大塚英志 「エヴァンゲリオン」を語る

サブカルチャーの研究者でもある大塚英志が日本経済新聞で「エヴァンゲリオン」を語っていますので、取り上げます
漫画家、雑誌編集者、サブカルチャー評論家、大学教授として活動してきた大塚英志が「エヴァンゲリオン」の完結について何をどう語るのか、早速読み進めていきましょう

エヴァンゲリオン、25年目の完結 現代の分断社会予見
(前略)
戦いを通じ、少年少女の成長を描くSFアニメの王道だが、シンジの父ゲンドウらが進める「人類補完計画」が全編を貫く主題になっている。全人類や使徒が一つに融合し、単一生命体になって永遠の安らぎを得るという謎に満ちた発想だ。テレビアニメの初回放送は1995~96年。それから25年たった。長年サブカルチャーを研究してきた大塚氏は「近代の小説がずっとテーマにしてきた自己と他者みたいなことを正面から扱ったのが面白かった」と振り返る。
「自分と他人の境界が溶け合う世界を求めるのは、今では驚きはない。皆がインターネットで結ばれ、SNSで内面を露呈しながら匿名でまったりつながっている。そういう世界を人類補完計画で作ろうとして、主人公たちは飲み込まれつつも、一生懸命抵抗する」
「シンジは最終的に世界が滅んでも他人と溶け合うことを拒絶した。他者がずっといる世界を選択するという見せ方があのとき必要だったし、今も必要だと思う」。大塚氏はそう説く。

当ブログでは前回、「エヴァンゲリオン 家族を問う物語」と題し、精神科医樺沢紫苑による論評「なぜ日本人は『エヴァンゲリオン』に四半世紀も熱中しえいるのか」を取り上げました。そこで樺沢はシンジは父性と母性の補完を求めていたのだ、と結論づけていたわけですが、大塚は「人類補完計画」を他我の境界を取り払い、溶け合う世界の実現を目指すものと述べています。それが現実的に可能かどうかはともかく、樺沢の言う、「碇家の団欒」などというレベルを超えた世界です
とても理想的な世界であるとは思えませんし、個の消失を上回るだけのメリットがあるのか疑問です

他者の消去問う
大塚氏は、庵野秀明監督が作品で問うたのは「他者の消去」だと指摘する。それは今の社会でより鮮明になってきた課題だ。「自分が理解できない他人がいて、その他人と折り合いをつけ社会や世界を作っていくのが近代社会だった。今はそれを排除する『分断』に陥っている」という。
「理解できない思想を持つ人間にレッテルを貼り、『反日』などと決めつけ、いなくなってしまえと考える。意図がよく分からないが日本を襲ってくる使徒はまさに不条理な他者で、人類補完計画はそれを取り込み、自他の障壁を消そうとする。だが、作品では他者がいない世界は間違っていると結論を示した」
他者を排除しようとする思想はSNSの普及とともに世界的に広がっている。「分断といいながら、他方の殲滅(せんめつ)を考える。米大統領選のバイデンもトランプも皆がおのおのの自己補完を考えていた。好きなニュースを見て、嫌なニュースは見ない。そうなってしまう未来を25年前に正確に、批判的に描いたところがエヴァの価値だといえる」と大塚氏は力を込める。
シンジは劇場版でも他者との融合を拒み、アスカとともに世界に残される。「近代社会では互いに話し合い、合意しながら社会を形成するが、一方で『おまえなんか消えてしまえ』という心もある。だからアスカは『気持ち悪い』と他者としてシンジを拒絶した。そうやって個を生きるしかない。それが近代社会だから」と大塚氏は訴える。

ここでは他者をどう定義し、その役割を解釈するかが問題です
引きこもりの中年男が、「我思う、ゆえに我あり」と叫んでも虚しいのであり、中年男の存在が認知されるためにはどうしても社会の他者が必要になります。称賛されるにせよ、罵倒されるにせよ、人は他者の眼を介してのみ、己の存在を認識できるのですから(ゆえに、他者がいない世界は間違っている…との解釈に結びつきます)
上記で大塚は「他者の消去」と述べているのですが、これはアメリカ大統領選挙におけるバイデンとトランプの批判合戦の論理とは噛み合っておらず、場違いな感じがします。バイデンとトランプの批判合戦は、相手を排除する狙いではなく、外に敵を作って己の正当性をアピールしようというもので、エヴァンゲリオンの物語の説明とは不適切なのでは?
さらに、大塚が言うように「理解できない思想を持つ人間にレッテルを貼り、『反日』などと決めつけいなくなってしまえと考える」としても、いわゆるネット右翼は反日派と融合し一体化しようなどとは思わないのであり、それが「他者の消去」という概念に当たるとは考えられないのですが。何度読み返しても、大塚が言おうとしているところが自分には理解できません
大塚の語るところを記者が録音し、原稿に起こして大塚のチェックを受け記事にしたのでしょうが、自分には??です

不安定さ広がる
世界の命運を託されたシンジやアスカらは14歳という設定だった。大塚氏は「放送からしばらくして神戸連続児童殺傷事件などが起きる時代で、あのころの10代はひどく不安定だった。庵野監督はそうした10代のピリピリした心に意識的に反応したから、彼らの心に響いたのだろう。今は当時の10代が抱えていた不安定さがもっと幅広い世代や、世の中全体に及んでしまったのではないか」とみる。
「10代というのは世界に対峙しなければいけないと思いつつも、世界に対して恐怖する。そうした矛盾した状況に置かれている大人が増えているのでは」
庵野監督のパーソナルな感性に基づいて制作された作品だからこそ、逆に普遍性を持ち得た、とも分析する。大塚氏は「作品自体が監督の自己治癒だったのではと思う。病んでいたといえば失礼になるが、庵野監督が治癒していく過程にこそ、あの頃の14歳が感じていたイライラの正体があったのではないか。それ故に25年がたった時に、先駆性を持った批評になり得た」と話す。

エヴァンゲリオンの物語に惹かれたのは10代のこどもたちだけではないのであり、テレビシリーズ放映時点で幅広い層が反応したのではないかと思います。その後のテレビシリーズ再放送と併せて
誰もが思春期に抱く不安や葛藤、イライラなどなどを、アニメーションの中で表現し、それが必ずしも個々人の内心を描いたものではないのですが、共感を覚えた者が多かった(これは自分の物語だ、と思ってしまった)のでは?
25年を経ての完結は庵野監督自身と、そのスタッフを解放するものでしょう。ただし、エヴァンゲリオンの物語に惹かれた中高年から若者、少年までの幅広い観客を解放するものであるかどうかは分かりません
繰り返し書いているように、「観たかったエヴァの完結編はこれじゃない」と思う観客もいるのでしょうから
大塚英志なら、いずれエヴァンゲリオンについてまとまった論評を書くと思いますので、それを待って「他者の消去」なる概念について考えたいと思います(いわゆる、逃げです)

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