宮崎駿「風たちぬ」研究 夢見る権利

宮崎駿の作品「風立ちぬ」について書かれた論文を引用し、考えようという企画です
映画や小説の感想をブログやSNSに書く人は多いのですが、作品を対象とした学術論文を俎上に載せて語ろうという人はほとんどいないところに目をつけ、やっています
さて、今回は立教大学などで教鞭をとる今村純子講師の「夢見る権利 宮崎駿監督映画『風立ちぬ』をめぐって」を取り上げます
この論文に特に引かれたというわけではなく、Bingで検索をかけたら1番上に表示されたという即物的な理由によります(1番上に表示されるからには、検索されて読まれている論文なのでしょう)

「夢見る権利 宮崎駿監督映画『風立ちぬ』をめぐって」
https://hermes-ir.lib.hit-u.ac.jp/hermes/ir/re/27832/jinbun0001000200.pdf
この論文、「夢見る権利」について以下のように書かれています。「夢見る権利」とは唐突な感があるものの、そこは筆者なりの考え、ロジックがあるのでしょうから、まずは黙って読み進めましょう


11本のアニメ作品で国内外の広い人気を博し、『風立ちぬ』(2013 年)をもって引退宣言をした宮崎駿監督作品のなかで、一見したところ互いに異なるテーマを扱う作品を「夢みる権利」という視点から捉え直すならば、この個から普遍への展開の宮崎監督ならではの文様がうっすらと浮き彫りになってこよう。
(中略)
彼女たちを救い,彼女たちを支えるのは、苛酷な現実から目を背けず、それをありのままに受け入れる瞬間に、内側から発揮される彼女たち自身の 想像力であり、そのイメージの世界の豊かさである。どのように苛酷な現実に直面していようともわたしたちは自らの想像力によって「夢みる権利」がある。このことを宮崎監督のアニメ作品はつねに鮮烈に描き出している。
この「夢みる権利」という視点は『風立ちぬ』に至るまで一貫している。
だがこの映画は、それまでの宮崎の作品とは一線を画している。それはこの映画がファンタジーではなく、実在の人物が生きた10 年余りの年月を描いているということである。しかもその人物とは、爆撃機、わけても多くの若者を死に追いやった零戦(零式艦上戦闘機)の設計家として名高い、堀越二郎(1903~82 年)だということである。この強烈な負の刻印を超えて、いかにして堀越二郎その人に肉薄し、その人の生、その人の息遣いを描き出すことができるのであろうか。


宮崎駿が一貫して描き続けたもの、と問われても「はて?」と考え込んでしまいます
良くも悪くも宮崎駿はアニメ屋であり、思想家ではありませんし、グレタさんのように他国の政治家を罵倒して拍手喝采を浴びる社会活動家でもありません。「夢見る権利」を一貫して描き、主張してきたと言われても「へぇ?」と思うだけです
もちろん、筆者はそのような前提に立っているわけですから、そうだと仮定して先へ進みましょう
「風立ちぬ」の中で女性差別、階級差別というものを宮崎駿は描いており、貧しくとも差別されようとも「力を尽くして生きる」ことの大切さを訴えていると筆者は書きます。さらにその困難さ、残酷さについても


他方で、時代を正確に描写する本作品で着目すべきは、「この国はどうしてこう貧乏なんだろう」と、主人公がしばしば口にする「貧困」である。そして、「一等車と二等車」、「お嬢様と女中」の対照にあらわされる歴然とした階級性の存在、さらにはヒロイン菜穂子が、父親には「お父様」、夫・婚約者には「あなた」と呼びかけるのに対して,父親ないし夫が娘ないし妻に対して「お前」と応答する女性の社会的地位の低さ、また、二郎やその友人・同僚の本庄のような希少なエリートの存在とそのエリート意識の高さといった、今日とは全く異なる様々な階層における差別や差異の存在である。
そしてまたこれらは重層的に絡まり合いつつうごめいて当時の社会を構成している。このことは映画中盤、二郎の夢のなかで「君はピラミッドがある世界とピラミッドがない世界とどちらが好きかね」とカプローニが問うのに対し、「僕は美しい飛行機を作りたいと思っています」と二郎が応じる禅問答のようなやりとりを際立たせる。ここで銘記すべきは、自分の個性と資質に忠実に「力を尽くす」とはきわめて残酷で冷徹なありようを呈してしまうということである。
(中略)

