先に書いたとおり二階堂被告がどのような意図で犯行に及んだにせよ、被害者からすれば強姦されそうになったと思うのであり、「県条例違反で罰金20万円」程度で済ませるのは大間違いです
服役していた山形刑務所で性犯罪者の更生プラグラムを受講し、己の認知の歪みに気がついたと語っていた二階堂被告ですが、まだ認識が歪んだままではないのか、と言いたくなります

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岡山女児殺害事件を考える 勝田容疑者の異常性癖
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福岡女児遺棄事件を考える6 性犯罪更生プログラムは有効か?
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福岡女児遺棄事件を考える7 内間被告会見記
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性犯罪者に対する薬物療法の実際
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今市女児殺害事件 「物色中に偶然見つけた」
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今市女児殺害事件 犯行を自供した男
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女児誘拐殺人犯小林薫 死刑執行
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福岡強姦殺人 性犯罪を繰り返した古賀被告
https://05448081.at.webry.info/202009/article_14.html

サッカー道渕諒平 韓国から出ていけ騒動

サッカーに関心のない方は道渕諒平と聞いても、誰か分からないと思います。自分も道渕諒平が所属チームであるベガルタ仙台から解雇された、との報道で初めて名前を知りました
道渕諒平は2017年、ヴァンフォーレ甲府に所属していた時にも交際相手の女性への暴力で送検されたと聞きます(示談により不起訴処分)
それが再び交際相手(別の女性タレント)への暴力で刑事事件になった、と週刊誌「FLASH」が報じたのです。結果、道渕はベガルタ仙台を解雇され、活躍の場を求めて韓国のKリーグ2部の忠南牙山FCに移籍した…という経緯があります
ところが今度は、韓国の牙山市で「道渕諒平は韓国から出ていけ」と、市民団体が活動を始めたと報じられていますので取り上げます

(前略)
その後、日本のクラブチームに入るのは難しいとされてきたが、今シーズンから韓国Kリーグ2部の忠南牙山FCに加入。
2試合に出場し2得点1アシストとさっそくチームの期待に応える活躍を見せているのだが、ある団体から抗議の声が上がり始めている。
スポーツ・芸能専門サイト「OSEN」によれば「『忠南牙山FCリョウヘイ(Kリーグでの登録名)退出のための共同行動』が、牙山市庁の前で、道渕を韓国から出ていくように求める記者会見を開いた」と伝えている。
共同行動と呼ばれる市民団体は声明を発表し、「忠南牙山は4ヵ月前に悪質的な暴力を起こし、逃避するかのように日本から韓国へきた道渕諒平選手を受け入れた。それだけでなく、忠南女性、市民社会団体が全面的に反対するのを押し切り、3月13日のホーム試合に起用した。その日は特に家族での観客が多く、ボランティアで入場した青少年が多かった。その日、少年たちは何を感じただろうか。成果だけ出せば、他人に加えた暴力は問題にならないという間違った認識が、無意識に刻まれた日ではないだろうか。スポーツ界の成果主義を我々の社会は警戒しなければならない」と強調していた。
道渕が加入した当初、DVと逮捕歴のある選手を獲得したことで、チームへの批判が殺到していた。
傷害容疑で宮城県警に逮捕されていたことや、自らの喉元に包丁を突きつけながら「死んでやる。一生後悔し続けろ」と交際女性を罵る映像キャプチャーが、韓国のネット上で次々と報じられていたからだ。
早速の活躍だが…
もちろんクラブとしても、難しい選択だったはずだ。しかし、昨年Kリーグ2部最下位から脱出を図るため、実力と実績があり、かつ年俸も低く抑えることができるならと、道渕の獲得に動いたのだろう。
苦肉の策ともいえるが、さっそく結果を残しているのだから、サッカーの成績だけに限れば獲得は正しかったのかもしれない。
道渕自身も「私に対して憂慮の声があるのは知っている。忠清南道の牙山市民のみなさまにはとても申し訳ないと思っています。チームに貢献して、期待に応えたい。勝利のためにベストを尽くすのはもちろんのこと、地域の奉仕活動などで努力していきたい」と語っている。
結果を残して期待に応え、周囲に認めてもらうしかサッカー選手としての生きる道がないのを知っているようだった。
抗議活動が悪化する懸念も
しかし、韓国では社会的に女性暴力への風当たりは強く、非難を免れないのもチームは知っていたはず。道渕への抗議活動はこれからも続くだろうし、さらに過熱する可能性もある。
ちなみに、忠南牙山FCは20年シーズンからホームタウンを牙山市とする「市民クラブ」(前身は韓国警察が母体の牙山ムグンファFC)に移行したばかりで、市民の税金がチームに投入されている。
それに牙山市長がクラブオーナーということもあり、道渕の獲得を容認した張本人と見られていることもイメージ悪化に拍車をかけている。
(現代ビジネスの記事から引用)

道渕選手の行動、判断をとやかく言っても始まらないのですが、日本で刑事事件になって(不起訴であっても)被害女性との間で示談が成立したからサッカー選手としての活動を継続させた、のがそもそも間違いでしょう
日本から離れれば事件のことは有耶無耶にできる、との期待も皆無ではなかったはずです
しかし、不起訴になり示談が成立したとはいえど、道渕選手の本質(女性に暴力をふるい、支配しようとする)はそのままでしょう。サッカーから離れ、暴力への依存、女性への認知の歪みという問題の治療を受けたりはしていないと思われます。それでは本人が「反省している」と口にするだけで、何も変わってなどいません
「オレの女に何をしようとオレの勝手だ」と考え、LINEの返信が5分遅れただけでキレでわめき続けるとか、「お前なんて、顔だけで生きてきたくせに」、「俺は努力して成功したけど、お前は怠惰だから売れない」などと侮辱を繰り返し、山の中へ連れて行きそこに女性を置き去りにして帰る…といった虐待を繰り返していた事実から道渕選手は目を背けているわけです。むしろ、相手の女性に非があったと責任を転嫁したままという気さえします
交際相手の女性の体は疵だらけ、アザだらけだったと「FLASH」は記事に書いています
これではいかにサッカーで活躍しようとも、人間としては鬼畜外道であり、日本だろうと韓国だろうと許されないのは当然でしょう

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エヴァンゲリオン 家族を問う物語

「シン・エヴァンゲリオン劇場版:||」を巡る批評を読んで考えるシリーズの第4弾です
Presidentオンライン掲載の精神科医樺沢紫苑による論評「なぜ日本人は『エヴァンゲリオン』に四半世紀も熱中しえいるのか」を取り上げます
この論評は劇場版の公開予定に合わせて掲載されたものであり、直接「シン・エヴァンゲリオン劇場版:||」に言及しているわけではありません
が、エヴァ・シリーズを考える上での材料になりますので、読み進めていきましょう
冒頭部分から登場人物紹介から始まるのですが、そこは既知の情報が並んでいるので飛ばします

