「シン・エヴァンゲリオン劇場版:||」の爽快感と疎外感

「シン・エヴァンゲリオン劇場版:||」を巡る批評を読んで考えるシリーズの第2弾です
劇場版を観た後、絶賛してその感想を生き生きと語れる人と、作品に批判的な印章を抱き「観たかったエヴァはこれじゃない」感に囚われる人に二分化されるのはなぜか、という問題意識から評論家真鍋厚が論じています
早速、読んでいきましょう

シン・エヴァ劇場版鑑賞、なぜ「爽快感」「置いてきぼり感」に二極化するのか
(前略)
しかし、「新劇場版」の完結編に当たる今作はどうも、いつもと様子が違っているようです。なぜなら、テレビ版からリアルタイムで見てきた昔からのファンがこぞって大絶賛しているからです。
筆者が主な識者のコメントをざっと確かめてみましたが、狂喜と言っても過言ではない褒め方が大半です。もちろん、賛否の「否」に該当しそうな論評がないわけではありませんが、メインストリームからははじかれてしまっているようなのです。これは一体どういうことでしょうか。
きついものと映った「まともさ」
まず、賛否の「否」と思われるものとして目に付いたのは「シン・エヴァが旧エヴァ(1990年代の作品)と比較して、物語としての衝撃性や意外性があまりない」「キャラクターの変化がご都合主義的で、終わらせ方として強引ではないか」といったものでした。
それ以外にもいろいろと細かい指摘がありましたが、とりわけ興味深かったのは作品そのものへの論評とは異なる「心情の吐露」でした。「シン・エヴァを鑑賞して感動したけれども、恋人をつくれ、現実に戻って幸せをつかめと言われても、もう手遅れなんだが……」といった反応でした。これは、絶望から希望へと転換する全体的な物語の流れにおいて、「パートナーありきの人生像」が端々に刻印されていると受け取られたからだと思われます。
また、映画の中で、人々が相互扶助で生活を営む姿がユートピアのように描かれていた場面への違和感を表明するものも少なからずありました。家族だんらんや田植えのシーンに象徴される「まともな生活」、もっといえば、夫婦になって子どもをつくり、誇りとする仕事があるといった大人像がやや、ステレオタイプの推奨に感じられたのかもしれません。
要するに、ストーリーの完結のさせ方や伏線回収といった次元の話ではなく、作中でそれとなく描写される「まともさ」とされるものの提示がロスジェネ世代(バブル崩壊後の就職氷河期に遭遇した世代)を中心とするファンの間で、きついものに映ったと考えられます。
旧エヴァ以後の時代、低成長経済と中間層の崩壊に拍車が掛かり、恋人や家族を持てること自体が高価なぜいたく品のようになりました。そうしたことも含め、将来に対して希望を持ちづらい人々が拡大していったことが作品の見方に関係していると思われます。

端的に言えば、観る側の生活体験や経済事情によって感想が左右されるとの指摘です。リア充と不遇なオタクとでは、そのように明確な感想の違いがあるのでしょか?
筆者はそのような結論からこの批評を組み立てているのですから、読み流してしまうと「そんなものなのか」と受け止めてしまう人もいるのでしょう
ただ、リア充でもなく不遇なオタクでもない自分としては、この結論ありきの導入部分で違和感を覚えてしまいます
筆者は観る側の感受性を「感情資本」という概念で、以下のように説明します

文化資本としての「感情資本」
すでにちまたに作品の批評があふれ始めていることから、ここでは作品の批評をいったん横に置き、社会の実相を照らし出す触媒としての面から論じてみたいと思います。
仮に先述の「恋人をつくれ、現実に戻って幸せをつかめ」というメッセージが真だとしましょう(これは「恋人をつくれ」だけでなく、「友人をつくれ」にも当てはまる)。そのためには、当然ですが確固たるリソースが必要となってきます。つまり、最低限、周囲の仲間や社会のことを考えられる余裕がある感情の持ち主でなくてはならないからです。
例えば、「くよくよしないで勇気を出して」という決まり文句をよく聞きますが、「勇気を出す」には「優しく背中を押してくれる、自分のことを心配してくれる誰かがいる」といった「寄り添ってくれる他者の存在」が含意されています。加えて、「その人がどのような境遇を経てきたのか」「現在どのようなポジションにいるか」という要素にもかなり左右されます。このような感情の働きを「感情資本」として捉える見方があります。ここでいう「感情資本」とは次のようなことを意味します。
感情資本とは、文化資本のひとつである身体的資本として、感情管理の特定のスタイルを「自然に」身につけた人間が、より有利な社会的位置を「個人的に」獲得するかにみえるような事態を招くものである。それはある階層独特の資本としてあり、そのため、その階層の再生産に役立つことになる(「希望の社会学 我々は何者か、我々はどこへ行くのか」山岸健・浜日出夫・草柳千早編、三和書籍)。

