羽海野チカ「3月のライオン」 編集者はかく語りき

「マンガ大賞2011」を受賞した羽海野チカ作「3月のライオン」について、もう少し書きます
昨年のMANTANWEBに編集者が作品について語っている記事が載っています

マンガ質問状 :「3月のライオン」 「ハチクロ」羽海野チカが送る渾身の将棋マンガ

「この作品の魅力は?」と訊かれて、担当編集者は「孤独に耐え、将棋という勝負の世界に生きる17歳の少年『桐山零』。ふとしたきっかけで知り合った川本家の『あかり』『ひなた』『モモ』の三姉妹、彼女たちとのふれあいの中で、徐々に桐山の凍てついた心は溶かされていきます。登場人物のすべてが失われた大事なものを、少しずつ取り戻していく、優しい物語です」と語っています
単行本のカバーにも、「様々な人間が、何かを取り戻していく優しい物語です」と印刷されているので、これは担当編集者が書いているのだな、と分かります
この宣伝文句が実はよく分からないので、わざわざ取り上げました
「大事なものを取り戻す」とは、いったい何を言い現しているのでしょうか?
主人公である桐山零は、父と母と妹の3人を交通事故(飲酒運転のトラックが引き起こしたもの)で1度に失うという孤独な境遇にあります
日本のマンガでは両親が亡くなっているとか、片親だけでしかも別居している、などの設定が好んで使われます
物語を構築するための便法であり、物語のスタートは新しい人間関係の始まりと位置づけたい作者の意向が働くためです。親や兄弟姉妹のしがらみがない方が、物語を構築しやすく、人間関係の描写の自由度が高いからです
というわけで、「3月のライオン」も主人公の絶対的な孤独の境遇に設定されているのですが、ありきたりのマンガと違うのは桐山零が養父(プロの棋士)に引き取られ、その家の息子や娘との愛憎を経て、家を出てしまったという流れになっているところです
特に義理の姉にあたる香子は執拗なまでに桐山零に絡み、その足を引っ張り、心をかき乱す役割を果たします
両親が不在という日本マンガの便法とは真逆の、ドロドロした人間関係がそこにはあります
プロの棋士を目指し、そうすることで父親の愛情を手にしようと望む香子でしたが、家に転がり込んできた余所者(桐山零)の実力の前にプロの道を断たれ、以来、何かにつけ零に絡み罵倒し、邪魔をします
言うまでもなく、香子は零の陰画ともいうべき存在であり、プロの道を歩む零とプロの道を断たれた香子のコントラストが物語に深みと陰を与えています
さてそこで、「大事なものを取り戻す」という宣伝文句に戻るのですが、絶対的な孤独にある零は何を取り戻すのでしょうか?
家族の温もりとか、情愛というものは川本姉妹との交流で補完できているのですが、それで終わりというわけではないと思います
この先、零が何を手にするのか、物語の行方を見守るしかありません
失ったものは取り戻せない、との思いが自分にあるからこそ、「大事なものを取り戻す」という宣伝文句にひっかかり、違和感を覚えてしまうのでしょう
人間は喪失感を内に抱え、多くのものを失いつつ、それでも何かを手に入れつつ、生きて行くものだと考えるからです(取り戻せるのかな?)
あるいは自分の進むべき道を失った香子は何を取り戻すのでしょうか?
彼女なりの生き方を見出すのか、あるいはとことん堕ちて行くのか、気になるところです
そんなドロドロした人間関係とは別に、川本姉妹のほのぼのとした日常も「3月のライオン」の魅力です。言うまでもなく、川本姉妹も家族を失うという傷を内に抱え込んでいるのですが
余談ながら、自分の一番好きな場面は第2巻の最初の部分にある、名人宗谷冬司が主人公桐山零の前を通り抜けるシーンです
将棋会館の前でタクシーを降りた宗谷冬司は、どこか遠いところを見るような目をしたまま、音もなく歩み去るのですが、この数カットだけで物語が引き締まり、近い将来桐山零がこの怪物と対決するであろう予感を漂わせています
余計なセリフも説明もなく、主人公の独白だけが添えられるカットですが、緊迫感がみなぎっています
こんなシーンを描ける羽海野チカは、只者ではないと言えるでしょう
やはり日本のマンガ家は凄い、と実感する描写です

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