なぜ日本人は「エヴァンゲリオン」に四半世紀も熱中しているのか
(前略)
●赤木リツコ
母を自分のライバルとみなし、その愛する者を奪いとり自分のものにする。エレクトラ・コンプレックスと見ることもできます。これはエディプス・コンプレックスの女性版です。女児が父親に対して独占的な愛情を抱き、母親に対して強いライバル心を燃やす心理を指します。良好な母娘関係なら、こうはならないはず。科学者としての母は尊敬する一方で、女としての母を憎んでいたことが疑われます。

本筋とは直接関係ない話ですが、フロイト派の精神分析の場合は女子の場合もエディプス・コンプレックスと呼びます、エレクトラ・コンプレックスはユングが提唱した概念ですが、男子と女子の場合でコンプレックスの内容に差異はないとフロイトは考えました。さらにエディプス・コンプレックスに倣って◯◯・コンプレックスなどの呼称が乱立するのは好ましくない、と考えたためでもあります
論評の後半部分を読むと、筆者樺沢紫苑はユング派の分析心理学に拠っていると分かります

ファンを唖然とさせた最終2話
95年に放映されたテレビ版『新世紀エヴァンゲリオン』は、当時のアニメファンの心をつかんで一世を風靡ふうび。特に再放送は、大きく盛り上りました。
その最後の2話「第弐拾伍話」「最終話」では、ほとんどの人が驚愕、唖然としました。いろいろな謎が解かれるはずのエンディング。しかし、「人類補完計画」「ゼーレ」「使徒」などの謎に対する説明は一切なく、シンジの深層心理だけを描いた意味不明なシーンが連続していたのです。このラストに、ほとんどのファンは混乱し、賛否両論の大論争が起きました。
私はこの最終2話を見て「なんてわかりやすいんだ。こんなにわかりやすく説明してしまっていいのか」と思いました。心理学的に見て、これほどわかりやすく、直接的な説明はないからです。
シンジは、なぜいつも父親の前で萎縮していたのか? 自分自身に価値を見いだせず、いつもネガティブにしか考えられなかったのはなぜか? 戦うことが大嫌いなのに、なぜエヴァに乗り続けていたのか? そして、何を望んでいたのか? こうした「シンジの心理的な謎」に対して、完璧なまでに答えを出しているのです。
この最終2話は、心理学で言うところの「生きられなかったもう一つの人生」を映像化したものです。「もし○○だったら、自分の人生はもっと素晴らしいものになっていたのに」という感覚は誰にでもあると思いますが、そうした心の引っかかり。ユングはこれを影シャドーと呼び、自分の人生に様々な影響を与えている、と言っています。
一つひとつ解説すると長くなりますので、最も重要なシーンを一つだけ解説しましょう。「最終話」に、シンジの家庭での朝の様子が描かれたシーンがあります。死んだはずの母ユイが台所で朝食を準備し、ゲンドウは新聞を読んでいます。ゲンドウと入れ替わりにシンジが登場し、朝食を食べます。三人同時には食卓を囲まないものの、わかりやすい「家族団欒だんらん」のシーンと言っていいでしょう。どこの家にもあるような朝の一場面。そこには、父親がいて、母親がいて、子供がいる。
これが全てを説明しています。この「家族団欒のシーン」は、シンジの「生きることのできなかったもう一人の自分」であり、彼の願望が描かれたものです。第弐拾弐話「せめて、人間らしく」では、アスカがドイツの母親からの電話に出てドイツ語で長電話をするのを見て、シンジは言います。「母さんか……」「いいなぁ、家族の会話」ただ家族と楽しく会話をかわす、それだけを羨むシンジの姿が描かれます。

TVシリーズの最後の2話の内容を総括し、シンジの「こうであったらよかったのに」という願望を率直に描いている、と筆者は説明します
これは「シン・エヴァンゲリオン劇場版:||」にもつながるのですが、家族の絆、団欒を描こうとする庵野秀明の意図はそのとおりなのでしょう
ただ、エヴァンゲリオンの物語に即して考えれば、あくまでもそれはシンジ個人の願望にすぎません
昨日も書いたように、周囲から承認され、シンジの努力や奮闘が認められ称賛される…というのは、他者を介して自我同一性を獲得するプロセスです。ただ、これも物語の平面上では虚しい願望にとどまります
碇ゲンドウは家族の絆や一家団欒などに興味はなく、ただ愛する妻を取り戻したい(形はどうあれ)と希求するだけで、息子シンジとの団欒などありえない人物です。シンジにしても父ゲンドウとは決して折り合えないのであり、和解は望むべくもありません
筆者は家族の絆を取り戻すという、父性と母性の補完をシンジの願望としていますが、物語の設定・構成上は実現不可能な願望であり、その願望は残酷なまでに裏切られる展開が先に控えているのです

「家族の愛」を欲していたシンジ
シンジが欲していたのは、何だったのか?「家族の団欒」「家族の絆」です。
そして彼に足りなかったのは、家族の愛。母親の愛と父親の愛。萎縮した性格、ネガティブな性格は、父親に自分を肯定されたことがなかったから。父親と普通に食事をしたかった、つまりごく普通の親子関係を求めていたのに、それが満たされなかった。
彼は母親に肯定されたこともありません。幼児的な万能感を育てるのが母親の役割ですが、母親が早くに亡くなったため、そうしたポジティブな体験をしていないのです。当然、自分に自信が持てない性格になるでしょう。
(中略)
息子が母親を父親と奪い合う関係
シンジ、レイ、ゲンドウの三者関係を「三角関係」と考察する人もいますが、エディプス・コンプレックスと考えると、非常に腑に落ちるのです。
自分の考えも言えない内気でネガティブな少年・シンジが、厳格な父ゲンドウと対立、葛藤しながら、成長していく物語。主要な登場人物のほとんどが、父性、または母性の問題を抱えている。『エヴァ』は、家族の愛情、父性、母性の重要性、特に「父性」に大きくフォーカスを当てた、はじめての本格的「父性アニメ」として、エポックメイキングな作品と言えるでしょう。

人類補完計画ならぬ家族補完計画こそがシンジの願望であると筆者は断定するのはよいとしても、それが四半世紀もの間、「エヴァンゲリオン」がコアなオタクから一般的なアニメファンを夢中にさせてきた理由にはなりません
評論のタイトルに即して論じるのであれば、四半世紀に渡って人々を惹きつけてきた理由を明かさなければなりません
多くのファンは碇家の団欒シーンを観るために、四半世紀もエヴァンゲリオンを追いかけていたわけではありません。それでは「エヴァンゲリオンを観ていたと思ったら、東芝日曜劇場だったでゴザルの巻」でしょう
エヴァンゲリオンの物語は孤独で暴力的で、不可解な謎に満ちた理不尽な世界を語る、尖った物語として観る側を揺さぶったのであり、シンジのささやかな願望など消し飛ばしてしまう怒涛の展開でした
その先に何かがある、と観客は予感し、それが観たくて四半世紀の間、夢中になっていたのでは?
昨日書いたように、シンジが、アスカがいつか、どのような形でも、自我同一性を獲得し、自分が自分であると納得できるときが訪れると望み、目にしたいからこそ、観客を惹きつけてきたと自分は考えます