言うところは理解できます。つまりリア充にはおのずとリア充たらしめる佇まい、対人コミュニケーション能力が備わっており、それが再生産(親から子へと受け継がれ)され、リア充の家系が成立するという話です
ただ、エヴァンゲリオンに惹きつけられた人たちが皆リア充ではありませんし、皆が不遇なオタクでもないでしょう。こうした話の進め方は世にある「勝ち組か、負け組か」、「持っている者、持たざる者」という二元論に行き着くのであり、とても賛同はできません
エヴァンゲリオンに惹かれた人というのは、リア充か不遇なオタクかはともかく、「エヴァを理解できるのは自分だけ」という、庵野秀明の提示する異形の物語をやすやすと咀嚼し吸収できる感性の持ち主を自負する人たちだったのではないでしょうか?

「感情資本」に恵まれた人/恵まれない人
(中略)
「シン・エヴァ」の中で、このような問題を大なり小なり抱えていたはずの主人公がいとも簡単にその問題から解き放たれて、大団円を迎えることの意味を無理やり探ると、棚ぼた的な「感情資本」の獲得以外に考えられません。そうでなければ、豊かな関係性が築けるはずがないからです。
しかし、そのようなプロセスには触れられず、気付いたら「そうなっていました」という形なので、肩透かしを食らったような感じが否めないのだと思われます。そして、それは棚ぼたが前提であるがゆえに、ますます困難なものに映るのです。
「シン・エヴァ」鑑賞後の「爽快感」と「置いてきぼり感」の二極化の理由の一つは「失われた20年」をうまく乗り越えることができた人々/できなかった人々の隔絶といえますが、感情資本に恵まれた人/恵まれなかった人の差異に対する認識の有無にあるともいえそうです。
「シン・エヴァンゲリオン劇場版:||」は四半世紀に及ぶ人気シリーズの総決算で、多くの人々に満足度の高い感動を与えるだけでなく、その四半世紀に及ぶ日本社会の変容が作品の受け止め方に影響し、図らずも根深い分断を浮き彫りにした、まれな映画といえるかもしれません。

筆者はあくまで「感情資本」にこだわって話を進めているわけですが、自分は「感情資本に恵まれているか、いないか」で明確に「爽快感」を得る人と「疎外感」を味わう人に区分できるとは思えません。世の中、そう簡単に二分割できたりはしないのですから
混ぜっ返すようで恐縮ですが、筆者の論の前提となる「爽快感」の中身も観た人によってそれぞれ異なる可能性があります
映画のCMのように、映画館から出てきた人が「最高です」とか「感動しました」と語っていても、中身がどうであるか詳細に検討しなければ「同じ感想を抱いた」と決めつけられません
前回述べたように、庵野秀明とそのスタッフが考え抜いた末に「エヴァンゲリオンの完結はこうである」と提示したのであれば、それが結論です。もちろん、受け入れるかどうかは観る側が決めるのであり、「観たかったのはこれじゃない」と反応し、拒否する権利はあります
「未完のエヴァンゲリオン」をどこに求めるのか、あるいはエヴァンゲリオンに代替する物語を見つけるのか、「自分だけが理解し得るエヴァンゲリオン」を語り続けるのか、反応はさまざまでしょう
「爽快感」を得た=感情資本に恵まれたとして、それが何になるのか?
リア充の自慢話みたいで不毛な予感しかしません
「観たかったのはこれじゃない」と感じ、失望や疎外感を味わった人たちの中から、エヴァンゲリオンを超える物語を生み出す人物が登場するかもしれないのですから。満足からは何も生まれません。むしろ、失望や不満が新たな創作の火種になるのでは?

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