構造主義の立場で「風に谷のナウシカ」を語る その1

今回は安田女子大紀要(2010年)に掲載された西原明史准教授による論文を引用し、2回に分けて書く予定です
安田女子大学という存在をこの論文を目にするまで知りませんでした。広島にある女子大なのだとか
宮崎駿の「風の谷のナウシカ」の漫画版について、いつか取り上げたいと思いつつ放置してきました。
引用する論文「.宮崎駿と『構造』の力― 新疆の民族間関係に関する一提案」は、「風の谷のナウシカ」を構造主義の側から読み解こうとする試みです
論文自体はウェッブサイトから削除されてしまったようで、Googleのキャッシュから拾い出しています。全体を読みたい方は論文のタイトルをGoogleで検索し、キャッシュからPDFファイルを開いてください
なお、残念ながらこの論文は劇場版アニメの「ナウシカ」を語っているのであり、そこに物足りなさを感じます
以下、気になった部分の1つを引用します


宮崎駿と「構造」の力― 新疆の民族間関係に関する一提案
⒉ 宮崎駿作品の構造分析(1)-『風の谷のナウシカ』-
(前略)
回想シーンの中で,ナウシカの父母は幼い彼女から容赦なく王蟲の幼虫を奪いさるし,ペジテの人々は王蟲の子どもをおとりに王蟲を操り,都市や村を滅ぼそうとする。こういったエピソードは自然の否定的な表現を担わせるためにあえて挿入されたものだとは言えないだろうか。
一方で文明の側に対する否定的な表現があるのはもちろんである。トルメキア軍は容赦なく小さな「風の谷」を占領し,リーダーであるナウシカの父を殺害する。文明側の残忍さを強調するためのシーンであろう。そして兵士たちはみな甲冑に身を固めその素顔を出さない。人間味を感じさせず,その冷酷さを強調するためではないだろうか。またその巨大な飛行船は虫の攻撃や小さなグライダーの攻撃によってさえもあっけなく墜落していく。最後には文明の極みであったはずの生物兵器も簡単に崩壊する。その弱さ・脆さを繰り返し描くことによって,文明を取るに足らぬものと否定しているのである。文明の否定とは裏を返せば自然の肯定を意味するわけだが,そのような宮崎のよく言われる主張に合致するエピソードも次に挙げていきたい。
そもそも「風の谷」の人々の牧歌的な暮らしは自然と共に生きることの礼賛であろう。また毒ガスをまき散らす植物群だが,実は大地の毒を吸収し,浄化しているとの秘密が劇中で明かされる。また映画のラストでナウシカが身を挺して王蟲の進撃を止めるシーンは,生身の身体という
人間の動物的な部分の活用により成功を収めたことになるわけだから,自然の称揚と言える。また王蟲がナウシカの行動に感動したのか怒りを鎮めるシーンは,虫にも理性があることを窺わせる。
もちろん自然肯定のエピソードである。そう,要するにこの映画は各エピソードが自然の否定もしくは肯定という意味を表しながら展開しているのである。
細かなところでは,トルメキアの司令官がピストルで虫を刺激するシーンがある。その直後に今度はペジテの少年が同じことをする。これなどはこの映画の骨組みを象徴的に示すシーンだ。
要するに文明の側が愚かで残酷なことをすれば,自然の側も同じことを繰り返す。自然と文明双方を公平にある時は持ち上げ,次には引き下げたりしているのである。註の(1)で触れたことなのだが,佐藤が「強引なハッピーエンド」(1992:74)と呼んだ部分も,この流れで再解釈できる。確かに色々な問題を未解決にしたまま突然エンドロールが出始めるのだが,これは直前に展開した自然礼賛的なエピソードが与える印象を薄め,観客を余韻に浸らせないための配慮だったとは言えないだろうか。つまり,これもまた自然の否定を婉曲的に意味させるためのエピソードだったのである。
さて,ここで思い出すのが前章で述べたレヴィ=ストロースによる神話分析の結果である。この物語から析出されたのもやはり,対立する考え方の肯定と否定の反復という骨組みだった。つまり,『風の谷のナウシカ』とオイディプス神話は同じ「構造」を持つのである。ということは,後者が対立の調停という機能を持っていたように,『ナウシカ』もまたそれを意図していたと仮定できる。つまり自然か文明か,言い換えれば環境保護か開発かという簡単には答えの出ない選択肢の間の調停を行おうとする物語だったのである。どちらも捨てがたく,とりあえず双方を受け入れてしまわざるを得ないという印象を与え,対立を中和する物語と言ってもいい。表面上は単純明快なエコロジー映画という装いをまといながらも,同時にこれはそんなに簡単に結論の出る問題ではないということもまた暗示されていたのである。先ほどの引用と同じ主旨の言葉だが,内田は「このような物語の厚みが私たちを繰り返し挑発し,解釈へと誘い,それが映画を見ることの深い愉悦を経験させてくれる」とも述べている(内田,2003:69)。『ナウシカ』はやはりそんな「厚み」を備えた作品の一つだったのである。
ところでこの内田は別のところで宮崎作品についてこんな問いかけをする。「宮崎はいったい何のために『空を飛ぶ少女』を際限なく描き続けるのでしょう」(内田,前掲書:56)。これについても,対立の調停というこの映画の機能と絡めて考えれば,一つの解答が可能になる。グライダーを使って自由自在に空を飛ぶことのできるナウシカは,人間でありながら毒ガスを吐く木々の森に入っても大丈夫だし,虫たちともコミュニケーションできる特殊な才能を持つ。また女性でありながら男のような剣さばきも見せる。
つまり種も性も超えられる存在なのである。これは佐藤が言うように自然か人間か「どっちつかず」(佐藤,前掲書:70)な性格付けを意味するのではなく,とりあえず今は両方を受け入れざるを得ないというこの作品の隠された主張が,彼女の造形に反映されたと言うべきであろう。作品の趣旨と反する言動を行う主人公では,物語がそれこそ破綻してしまうのだから。そして,このような特性を持ったキャラクターに最も相応しい行為とは何であろう。境界を越えていける,というイメージをそこから引き出せる行為とは,まさに「飛ぶ」ことではないだろうか。「飛べる」のなら性も種も軽く超えていけるだろうと観客も論理的に想像できる。従って越境というナウシカの性格や行動に違和感を持たなくてすむ。これが,宮崎駿によってナウシカが自ら空を飛び回れる能力を付与されたことの私なりの理由付けである。