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「エヴァンゲリオン」 若者の承認欲求

「シン・エヴァンゲリオン劇場版:||」を巡る批評を読んで考えるシリーズの第3弾です
今回は新劇場版を含む、「エヴァンゲリオン」シリーズの人気の根源にあるものは何か、という考察です
現代ビジネス掲載の溝辺宏二追手門学院大教授による批評を取り上げます。溝辺教授の「エヴァンゲリオン」に関する別の論考は以前、当ブログで「エヴァンゲリオン 14歳のカルテ」と題して取り上げました
さて、今回の批評で精神科医でもある溝辺教授はエヴァンゲリオンが人を惹きつけてやまない理由として、アイデンティティの探求を挙げます

『エヴァ』がTV放送から26年経っても、若者に「絶大な人気」を誇る理由
若者の心を離さないエヴァンゲリオン
今回の『シン・エヴァンゲリヲン劇場版:||』で1995年の『新世紀エヴァンゲリオン』のTV放送開始から実に26年かかったエヴァシリーズが完結するので、待ちきれないとの思いも強い。20年以上の長期にわたってファンから根強く愛される、どころか新劇場版から新たに見始めた若者がエヴァに熱中するはなぜなのだろうか。
その秘密は、現代の若者が思い悩むコミュニケーションの問題を、エヴァの登場人物たちもまた共有しているからなのだろう。
ここでは、エヴァの魅力の一端を若者の心性から解説してみたい。コアなファンだけでなく一般のライトな視聴者をも獲得できたのは、誰もが辿ってきた「発達」、特に「思春期の課題」を扱っているからではなかろうか。

これは従来から指摘されて、ほぼ通説になっている見方です。ただ、今回の「シン・エヴァンゲリオン劇場版:||」はTVシリーズから四半世紀を経て公開された完結編です。となれば、劇場版を観る観客の半数以上がいい歳した大人(中高年)ではないのでしょうか?
いい歳をした中高年がいまだに「思春期の課題」を引きずっている…と言えるのか、というのが自分の抱いた疑問です

「14歳」の子どもたちの葛藤
エヴァでキーになるのは、言うまでもなく碇シンジをはじめパイロットたちの「14歳」という年齢である。アメリカの発達心理学者Erikson, E.H.の考えに基づくと、14歳の心理的課題は、「自我同一性の獲得(アイデンティティの確立)」であり、「自分がどんな人間なのか」を知ることである。
それまでは親から与えられた価値観に沿って生きた子どもが、それ以降はオリジナルの新たな価値観の獲得が必要となる。この課題を達成できなければ、自身の役割に混乱が生じどのように生きればよいのかわからない「自我同一性の拡散」状態となり、社会適応が上手くいかなくなる。
この時期に見られる非行などの問題行動は、子ども時代に比べ複雑な社会を前にして、上手く対応することが出来ない彼らの心の叫びなのである。エヴァに登場するパイロットたちは、そんな発達段階にいる年ごろの子どもたちなのだ。
しかし、アイデンティなるものは存在するのであろうか? アイデンティ概念を提唱したErikson, E.H.はユダヤ人であり、「唯一の神と契約する人間も唯一の存在でなければならない」との信念からアイデンティを着想した。この概念は、ユダヤ教圏だけでなく、キリスト教圏及びイスラム教圏や近代日本でも一般的である。
近年その信憑性は疑問視されているものの、エヴァの登場人物たちは、このアイデンティティが確立されていないがゆえに「確立された本当の自分」を求めていると解釈できる。

エリクソンは発達心理学者と分類されたり、精神分析家に分類されたりする人物ですが、非常に複雑な生い立ちをしています。母親はユダヤ系デンマーク人ですが、父親は誰であるか不明です。母親は最後まで父親が誰であるかエリクソンに明かしませんでした。ドイツで生まれたエリクソンはフロイトの娘アンナ・フロイトの教育分析を受け、精神分析家になります。その後、ドイツ・オーストリア内でのユダヤ人迫害を逃れアメリカへ移住するのですが、こうした流浪にも似た身の変遷と父親が誰か分からないという生い立ちが、自我同一性(アイデンティティ)を問う彼の研究の源泉なのかもしれません
ただ、自我同一性が確立されていないから対人コミュニケーションが苦手、というものではありません。自我同一性が確立されていない小学生でも、同級生相手にバカをやったり、一緒に騒いで先生に叱られるなど、仲間の中で日々を過ごす術を何となく身につけるものです
ただ、シンジにしろ、アスカにしろ、断固として同級生と距離を置き、仲間内に加わろうとしない頑固で孤独な生き方をしているのが特徴です。シンジはテレビシリーズの中で変化し、友人と呼べる繋がりを獲得するようになるのですが
では、観客はシンジやアスカの不器用な生き方に共感したり、共鳴したり、感情移入できるから惹かれるのでしょうか?
この先批評本文はシンジとアスカの性格、その資質についての考察が展開されます。引用は割愛します

コミュニケーションに思い悩む若者たち
ここまでシンジとアスカのパーソナリティの特徴を簡単に述べてきた。人間は元来、遺伝的素質に規定された「気質」を持って生まれ、様々な生育環境が関与して「性格」が形成される。
気質と性格が相俟って「人格(パーソナリティ)」が培われるが、その過程で様々な心的外傷を受けることで、人格にも影響がおよび、場合によっては問題を抱えるようになる。
エヴァのパイロットたちもそれぞれ生きづらさを抱えてはいる。しかし決して病的とは言えない。
また、2人の人格特性は、対照的に見えるが共通する部分がある。それは、共に他者の承認を切実に求めている点、いわゆる「承認欲求」が強い点である。
これは元来、「生命の安全」といった低次の欲求が満たされてから求める高次の欲求であるにも関わらず、作品内の彼らは何よりも優先しているかに見える。このように強い承認欲求を抱いている点が、現代の若者と重なってくるのだ。
精神科医の斎藤環は、現代の若者の人格特性を「承認の病」と見なしており、承認を得るために「キャラ」という役割を作り出すと考察して次のように述べている。
「キャラクターといっても、必ずしも『性格』を意味しない。『キャラ』は本質とは無関係な『役割』であり、ある人間関係やグループ内において、その個人の立ち位置を示す座標を示す」(斎藤環『承認をめぐる病』)

「シンジとアスカの不器用な生き方」と上に書いたわけですが、その正体は「過剰な承認欲求」であると渡部教授は指摘します
ここでエヴァンゲリオンの核心となる問題が「14歳のエヴァパイロットであるシンジとアスカの自我同一性の確立」にあるのではなく、「過剰な承認欲求」へとすり替わっているかのごとく映るかもしれません
しかし、「自我同一性の確立」とは他者の眼を介して「自我同一性を獲得している」と承認されることを意味するのであり、別個に見えても本質は同じことです。そしていまだ解決できない「思春期の課題」も同じものと考えます
他者の眼を介して承認されない限り、人は己が自我同一性を獲得できたとは認識できないのですから
翻って考えると、エヴァンゲリオンの物語に惹かれる理由は、「中高年になってもいまだ承認欲求が満たされないから」と言えるのかもしれません(これにはもちろん、別の考え方もあるわけですが、それを語りだすと長くなるので今回は止めておきます)
となれば、承認欲求が満たされないままエヴァンゲリオンの物語の方は完結してしまった、と感じ、不満を抱く人もいても不思議ではありません

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渡辺直美をブタに 五輪開会式演出を乗っ取る者とは?

