山口連続殺人事件を考える 「八つ墓村」と書くメディア

山口県周南市金峰の集落で5人が殺害され、民家が放火された事件で、犯人とされる保見光成(ほみ・こうせい)容疑者(63)が逮捕された事件について、3度目の言及になります
報道の中にはこの事件を「現代の八つ墓村」と表現し、何かを指摘したがごとく振舞っているところがあります
しかし、横溝正史の小説「八つ墓村」と本件とでは何の関連性もなく、こじつけと言うほかありません
田舎で起きた大量殺人だから「八つ墓村」だと言いたいだけではないのか、と訝ってしまいます。あるいは絶妙なネーミングだと思い、読者受けすると勘違いしている可能性もあります


限界集落“現代の八つ墓村”異様な光景…マネキン、防犯カメラ、放火ほのめかす貼り紙、浮いた容疑者の周辺
山間の集落で起きた大量殺人は、平成の「八つ墓村」のようにも語られるが、映画、ドラマと何度も映像化された横溝正史の推理小説「八つ墓村」は、昭和13年に岡山県で起きた「津山30人殺し」も元にしているとされる。若者が2つの集落の30人を日本刀や猟銃などで次々に殺害。自身も自殺した前代未聞の事件だ。
映画「八つ墓村」(昭和52年)は、当時のCMで流れた「祟(たた)りじゃ~」というフレーズが、子供から大人まで流行した。
時代は変わり、小説や映画ではなく、現実に5人の命が狭い集落の中で奪われた。現代に起きた悲劇。その真相がわかる日は来るのだろうか。


「その真相がわかる日がくるのだうか」などと末文に記しているのですが、ならば読者をミスリードするような「現代の八つ墓村」などという表現を用いるのはやめるべきでしょう
狭い集落での人間関係のこじれが殺害の原因であるのは疑いようがなく、祟りなどではありません
小説のモチーフである落ち武者伝説も関係ないわけで、「八つ墓村」を持ち出す必要はどこにも存在しないと自分は感じます
もちろん、先にも指摘したとおり「津山30人殺し」とも違う事件であり、「同じだ」と単純に決め付けるような見方では「真相がわかる日」など永遠にやってこないと言い切れます
現代哲学の潮流に現象学という方法があります。現象学を思い切って簡単に説明すると、「世界が己の意識の上にどう立ち現れているか」を問う方法です
現象学の側からすれば、同じ集落に暮らしていた者であっても保見容疑者の見ていた世界と、被害者たちが見ていた世界は違っており、同一の世界ではありません
保見容疑者の犯行は彼独自の世界の表現であって、被害者たちの語る世界(集落での暮らし、人間関係)とは隔たっているわけです
ですから集落の人たちの証言をどれだけ集めたところで、保見容疑者の意識の上に立ち現れていた世界を描くことはできません
だから無意味だと言うのではなく、その隔たりこそが軋轢を生み出し、反目を深めるに至ったと考えられます
この事件を語るのに「八つ墓村」という虚構を持ち込んだところで、保見容疑者の内面世界を説明するのに役立ったりはしないのであり、事件の意味を読み違えるだけでしょう

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