栗原心愛ちゃん殺害事件を考える 栗原被告の控訴棄却

栗原勇一郎被告は一審判決の懲役18年を不服として控訴していましたが、東京高裁は「同種の事件と比較して量刑は特に重いとはいえない」とし控訴を退けています
控訴審の詳細は報じる記事が少なくて詳細が把握できないのですが、新たな証言や新たな証人を示すこともなく、栗原勇一郎被告が不満を述べただけで終わったようです。なので、控訴が棄却されたとしても、栗原被告が己の所業を反省するはずもないのであり、「なぜ、オレだけがこんな不当な刑罰を受けなければならないのか」と不満タラタラで過ごしているものと推測します
さて、事件の根幹にあるのは、「栗原被告がなぜ、娘を死ぬまで虐待し追い詰めたのか」との疑問です。これについては既に当ブログで述べたように、娘をいたぶる行為が性的な快楽と結びついており、その快楽を味わうため繰り返し虐待した、というのが自分の仮説です。そして娘の痛みや恐怖、苦しみというものが栗原被告にとっては快感なのですから、娘の気持ちを理解することなどできないのです。他人を痛めつけてある意味平然としていられる、サイコパスと呼ぶにふさわしい人格の持ち主でしょう
前回は犯罪加害者とその家族に寄り添う活動をしているNPOの代表阿部恭子が書いた、週刊女性の記事を取り上げました。その記事は2021年2月のもので、虐待は経済格差のせいだ、と決めつける内容でした。今回は順序が逆になってしまいますが、一審判決後の2020年3月に阿部恭子の書いた記事を取り上げます。ここでは経済格差という指摘はありません

野田市小4虐待死事件の「全容」〜全公判を傍聴してわかったこと
(前略)
本判決は「被告人の意思決定には、酌量の余地などみじんもなく、極めて強い非難が妥当する」と判示したが、弁護側から被告人に有利な情状は全く示されず、筆者は求刑通りの懲役18年を予測していた。
弁護側は、傷害致死罪について罪は争わないとしながら「飢餓状態にしたりストレスを与えて衰弱させたことはない。立たせたり冷水シャワーをかけたことはない」など虐待について一部否認し、最終弁論では「しつけが行き過ぎた」「日常的な虐待はなかった」と主張した。
勇一郎氏は虐待について「娘が暴れたので押さえつけた」、夜中に立たせたりしたことについては「娘が自分からやると言った」という主張を最後まで貫き、解剖医や精神科医の証言から、主張の矛盾を何度指摘されても「事実しか話していない」と虐待を認めることはなかった。

さりげなく弁護人の方針を批判しています。「虐待はしていない」と主張する栗原被告の意向に反する形で虐待を認めるような弁護活動はできないのであり、そんな弁護をすれば栗原被告は弁護人を解任したでしょう

勇一郎氏は、なぜ虐待を否定し続けるのか。
本件では、動画や録音、LINEでのやり取りなど虐待の一部始終が記録されており、動かしがたい証拠を自ら作っているのである。
それにもかかわらず、自らの行為を否定するのみならず、娘が誘発したかのように主張することは、「無駄な抵抗」としか言いようがない。
被害者は貶められ、家族は恥をかき、当然、刑は重くなる。なぜ、自ら厳罰を招くような無駄な主張が繰り返されたのか。
それは、勇一郎氏が社会的な「虐待」の意味を理解していないからである。虐待や性暴力の加害者には少なからず「認知の歪み」が存在し、自己の価値観において、加害行為を正当化している。加害者に罪を認識させるためにはまず、「虐待とは何か」を理解させなくてはならない。
勇一郎氏の発言からは、どういう行為が虐待か、誰も説明していないと感じた。犯行当時から少しも変化しておらず、それどころか、接見禁止によって弁護人以外との交流が遮断されたことによって自分の世界観を強固にし、加害性が増したとさえ感じた。
弁護側は、虐待を認め、公判までの間に認識のズレを埋めていく教育を行って欲しかった。せめて被害者の尊厳を貶める発言は控えるようコントロールすべきではなかっただろうか。
無駄な否認を続けることによって親族や適切な支援者との交流が遮断され、自らの価値観を相対化する機会がないまま、認知の偏りがさらに増した状態で裁判に臨むことになったのである。
勇一郎氏は助言を聞き入れる姿勢を見せており、対話を重ねることによって、ある程度の認識のズレは修正できたはずである。