何度か言及している東京五輪、パラリンピックの開会式・閉会式を巡る演出家の問題です
有識者とか有名人、タレントなどが、1年前の演出家チーム内でやりとりされたLIMEの内容をいまさら暴露するのは気色悪い、などと発言していました。が、問題の本質はそんなところにあるのではなく、野村萬斎、椎名林檎、MIKIKOといった演出家チームの当初メンバーが明確な理由も明かされない追いやられ、電通出身の佐々木宏による独裁体制が敷かれたところにあります
これによってMIKIKOが担当していた開会式の演出案(IOCへのプレゼンテーションも終えていた)がいつの間にか白紙撤回され、別のものに入れ替わってしまったわけです
要するに開会式・閉会式を請け負って儲けようとした企んだD社が、MIKIKOらを追い出し、利権を独占したというのが真相なのでしょう
大手広告代理店であるD社は直近の決算で巨額の赤字を計上しており、このままでは経営陣がその責任を問われる事態になります。そのため、少しでも利益を挙げる必要に迫られ、なりふり構わずやったのかもしれません
東京五輪・パラリンピックの開会式と閉会式を事業として請負い、それをどこかのイベント会社に丸投げすればD社は汗一つかくことなく、事業予算をピンはねして巨額の利益を手にできるのです(実際はD社の社員数名も演出プラン作成に関与し汗を流していたわけですが)
文春オンラインは次のように報じています

「このやり方を繰り返す怖さ」五輪開会式前責任者・MIKIKO氏が電通幹部に送った“悲痛メール”
東京五輪・パラリンピックの開閉会式の演出を統括していたCMクリエイターの佐々木宏氏(66)が、女性タレントの容姿を侮辱する企画を提案したことで責任者を辞任するなど、混迷を極めている五輪開会式。佐々木氏を統括責任者とするため”排除”された演出振付家のMIKIKO氏(43)が、演出チームを辞任する3週間前に、開会式を取り仕切る電通側に、現場スタッフなどへの誠実な対応を求めるメールを関係者に送信していたことが「週刊文春」の取材でわかった。メールでは、自身が排除された経緯が丁寧に綴られている。
MIKIKO氏が演出を指揮する「執行責任者」に就任したのは、2019年6月3日のこと。就任の事実は公にはされなかったものの、IOCへのプレゼンでは高い評価を受けるなど本番に向けて準備を進めていた。
ところが、新型コロナウイルスの感染拡大を受け、東京五輪の1年延期が決定。大会運営の簡素化を理由に権限を佐々木氏に集中させたいとの電通側の意向もあって、昨年5月、突如としてMIKIKO氏は責任者を降ろされた。
「以降、電通側からMIKIKO氏への連絡が途絶えました」(組織委関係者)
昨年10月16日、思い悩んだMIKIKO氏は電通幹部や関連会社の担当者ら10名に、責任者交代などの経緯や自身の想いを綴ったメールを送信した。
そもそもMIKIKO氏チームの企画案は、リハーサル寸前まで進められており、完成形に近いものだった。総勢500人に及ぶスタッフやキャストらとも、本番に向けて契約を結んでいたという。
ところが、電通側は、昨年5月にMIKIKO氏が責任者から降ろされて以降、彼らの処遇を宙ぶらりんのまま放置していた。一方で、新たに佐々木体制に変更したからといって、逆に契約を解除するという連絡を取ることもなかった。
〈私以外のコアに関わっていたスタッフは延期の報告以降、何の情報もなくただ一時停止していて再開を待っている状況です。「1年の猶予を頂けたと思って前向きに捉えましょう」という気持ちのまま止まっています。〉
電通側が不誠実な対応を続けてきた結果、開会式の舞台を夢見ていた多くのスタッフやキャストはこの間、新たな仕事を入れることもできず、毎日の生活にも大きな影響が出たという。
さらにMIKIKO氏はメールで、ともにセレモニー作りに取り組んできたはずの電通幹部や担当者らに向け、こうも記している。
〈去年の6月に執行責任を任命され、全ての責任を負う覚悟でやってきました。/どんな理不尽なことがあっても、言い訳をしないでやってきました。それを一番近くで見てきたみなさんはどのような気持ちでこの進め方をされているのでしょうか?/(略)でも、またこのやり方を繰り返していることの怖さを私は訴えていかないと本当に日本は終わってしまうと思い、書きました〉
MIKIKO氏による覚悟の訴えに対し、電通側は「佐々木氏に任せていた」などと答えるばかりで、新たな対応を取ることはなかったという。
(以下、略)

D社にすれば、電通出身の佐々木宏は使い走りとして使える人物だったのでしょう。もちろん、互いに仕事を融通し合う関係です
陰謀論めいた話だと思っていたら、本当に陰謀だったわけで唖然とさせられます
民間企業であるD社が利益を追求するのは勝手ですが、そのためにはなりふり構わず人を排除し、追い落とすやり方はエグすぎます。あの半沢直樹を広告代理店に置き換えたら、こうなるのでしょうか?
東京五輪・パラリンピックにはもちろん多額の国費が使われているのであり、国民の税金がどう使われるのか、我々は強い関心をもって監視する必要があります
D社の陰謀には当然ながら、五輪組織委員会の誰かが関与していたはずであり、「知らなかった」ではすまされません
野党は国会の場でこの問題を追求し、何があったのかを明らかにする必要があります(与党には期待しません)