長々と引用しました。
劇場版だけを見て語るという罠に落ちた典型というか、物語のあらすじに沿ってありきたりの自然肯定、自然賛美寄りの解釈です
論文が紀要に掲載された2010年であれば、漫画版も既に完結して相当時間が経過しているのであり、なぜ漫画版に目を通さなかったのか不思議です(特段、批判する意図はありません。単なる愚痴です)
論文中に登場する「内田」とは、神戸女学院大学名誉教授内田樹のことであり、内田樹の著作「映画の構造分析 ハリウッド映画で学べる現代思想」(晶文社刊)からの引用です
当ブログを読まれる方の多くが承知しているように、劇場版「ナウシカ」は物語が破綻しており、無理やり尺に収めるためああした構成になっているわけです。スタジオジブリの中には、絶対的な権力者宮崎駿に向かって「こんな脚本じゃ、客は理解できない」と諫言する人はいなかったのでしょう
その点、漫画版「ナウシカ」はもっと丁寧に語られています
さて、上述したようにいろいろと欠点のある論文ですが、引用部にもあるところの「対立を中和する物語」という卓越した見解を含んでいます
どちらかが勝利し、どちらかが敗北する物語ではなく、対立を超えて折り合い妥協点を見出そうとする物語だ、と指摘しているのです
「癒やしの物語だ」などと書くありきたりな映画評論より、深く優れた洞察でしょう。和解させるでもなく、解決するでもなく、「対立を中和する」という表現は秀逸でしょう
特にアニメーションの場合、観客にわかりやすい物語を提供する必要があるため、悪玉と善玉が戦い善玉が勝利するという単純な図式が好んで用いられます。日本のアニメーション作品はこうした単純な図式を嫌い、さまざまな工夫を凝らしてきました。それについてはここでは述べません
悪玉対善玉という構図は、二項対立の様式です。議論をする際にも、論文を書く際にも二項対立の様式は頻繁に用いられます
大雑把な表現ですが、構造主義は二項対立の様式を嫌い、これを克服しようと挑み続けてきたとも言えます。
だからこそ、この「対立を中和する物語」という見解に頷けるところがあります
次回は本題というか、オイディプス神話と「ナウシカ」の物語の比較、分析について取り上げます

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