認知の歪みはそのとおりなのですが、虐待を理解していないのではなく、理解したくないのであり、虐待だとしても加虐行為を止める気はなかったというのが実際では?
そして心愛ちゃんを辱める行為を繰り返したのは、そこに性的な快楽を見出していたからだと自分は考えます(大便を手に持たせ写真を取るとか、失禁させるとか)

勇一郎氏の親族が、弁護人と連絡を取ることができたのは事件から数ヵ月が経過した後だった。
勇一郎氏は、可愛がっていたはずの娘をなぜ虐待死させるに至ったのか、その動機を掘り下げるべく「情状鑑定」の実施を提案したが、年末にようやく臨床心理士が接見できたものの十分な時間を取ることができず、公判において、勇一郎氏が虐待に至った背景について言及されることはなかった。
「情状鑑定」とは、被告人が犯行に至った動機について、面接や心理検査を通して性格や知能、生育歴などから分析することであり、加害者家族支援においては、減刑よりも、家族がこの先、被告人とどのように関わっていくべきかを導くために重要な役割を果たしている。
刑務所では面会できる回数や人物がかなり限定される。受刑者は受刑生活の大半を作業に費やすことになり、教育を受けられる時間はごく僅かである。従って、未決の期間に情状鑑定等を利用して加害者に問題を認識させる意義は大きい。
(中略)
検察側は、勇一郎氏が心愛さんを虐待した理由を「次女が生まれ疎ましくなった」と主張するが、十分な説明とはいえない。犯行当時、勇一郎氏は虐待行為に快楽を得ていたわけではなく、かなり精神的、経済的に追いつめられていた。

検察側とすれば虐待をしたと立証できればよいのであり、その動機までは問いません。栗原被告が動機らしきものを供述しない限り、そこまあいまいにするしかないでしょう
そして、「犯行当時、勇一郎氏は虐待行為に快楽を得ていたわけではなく」と阿部恭子が書く理由が不明です。裏付けは?

心愛さんへの虐待には、排泄をコントロールし、漏らした便を持たせて写真を撮るといったかなりの屈辱が与えられているが、父親は尊敬されるべき、女性は従順であるべき、子は親に従うべきと考える者にとって、「娘」から反抗されることをこの上ない屈辱と感じていたことが窺える。
残酷な犯罪であればあるほど、犯罪者が犯罪に至る背景には、虐待、差別、いじめ、レイプといった被害体験が隠れているケースが少なくない。本件においても、幼少期のエピソードを丁寧に拾っていくことによって、暴力の引き金となっている過去の傷つき体験が浮かび上がってくる可能性は否定できない。

忘れてはならないのが、栗原被告は妻にも暴言、暴力を繰り返し追い詰めて一度は離婚している事実です。男尊女卑の古風な考えの持ち主、というだけでは説明できません
娘に大便を持たせ写真を撮る男が、「父親としての権威」を主張するなどバカげています。阿部恭子は別の記事で「「勇一郎被告は性格的に歪んでいる。心愛ちゃんへの虐待が暴力に加えて屈辱を与える行為からもうかがえます。汚物を持たせたり、失禁させたり……。母親(なぎさ)は嫌がらせと言っていましたが、まさにそれで、嫌がることをネチネチとしているな、と感じました。被告の言うように“いい父親になりたくてやった”しつけの延長線上じゃないような気がします」と述べており、なぜ、この記事では「父親は尊敬されるべき」との考えを栗原被告が有していたかのように語るのか、不思議です
特段、阿部恭子を批判する目的があって書いたのではありません。が、この事件について活発に意見を発して彼女の記事をいくつか読み比べると、矛盾していたり、唐突に経済格差が虐待の要因だと言い出したり、ブレがあるように感じます。事件についてまったく別の視点から眺め、新たな様相を見出す可能性は否定できませんが、見解がコロコロ変わるとの印象を与えるのはマイナスだと思います

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