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渡辺直美をブタに 組織委員会が文春にブチ切れ
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渡辺直美をブタに 東京五輪演出家佐々木宏とは?
渡辺直美をブタに 五輪開会式演出騒動の不快感
渡辺直美をブタに 五輪開会式演出騒動
東京五輪で旭日旗を振るな、と書く朝日新聞
東京五輪にサマータイム 提言の中身のなさ
東京五輪でサマータイム導入 批判殺到
「リオ五輪日本は遺伝子を高めた結果」と書く中国メディア
リオ五輪 400mリレーで日本に負けた中国の恨み節
リオ五輪 日本のメダル獲得に嫉妬する韓国
五輪問題 下村文部大臣が辞意表明
五輪エンブレム 「誰が佐野研二郎を殺すのか?」と書くメディア
五輪エンブレム 盗作疑惑で撤回するドタバタ劇
新国立競技場問題 文科省が担当局長更迭
韓国冬季五輪開催危機 日本に助けを求める?
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「東京オリンピック開催阻止」を叫ぶ韓国メディア
オリンピック誘致失敗でオバマ大統領批判される

7人の女児にわいせつ 千葉市が550万円支払い

教え子だった7人の女児にわいせつな行為をしたなどとして、強制性交や強制わいせつなどの罪に問われた元千葉市立小学校教諭八木航(36)については、すでに懲役14年の実刑が確定しています
その被害児童の1人と保護者が千葉市教育委員会を相手に990万円の損害賠償を請求する訴えを起こしていました
3月22日、千葉地裁で判決があり、千葉市に550万円の支払いを命じる判決が言い渡されています


訴状などによると、被害児童は2018年7月、小学校で当時の担任教諭だった男に別の教室に連れ出され、わいせつな行為を受けた。男が授業中に担任教諭の立場を悪用した点などから、心身の被害について市に賠償責任があると主張していた。
判決で本田裁判長は、犯行が「卑劣極まる悪質なもの」で、児童が男に似た人を怖がるようになり、その後もカウンセリングが続くなど「恐怖や不安、社会生活上の支障の程度は極めて大きい」と判断。慰謝料は500万円が相当とし、弁護士費用の損害額として50万円を加えた。
判決を受け、市教委の磯野和美教育長は「児童と保護者に心から深くおわびする。今回の事件を厳粛に受け止め、再発防止策を講じるとともに職員の意識改革に全力を傾け、市民の信頼回復に努める」とのコメントを出した。
(千葉日報の記事から引用)


まず、書いておかなければならないのは、被害児童と保護者は弁護士を介し千葉市に損害賠償請求を申し立てたはずです。いきなり訴訟ではありません。しかし、千葉市側との話し合いで賠償額が折り合わず、訴訟になったのでしょう
八木航受刑者が公立小学校教員であった時の犯行ですから、千葉市が賠償責任を負います。千葉市は求償権を行使して八木受刑者に550万円の支払いを求めることはできますが、八木受刑者に支払い能力がなければ千葉市は550万円を取り立てることはできません
八木受刑者の犯行は6~12歳の女児7人に対し、下半身を触るなど計15回わいせつな行為をし、そのうち3回分は強制性交罪にあたると認定されています。また、5人に対する計11回のわいせつ行為時に動画を撮影しており、児童ポルノ法違反にあたると認定されています
今回は1人の被害児童の訴えですから、あと6人が損害賠償請求を申し立てる可能性があります
被害の程度は個人差があるのでなんとも言えませんが、千葉市は総額で約3000万円ほど被害児童に賠償することになるかもしれません
これも千葉市教育委員会の怠慢による結果であり、市民の税金が賠償に使われるのです
すでに千葉県、千葉市で多くの教員による不祥事が発覚しており、特にわいせつ事案で懲戒処分を受けた教師は昨年度を上回っているのだとか
教員の不祥事のままに市が損害賠償を支払い続ける事態になっているのであり、教育委員会の人事、教員への指導を担当する部課の管理職の職責を問う必要があります

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「シン・エヴァンゲリオン劇場版:||」の爽快感と疎外感

「シン・エヴァンゲリオン劇場版:||」を巡る批評を読んで考えるシリーズの第2弾です
劇場版を観た後、絶賛してその感想を生き生きと語れる人と、作品に批判的な印章を抱き「観たかったエヴァはこれじゃない」感に囚われる人に二分化されるのはなぜか、という問題意識から評論家真鍋厚が論じています
早速、読んでいきましょう

シン・エヴァ劇場版鑑賞、なぜ「爽快感」「置いてきぼり感」に二極化するのか
(前略)
しかし、「新劇場版」の完結編に当たる今作はどうも、いつもと様子が違っているようです。なぜなら、テレビ版からリアルタイムで見てきた昔からのファンがこぞって大絶賛しているからです。
筆者が主な識者のコメントをざっと確かめてみましたが、狂喜と言っても過言ではない褒め方が大半です。もちろん、賛否の「否」に該当しそうな論評がないわけではありませんが、メインストリームからははじかれてしまっているようなのです。これは一体どういうことでしょうか。
きついものと映った「まともさ」
まず、賛否の「否」と思われるものとして目に付いたのは「シン・エヴァが旧エヴァ(1990年代の作品)と比較して、物語としての衝撃性や意外性があまりない」「キャラクターの変化がご都合主義的で、終わらせ方として強引ではないか」といったものでした。
それ以外にもいろいろと細かい指摘がありましたが、とりわけ興味深かったのは作品そのものへの論評とは異なる「心情の吐露」でした。「シン・エヴァを鑑賞して感動したけれども、恋人をつくれ、現実に戻って幸せをつかめと言われても、もう手遅れなんだが……」といった反応でした。これは、絶望から希望へと転換する全体的な物語の流れにおいて、「パートナーありきの人生像」が端々に刻印されていると受け取られたからだと思われます。
また、映画の中で、人々が相互扶助で生活を営む姿がユートピアのように描かれていた場面への違和感を表明するものも少なからずありました。家族だんらんや田植えのシーンに象徴される「まともな生活」、もっといえば、夫婦になって子どもをつくり、誇りとする仕事があるといった大人像がやや、ステレオタイプの推奨に感じられたのかもしれません。
要するに、ストーリーの完結のさせ方や伏線回収といった次元の話ではなく、作中でそれとなく描写される「まともさ」とされるものの提示がロスジェネ世代(バブル崩壊後の就職氷河期に遭遇した世代)を中心とするファンの間で、きついものに映ったと考えられます。
旧エヴァ以後の時代、低成長経済と中間層の崩壊に拍車が掛かり、恋人や家族を持てること自体が高価なぜいたく品のようになりました。そうしたことも含め、将来に対して希望を持ちづらい人々が拡大していったことが作品の見方に関係していると思われます。

端的に言えば、観る側の生活体験や経済事情によって感想が左右されるとの指摘です。リア充と不遇なオタクとでは、そのように明確な感想の違いがあるのでしょか?
筆者はそのような結論からこの批評を組み立てているのですから、読み流してしまうと「そんなものなのか」と受け止めてしまう人もいるのでしょう
ただ、リア充でもなく不遇なオタクでもない自分としては、この結論ありきの導入部分で違和感を覚えてしまいます
筆者は観る側の感受性を「感情資本」という概念で、以下のように説明します

