長崎男児殺害事件(2003年)を考える 2

前回、吉岡忍の論評を引用しましたが、同じ紙面で吉岡は「事件の外側から眺めているだけでは分からない部分がある。外部からの理解は、内部に働く歴史や文化のダイナミズムを切り捨てることにつながり、人間の場合には、成育や関係や経験の意味を無視して裁断することにつながる」という趣旨の発言をしています
それにしては吉岡は少年の内面世界に言及せず、イラク戦争や北朝鮮への制裁を叫ぶ日本批判を展開し、世界に攻撃的な風潮が蔓延しているからこうした事件が起こるのだと結論付けています。不思議な結論です
さて、余談はこれくらいにして本題へ移ります

このブログの東電OL事件についても書いたのですが、

強迫神経症の人は他人には分からない独自のストーリーを抱いており、その自分で創作したストーリーに縛られてしまっている場合があります
本件の少年は強迫神経症ではありませんが、犯行動機にはおそらく彼が創作したストーリーが関わっているのだろうと推測します
捜査資料や精神鑑定の書類など見ていませんから、新聞報道などを元にした仮説にすぎないと申し上げておきます
事件ではペニスをはさみで切り取るという行為の異常さが際立っており、その意図を巡ってさまざまな意見が出ました
同性愛的傾向やサディズムに言及するものが多くありました
しかし、どの説を読んでも少年が男児のペニスを切除する(去勢する)意味が曖昧なままで、納得できません
これは去勢という儀式です。男の子を去勢して女の子にしたかったのでしょうか?
なぜ最初から女の子を狙わなかったのか?
つまり狙いは男の子でなければならなかった、と考えなければなりません。そして去勢という儀式は第三者に向けたものではなく、おそらくは彼自身に向けたものだったのではないか?
他人のペニスを切除するというサディスティックな行動に目を奪われてしまいますが、彼の抱いていたストーリーは彼自身が誰かの手によって去勢されるマゾヒズムに彩られたものであったと考えます
一般にサディズムとマゾヒズムは対置して考えられ、相反するものだと思われがちなのですが、決してそうではないのです
フロイトは「性理論三篇」において「サディストは、つねに同時にマゾヒストである」と指摘しています
ですから、サディズムかマゾヒズムかという二元論的な考えでこの少年の内面を考えるのは誤りです
少年は自らの去勢の儀式を執り行うため、幼い男児を自分自身に見立てそのペニスを切断したのだ、と考えます
次回はエディプスコンプレックスと去勢コンプレックスについて書きます

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