それゆえ文化の創造には万人の幸福と相反してしまう不平等や差別がどうしようもなく孕まれることになる。「力を尽くす」とはそのような残酷さや冷酷さを引き受けることでもあり、またこの事実をわたしたちは端的に肯定することはできない。ただ「文化の創造」とはそうしたものだとしか言い得ないのである。そのことを映画は二郎の矛盾した生きざまのうちに描き出してゆく。

「ピラミッドのある世界」との喩えで何を言い表そうとしたのか、解釈が分かれます。往年の解釈からすれば、ピラミッドとは絶対的な権力者が多くの奴隷を酷使して建造した力の象徴という意味です。不平等な社会、格差社会を指し示す喩えなのでしょう。しかし、現代の研究ではピラミッドは奴隷労働によって建造されたのではなく、給与がきちんと支払われる職人集団によって建造されたものであると結論付けられています
これとは別に、ピラミッドのある世界=高度なテクノロジーの存在する世界(なおかつ分断され埋めがたい格差を伴う社会)を意味し、ピラミッドのない世界は原始的で牧歌的な世界(階級社会ではなく、貧しくとも平等な社会)を意味していると解釈する人もいます
文脈からすれば、筆者はピラミッドのある世界=差別のある奴隷労働の社会と解釈しているのでしょう。しかし、二郎は階級社会云々に関心はなく、問いに対してただ「美しい飛行機を作りたい」と語るのみです
この噛み合っていないやりとりを禅問答と筆者は表現します。ただし、航空技術者は社会学者や労働運動専従者ではないのであり、エリート技師である二郎が社会の格差に無関心、無頓着であるのは何も奇異なことではありません。が、筆者はこれを矛盾した生きざまと解釈しています
付け加えるなら、ドイツにおける空軍パイロットは貴族の仕事、役割とされ、上流階級出身者が多かったという事実があります。かつては騎兵の将校が上流階級出身者で占められた時代があり、馬が飛行機に代わったというわけです
さらに本題から逸脱してしまいますが、過去に取り上げた韓国メディアによる一連の「風立ちぬ」批判は作品の中身や、構成、表現などには一切触れようともせず、「零戦の設計者を描き、日本の戦争遂行を美化しているからけしからん」という主張ばかり繰り返されていました
翻って見れば、韓国メディアや中国メディアによる宮崎駿称賛は、1本のアニメーション作品で100億円単位の金を稼ぐからこそ、褒め称えているのであり、その描き出したもの、描こうとするものを称賛していたのかどうか怪しく思えてきます
当然ながら韓国のメディア関係者が堀辰雄の小説を読んでいるとは思えないのであり、その文学作品の価値など理解もしないまま「零戦の設計者を描くなどけしからん」と叫んでいたのでしょう
もちろん、戦闘機や爆撃機を開発した経験もない韓国ですから、航空機設計者の苦悩も喜びも理解できないし、共感もできないと想像します
最後に、揚げ足を取るような真似をする気はありませんが、論文の中で「そもそも飛行機を『美しい』と感受するのは、堀越二郎やジャンニ・カプローニといったごく一部の人間に限られるのであろう。それは万人に共通する感覚ではない」とあるのですが、この考えには賛同できません。多くの男の子は戦闘機であれ旅客機であれ、そのフォルムを美しいと感じるから好きなのです。女の子である筆者には理解できないのかもしれませんが(性的な差別をする意図はありません)
結論として、宮崎駿が「夢見る権利」の大切さを一貫して描き続けてという筆者の主張は新鮮に感じるものの、疑問符がつきます
宮崎駿が良くも悪くもアニメ屋であるように、二郎も良くも悪くも飛行機屋であり、男の子のままというのが自分の感想です

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