文化資本としての「感情資本」
すでにちまたに作品の批評があふれ始めていることから、ここでは作品の批評をいったん横に置き、社会の実相を照らし出す触媒としての面から論じてみたいと思います。
仮に先述の「恋人をつくれ、現実に戻って幸せをつかめ」というメッセージが真だとしましょう(これは「恋人をつくれ」だけでなく、「友人をつくれ」にも当てはまる)。そのためには、当然ですが確固たるリソースが必要となってきます。つまり、最低限、周囲の仲間や社会のことを考えられる余裕がある感情の持ち主でなくてはならないからです。
例えば、「くよくよしないで勇気を出して」という決まり文句をよく聞きますが、「勇気を出す」には「優しく背中を押してくれる、自分のことを心配してくれる誰かがいる」といった「寄り添ってくれる他者の存在」が含意されています。加えて、「その人がどのような境遇を経てきたのか」「現在どのようなポジションにいるか」という要素にもかなり左右されます。このような感情の働きを「感情資本」として捉える見方があります。ここでいう「感情資本」とは次のようなことを意味します。
感情資本とは、文化資本のひとつである身体的資本として、感情管理の特定のスタイルを「自然に」身につけた人間が、より有利な社会的位置を「個人的に」獲得するかにみえるような事態を招くものである。それはある階層独特の資本としてあり、そのため、その階層の再生産に役立つことになる(「希望の社会学 我々は何者か、我々はどこへ行くのか」山岸健・浜日出夫・草柳千早編、三和書籍)。

言うところは理解できます。つまりリア充にはおのずとリア充たらしめる佇まい、対人コミュニケーション能力が備わっており、それが再生産(親から子へと受け継がれ)され、リア充の家系が成立するという話です
ただ、エヴァンゲリオンに惹きつけられた人たちが皆リア充ではありませんし、皆が不遇なオタクでもないでしょう。こうした話の進め方は世にある「勝ち組か、負け組か」、「持っている者、持たざる者」という二元論に行き着くのであり、とても賛同はできません
エヴァンゲリオンに惹かれた人というのは、リア充か不遇なオタクかはともかく、「エヴァを理解できるのは自分だけ」という、庵野秀明の提示する異形の物語をやすやすと咀嚼し吸収できる感性の持ち主を自負する人たちだったのではないでしょうか?

「感情資本」に恵まれた人/恵まれない人
(中略)
「シン・エヴァ」の中で、このような問題を大なり小なり抱えていたはずの主人公がいとも簡単にその問題から解き放たれて、大団円を迎えることの意味を無理やり探ると、棚ぼた的な「感情資本」の獲得以外に考えられません。そうでなければ、豊かな関係性が築けるはずがないからです。
しかし、そのようなプロセスには触れられず、気付いたら「そうなっていました」という形なので、肩透かしを食らったような感じが否めないのだと思われます。そして、それは棚ぼたが前提であるがゆえに、ますます困難なものに映るのです。
「シン・エヴァ」鑑賞後の「爽快感」と「置いてきぼり感」の二極化の理由の一つは「失われた20年」をうまく乗り越えることができた人々/できなかった人々の隔絶といえますが、感情資本に恵まれた人/恵まれなかった人の差異に対する認識の有無にあるともいえそうです。
「シン・エヴァンゲリオン劇場版:||」は四半世紀に及ぶ人気シリーズの総決算で、多くの人々に満足度の高い感動を与えるだけでなく、その四半世紀に及ぶ日本社会の変容が作品の受け止め方に影響し、図らずも根深い分断を浮き彫りにした、まれな映画といえるかもしれません。

筆者はあくまで「感情資本」にこだわって話を進めているわけですが、自分は「感情資本に恵まれているか、いないか」で明確に「爽快感」を得る人と「疎外感」を味わう人に区分できるとは思えません。世の中、そう簡単に二分割できたりはしないのですから
混ぜっ返すようで恐縮ですが、筆者の論の前提となる「爽快感」の中身も観た人によってそれぞれ異なる可能性があります
映画のCMのように、映画館から出てきた人が「最高です」とか「感動しました」と語っていても、中身がどうであるか詳細に検討しなければ「同じ感想を抱いた」と決めつけられません
前回述べたように、庵野秀明とそのスタッフが考え抜いた末に「エヴァンゲリオンの完結はこうである」と提示したのであれば、それが結論です。もちろん、受け入れるかどうかは観る側が決めるのであり、「観たかったのはこれじゃない」と反応し、拒否する権利はあります
「未完のエヴァンゲリオン」をどこに求めるのか、あるいはエヴァンゲリオンに代替する物語を見つけるのか、「自分だけが理解し得るエヴァンゲリオン」を語り続けるのか、反応はさまざまでしょう
「爽快感」を得た=感情資本に恵まれたとして、それが何になるのか?
リア充の自慢話みたいで不毛な予感しかしません
「観たかったのはこれじゃない」と感じ、失望や疎外感を味わった人たちの中から、エヴァンゲリオンを超える物語を生み出す人物が登場するかもしれないのですから。満足からは何も生まれません。むしろ、失望や不満が新たな創作の火種になるのでは?

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「シン・エヴァンゲリオン劇場版:||」という「終わりの物語」

確定申告のための書類もようやく片付いたので、「シン・エヴァンゲリオン劇場版:||」にまつわる批評を幾つか取り上げることにします
この新作劇場版を自分はまだ観ていないのですが、それはそれとして、各論者が劇場版を観て何を論じ、何を受け止め、あるいは受け止め損なったのか考えようと思います
最初は貞包英之立教大学准教授が「現代ビジネス」に書いた批評を取り上げます
劇場版公開前に、「これでエヴァンゲリオンは終わる。完結編だ」というアナウンスが流れました。ファンの間には、「エヴァンゲリオンが終わるわけはない。終わったと言っておいて、またやるのだろう」という楽観論がある一方、「エヴァンゲリオン・ロス」を危ぶむ声もありました
庵野秀明にとっての終わりではあっても、ファンとしては終わりを受け入れたくない(永遠にエヴァンゲリオンの物語が続いていほしいとの願望)があり、本作を最後にエヴァンゲリオンが作られないとなったら「己の中の未完の物語をどうすればよいのか?」と
その辺りも念頭に置きながら、読み進めましょう

