盧武鉉前大統領の「真正性」とは?

盧武鉉前大統領逝去後、韓国国民がその死を惜しみ追悼しようとする熱気を日本のメディアは理解していない、と批判する記事があります
原文は韓国語なので、2ちゃんねるに貼られた翻訳をそのまま引用します
この記事でひっかかるのは「真正性」をやたら強調しているところです
記事の前段は省略しますが、「収賄で問題になった前大統領の自殺を国民が悲しみ、追悼する理由を日本のメディアは理解できていない。感情移入しやすい韓国人の集団心理としか見ていないのだ」と指摘します。


政治にあっての「真正性」
韓国と日本は各々民主主義の課題が同じであるはずがない。それでも選挙を控えて与党が大々的なばらまき政策を展開して野党が「友愛」をキャッチフレーズに政権交替に挑戦する中で、韓国市民社 会がノ・ムヒョン追慕を通じて確認した‘真正性’の意味は決して他人事ではないだろう。
日本にノ・ムヒョンの‘真正性’を説得する意図はない。だが哀悼政局の底流にはある政治家が残して 去った「真正性」に対する渇望があることを伝えるのは市民社会の連帯のためにも必要だ。残念なが ら日本は政治において‘真正性’の意味を悟る機会をついにのがしてしまった。
ソース:メディア・トゥデー(韓国語) ノ・ムヒョン逝去で日本がのがしたこと


さて、それほどまでに重大視している「真正性」とは何でしょう?
盧武鉉は軍事クーデターによって誕生した大統領でもなく、既存の政治勢力の中から生まれた大統領でもなく、国民の意思から生まれた大統領であり国民の希望だったと言いたいのでしょう
国民の期待・希望を、イノセンスを「真正性」と形容しているのだと思います
しかし、それを損なったのは間違いなく盧武鉉本人です
「清廉潔白にして弱者の味方」というイメージを行動で壊したのは本人です
だから盧武鉉の「真正性」を日本人も敬え、と記事にされても共感しようがありません
むしろ、600万ドルの不正な資金を追求せずに捜査を打ち切ってしまう韓国の態度こそ驚きであり、奇妙です
それは民主主義などではなく、情実であり偏愛にすぎません
盧武鉉への支持が昨年8月では10%以下に落ち込んでいたのが、自殺後は急上昇しました。本当に「真正性」を主張するなら、これほど浮き沈みがあるのは変です
結局、盧武鉉が自殺したから同情を集め、持ち上げられているのが今の現象であり「真正性」など最初からどこにも存在しないのだと言えます
ただ、そうあってほしかったと思っているにすぎません