結局、『シン・エヴァ劇場版』は何を終わらせられなかったのか
終わらない物語
『シン・エヴァンゲリオン劇場版:||』に望まれていたこと、それは終わらせることだった。25年ものあいだくりかえされ、結果として、その間に震災やコロナ禍などいくつものカタストロフィも通過してきた物語を終わらせること。
しかし結論からいえば、『シン・エヴァンゲリオン劇場版』は、それができているようには思えない。
わかりやすい結論は、たしかにそこにあった。父を倒すこと、父になること、カップルを作り、自給自足ともいえるような共同体に戻ること。就職すること、地元に帰ること。多くの登場人物たちは、ついに居場所をみつけ、そこに落ち着いていった。
それにカタルシスがあったことも否定しない。四半世紀の間、ファンたちの熱い思いを受け止めてきたキャラクターたちが、勝手な思い入れから逃れ、ようやく自分の居場所をみつけたのである。
ただし問題はそうした解決が、安易なものといわざるをえなかったことにある。世の中の規範を受け入れ、家族をつくり、成長すること。多くの作品でくりかえされるそうした物語自体が悪いわけでは、たしかにない。
しかしわざわざ、それを『エヴァンゲリオン』でやる必要があったのか。そうした結末にたどり着くなら、TV版で、または最初の劇場版ですでにできたはずだし、あるいは新シリーズの劇場版もこれほど長引かせなくてもよかったはずである。
そうした陳腐な居場所探しの物語を拒否したからこそ、『エヴァンゲリオン』は、ここまで引き伸ばされてきたように思われるのである。

筆者は「シン・エヴァ劇場版」が物語を正しく終わらせていないと断じています。もちろん、それは筆者が望んだ形での完結ではないという意味です
「シン・エヴァ劇場版」が陳腐な居場所探しの話として完結してしまった⇒これまでの物語はいったい何であったのか、という意見です

『シン・エヴァ』は期待に応えていない
それはエヴァも同じだった。たしかにそこには、(1)スーパーロボットの枠組みを借りた家族の物語、(2)宇宙戦艦ヤマト的物語を反復する日本を世界の救世主とみなすナショナリスティックな欲望、(3)美少女たちがなぜか自分を愛してくれるという男性中心的な都合の良い性的妄想がふんだんに「サービス」されていた。
しかしそれを、わたし(たち)は愛したのではなかった。それはたんなるギミックにすぎず、むしろそれを超えて、父や母の物語とは別の場所で生きる権利――「父に、ありがとう 母に、さようなら」――や、国家や組織が語る大きな物語に対する不信、そしてひとりで生きる強さや孤独が、そこで擁護されていたのではないか。
『エヴァンゲリオン』は登場人物たちを、なぜ自分が戦わなければならないのかわからないような不条理の極限の状態に追い込みながら、シンジや綾波やアスカにそれぞれの決断を迫っていったのである。
そうすることで、秋葉原も、『エヴァンゲリオン』も、戦後日本のなかに拘束され、息をつまらせられてきたものとは別の社会を生きることを夢みさせてくれたといえる。
あえていえばそれはバブル崩壊のなかで中断された(ようにみえる)「消費社会」というプロジェクトを引き継ぎながら、より自由な生き方を目指す試みとしてあった。
そうして戦後日本を縛ってきた「人間」像のなかでタブー化されていた、より孤独で私的な欲望を、しかし妥協なく生きていく道を選ぶことを人びとに提案していったのである。

日本がどうの、地球がどうの、その危機を誰が救うのかといった大きな物語が背景にあったとしても、1番重要なのは14歳の孤独な少年が「自分はいったい何者であるのか」を問い、答えを探す過程にあるとの考えを筆者はしているのでしょう
その過程を模索し続けたエヴァンゲリオンにしては、「結末が安易すぎる」と納得できないようです

そうして戦後日本を縛ってきた「人間」像のなかでタブー化されていた、より孤独で私的な欲望を、しかし妥協なく生きていく道を選ぶことを人びとに提案していったのである。
25年後の閉塞
しかし『シン・エヴァンゲリオン:||』は、そうして開かれた問いに応えたようにみえない。個人が示した勇気と決断の先には、家族の幻想、カップルの幻想、共同体の幻想しかないとそこでは主張され、そこからはみだす個であることは否定――そうでなければミサトや冬月のように死ぬしかない――されるのである。
そうして出口を探していたら振り出しに戻るというループのなかに、エヴァンゲリオンの物語は閉じこめられてしまったようにみえる。そしてそれは、秋葉原の衰退が昨今、つぶやかれ始めているのと、奇妙にシンクロしている。
端的にはコロナ禍のため、しかしおそらくは高齢化や日本の経済的な地位の低下など社会のより構造的な変化のなかで、秋葉原にかけられていた夢は霧消し、その街は普通の街に戻ろうとしているようにみえるのである。
それを仕方がないとみる人もいるだろう。娯楽作品として、エヴァはたしかにひとつのありうべき結末を与えている。ただしこうした「逃避」によって、『シン・エヴァンゲリオン』が、現代的な面白さ、またそれを前提とした、エンターテーメントとしてもより大きな成功の可能性を失ったのではないかという疑問も残る。

秋葉原が永遠に新しい流行の発信地、オタクの聖地であり続ける必要はないのであり、荒廃し没落し、再開発によって様相を一変させることもありでしょう
また、「エヴァンゲリオン」が永遠に「オタクの夢」であり続ける必要はないと自分は思います
「エヴァンゲリオン」がエンターティメントとして成功を得るには、今後も劇場版が作り続けられる必要があり、それは庵野秀明の考えではないということです。庵野秀明が誰かに続編を作る権利を譲渡すれば、この先も新たな「エヴァンゲリオン」が数年ごとに登場し、劇場を賑わせるのかもしれませんが

現代的な問題を取り入れていたら…
エヴァにより現代的な問題が取り入れられていたらどうなっただろうか。

たとえば、フェミニズムの問題。母として子どもを守るか、男に頭を撫でられる存在となるだけが女性の生き方ではないという問題がもし映画に含まれていれば、アスカや綾波は他者のために曖昧に生きるのではなく、自分たちの運命に抗する戦いを、もう少し切実に戦うことができたはずである。
あるいはセクシュアリティの問題。シンジとカオルの関係は、96年当時、BL的なものを大衆的に認知させるのに大きな役割をはたした。しかしそうした関係は、『シン・エヴァンゲリオン:||』ではなかったことにされる。ホモソーシャルな安定した友愛の関係ではなく、より切実で多形的な関係に目覚めたとしたら、シンジは世界を救うための操り人形的な役割におさまることのない自分の物語を生きられたのではないか。
またはエスニスティの問題。『シン・エヴァンゲリオン:||』では、アスカが背負っていたようなエスニシティのような問題は、より単純な人工生命といった問題に還元され、ほとんど浮上しない。
それにもう少し丹念な目を注ぎ、あるいはさらに、アジアに広がる微妙で微細な問題を新たに取り込むことができていたなら――真希波はそうしたキャラクターになれたのかもしれない――、生き残るのは日本人ばかりという不可解な物語も相対化できたはずである。

終わった物語に「もしも…だったら」と投げかけたところで仕方がないのであり、フェミニズムや同性愛など取り上げたいのならそれは別の物語でやればよいのでは?
「エヴァンゲリオン」でやる必要はないと思います
先に放送されたNHK「プロフェッショナル」の庵野秀明特集で、この完結編のため庵野が何度も脚本を書き直している姿を映していました
「完結させる」との結論があったものの、そこへ至るまでは紆余曲折があり、最後は庵野の出した結論をスタッフが受け入れ、この形になったのでしょう
であれば、これが物語の終わりであり、これ以外の完結はなかったと理解せざるを得ません。それが嫌なら薄い本(同人誌)でも作って、「私のエヴァンゲリオン」をやるしかないでしょう
最終的に碇シンジがコンビニエンスストアの店員になっても、宅配便の運転手になってもよいわけです
筆者自身がいつまでも、「バブル崩壊のあの時代」に執着し、見果てぬ夢を追いかけている風に感じました

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サッカーで韓国惨敗 「横浜惨事」と書く韓国メディア

10年振りとされるサッカーのフル代表による日韓戦が横浜の日産スタジアムで行われ、3-0で日本代表が勝利しています
懸念していたとおり、韓国選手のラフプレー(顔面への肘打ち)で冨安健洋選手が前歯を折られて出血する事態になりました。レッドカードで退場を命じられても当然、という悪質な反則です。が、審判はなぜかスルーしており、どこを見ているのかと思うばかりです
韓国チームの不甲斐ない試合ぶりに、韓国メディアは代表チーム批判、監督批判を繰り広げています。代表監督であるパウロ・ベントはポルトガル代表チームの監督も務めた名将で、韓国チームの監督にはもったいない人物ですが多くの批判を浴びる事態になっています。早々と辞任するのかもしれません


「横浜惨事」韓日戦…東京五輪の聖火リレー開始日、韓国は脇役に
7月に開幕する東京オリンピック(五輪)聖火リレーが25日午前に始まった。出発点は2011年東日本大震災が発生した福島だった。日本政府は五輪を通じて「復興」を全世界に知らせようとしている。
同日午後7時20分、横浜の日産スタジアムで開かれた韓国・日本代表チームによる親善試合は、日本の立場で「安全な五輪」を広報する機会だった。観客も1万人収容した。日本の狙い通り、韓国代表は完全な「脇役」だった。
「横浜惨事」だ。2011年札幌で0-3の惨敗に喫して以来、10年ぶりの韓日親善戦で再び惨敗、歴代3回目の3ゴール差で敗北した。韓国(FIFAランキング38位)は日本(27位)に前半2ゴール、後半に1ゴールを奪われて0-3で負けた。「80回目の韓日戦」で敗れて、韓国は相手戦績は42勝23分け15敗となった。韓国は孫興民(ソン・フンミン、トッテナム)、黄儀助(ファン・ウイジョ、ボルドー)ら主軸が負傷および新型コロナウイルス感染症(新型肺炎)に伴う所属チームの防疫規定のため合流できなかった。事実上、1.5~2軍だった。
韓国のパウロ・ベント監督(ポルトガル)は李康仁(イ・ガンイン、バレンシア)を最前方に出す「ゼロトップ(最前方と中盤の区分を曖昧にして相手をかく乱する攻撃フォーメーション)」を使った。戦力上では互角には戦えないため、変則戦術を使った。選抜名簿のうち欧州組が韓国は李康仁だけだが、日本は大迫勇也(ベルダー・ブレーメン)をはじめ8人だった。キックオフ直前、孫興民はインスタグラムに「一緒に戦えず申し訳ない気持ちが大きい」というコメントを残した。
ベント監督は李康仁、ナ・サンホ(ソウル)、イ・ドンジュン〔蔚山(ウルサン)〕ら173センチの短身トリオのスピードを活かそうとしたが、日本が看破した。日本のパスサッカーと圧迫に韓国DF陣は総崩れとなった。
前半11分、遠藤航(VfBシュツットガルト)のヘディングシュートがクロスバーにヒットしてヒヤリとしたものの、韓国はそのまま前半16分に失点した。韓国が危険ゾーンからボールを押し出そうとする間、大迫のヒールパスをサイドバックDFの山根視来(川崎)が強烈なシュートを蹴り込み、先制点を奪われた。前半26分、李康仁~洪チョル(蔚山)に続いたパスが切れ、逆襲チャンスで鎌田大地(アイントラハト・フランクフルト)は右シュートで追加ゴールを奪った。ベント監督は後半に李康仁を下げて鄭又栄(チョン・ウヨン、フライブルク)を投じた。韓国の機動力と闘志がやや上昇したが、後半38分に追加失点を喫した。コーナーキックで遠藤を完全にフリーにしてしまい、ヘディングで追加ゴールを奪われた。一方、後半39分にイ・ドンジュンが初の有効シュートを記録した。
選手の時に日本戦で2ゴールを決めた安貞桓(アン・ジョンファン)解説委員は、中継中に「韓日戦は勝敗だけが残る残忍な試合だ。『最後の試合と考えて必死にプレーしよう』と考えた」と回想した。これまで韓日戦の戦績で相手を上回っていたのは、韓国が体を張った闘志あふれるプレーをしてきたからだ。だが、前半基準でシュート(1対9)はもちろん、ファール数(5対9)でも押された。
ハン・ジュンヒ解説委員は「制空権が低い韓国FW陣にスピードの遅いロングパスを蹴った。MFからゲームを組み立てていかなければならないのに、中盤を制された。当初、洪チョルら選手選抜も納得行かず、カタールリーグの選手〔アル・サッドSCの南泰煕(ナム・テヒ)〕や鄭又栄に執着した。守備型MFとして充分ではないのにメンバー入りさせ、選手団リーダーもいないようだった。ゴールキーパーのキム・スンギュ(柏レイソル)でなければ、5~6失点もありえたかもしれない最低の成績だった」とした。
(中央日報の記事から引用)


監督の立場からすればさまざまな選手を試し、戦術を模索している段階であり、目先の1勝に執着する理由はないのでしょう
しかし、韓国のサッカーファン、メディアからすれば「日本に負けることだけは許せない」と思いこんでるため、今回の敗北は許せないと憤っています
韓国メディアはベント監督に、「ヨーロッパでプレーする選手を起用していたら違う結果になったか」と質問を浴びせています。ベント監督はそうした仮定の質問は「今回プレーした代表選手たちに失礼だ」と返しており、敗戦で頭に血が上った記者と冷静な監督という図式を見せていました。「テストマッチであってもすべて勝たなければ」などというのはいかにも素人臭い反応でしょう
ましてや日本はFIFAランキングで韓国より上位にあり、楽に勝てる相手ではありません。上記の記事にもあるように、韓国メディアはしきりに通算の日韓戦の勝利数を挙げ、韓国有利と書いているわけですが
次のワールドカップを見据えた戦いをするためにも、テストマッチで代表経験のない若手選手を起用して試すのは必要であり、実績ある選手でベストメンバーを組むだけではチームの伸びしろが見えてきません
韓国はいつものように代表チーム監督の首をコロコロと挿げ替え、迷走する気なのでしょうか?

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