「千と千尋の神隠し」はなぜ女の子を夢中にさせたのか

先日来、「新世紀エヴァンゲリオン」について言及を重ねてきて、必ずしも「成長モデル」に依存し、論じるだけでは十分ではないと思うに至りました
「成長モデル」は便利なもので、「エヴァンゲリオン」でも「ガンダム」でも、「千と千尋の神隠し」でも、思春期を迎えた少年少女がいかなる成長の過程を経るものか、というモデルで説明できてしまうのです。ですが、それが必ずしも妥当であるかどうかは、よくよく考えなければなりません。さらに作品自体をそうした既存の成長モデルの枠にはめて解釈することは、別の解釈の可能性を切り捨ててしまう結果に結びついてしまい、読みが限定される危険もあります(ちなみに宮崎駿は「千と千尋の神隠し」を「千尋の成長譚ではない」と公言しています)
「エヴァンゲリオン」をシンジやアスカの成長の物語であると解釈するのが王道なのですが、それだけでよいのかと思うのです
「個人の健全な成長なんて知ったことか」と切り捨てた先に、新しい物語の読み方が見つかるのかもしれません
前置きはここまでにして、宮崎駿監督作品「千と千尋の神隠し」を取り上げて、成長の物語という王道的な解釈によらない、別の可能性を考えてみようというのが今回の目的です
後藤秀爾愛知淑徳大教授による論文から引用させていただきます
これは2003年に愛知学泉大学コミュニティ政策学部紀要に掲載された論文です
論文はユング派の分析心理学の考えをベースに、「千と千尋の神隠し」が女の子に支持された理由を考察するものです

現代社会と思春期モーニング--「千と千尋の神隠し」への分析心理学的考察
https://gakusen.repo.nii.ac.jp/?action=repository_uri&item_id=123&file_id=18&file_no=1
(論文2ページ)
後に詳しく検討するが、現代社会のなかで生きる子どもたちが、子ども時代を喪って大人になっていくための心の成長物語を、これほどまでに強く求めていたことを、改めて確認する思いである。つまり、彼らは思春期モーニングを乗り切る術を知らず、どうしてよいのか戸惑いながら、自分のあり方を見つけられなまま漂うことになる。このような現代的な心の課題の構図が浮き彫りにされているものと理解できる。
(中略)
そういう意味で、この”千と千尋現象”と呼ぶべき事態は、”時代の病理”を反映していると言ってよく、その裏にあるものは、”大人になれない自分”を抱えた若者たちの姿である。

「10歳の少女」をモデルに組み立てられた物語に、小学生から中学生くらいの女の子が共感を覚え、感情移入したと説明するのが妥当な線だと思います。ただ、本当にそれだけの理由であるかどうか?
次の引用部分で「モーニングワーク(対象喪失に伴う喪の作業=理想としてた両親の姿に失望を受けるものの、現実として受け入れるための作業)について説明がされます
ただ、対象喪失による喪の作業というだけならば、千尋はあそこまで必死になって豚になった両親を元の姿に戻す⇒元の世界への帰還を目指そうと行動する必要はなかったのではないか、と思うのです。ストーリー上、豚になった両親を元の姿に戻す展開である必要は承知していますし、奪われた名前を取り戻して元の世界へ帰還するのが大団円であり目的というのが視聴者に対するお約束であるのは分かります
ただそこに至る千尋の行動力は「喪の作業」を遥かに超えたエネルギッシュなもの(必死さ、と言い換えてもよいのでしょう)です
もちろん、喪の作業といってもさまざまで、自分探しを始める人もいれば、スポーツに打ち込んでさまざまなしがらみを忘れようとする人もいたり、何もせず茫然自失のまま過ごす人もいるわけですが。あるいは「喪の作業」と呼ばず、「失恋したときの反応」と言いかえればよりわかりやすいのかもしれません

(論文5ページ)
2.思春期の対象消失とモーニングワーク
(1)親への幻滅
思春期は、親への編滅から始まる。それは、子どものうちは理想化されていた親のイメージという内的対象の消失を意味している。自分自身の成長の実感と引き換えに生ずるため、子どもが大人になるときには、この改題カラ』逃れることはできない。「自分の親はこの程度のつまらない大人だったのか」という衝撃的な気付きは、大人全般に対する幻滅と過剰な批判の視線を生み出す。
これが思春期のこどもたちの必ず遭遇しなくてはならない内的対象喪失体験の主要な構図である。この喪失体験からの立ち直りの過程は、内的な喪(おとむらい)の作業であり、”モーニングワーク・プロセス”と呼ばれる。こうした喪失からの立ち直り過程を総称して、”思春期モーニング”という。フロイト派精神分析医である小此木啓吾は、この一連の内的体験を、思春期・青年期の発達過程に本質的に内在するにもかかわらず、本人にも喪失体験としては自覚されないプロセスである、と説明している。

宮崎駿のへそ曲がりな思考に基づけば、「千尋の成長譚ではない」との彼の発言は、「バブル期に繁栄を貪り愚行を重ねた大人たちの姿を、10歳の少女の目を通して批判的に描いた」とも解釈できます。
ただ、そうであるならば千尋がハクを助けたりと、異世界で奮闘ぶりを説明する理由にはならない気がします
なので、千尋の精神的あるいは身体的な成長を描こうとしていること自体、疑いようがありません
論文6ページでは”モーニングワーク・プロセス”を段階的に説明しています
簡単に書き直すと、①ショック:不安と混乱、②否認:事実を受け入れず、何かの間違いだと思い込もうとする、③怒り:否定しようがないが怒りがこみ上げてくる、④取引:代替物、代替行為を求める、⑤抑うつ:悲しみを反芻しつつ、思い出へと変換を図る、⑥新しい出会い:喪った対象を自己の内に取り込みつつ、新しい自分に生まれ変わる、という段階を経ると説明されています
失恋から立ち直る過程、になぞらえればすんなり受け入れられるのではないでしょうか

(論文6ページ)
千尋にとっては、喪くした親イメージを取り戻すため、新しい他者対象である、より普遍的な父性と母性との出会いを果たさねばならない事態である。以前と変わらず両親像に出会うことは、もうできないことをも知らねばならない。
また、同時に、まったく唐突に出現したアニムス(内なる異性)の”ハク”を受け入れるという心の作業にも取り組むことになる。”内なる異性の統合”という課題ということもできる。千尋にとって未知であったハクの姿が、愛の対象たる存在として次第に位置付けられていく。そのことがまた、新しい自己との出会いを準備することへとつながる。
後先もわからぬ必死の思いのまま新しい混乱の状態を切り抜けてきた千尋が、”お父さんお母さんを助ける”という使命に気付いたとき、ハクの手作りのお握りを食べながらボロボロと涙を流す場面がある。自信をなくした孤独と無力感のなかで、もはや子どもでいられなくなったことを悲しむ瞬間である。今までの子ども時代を捨て去ることによって、新しい出会いに満ちた世界が開かれる。そのことを暗示するシーンに見える。

なので、話の中心は父親や母親の真の姿に失望し、対象を喪失する喪の作業ではなく、そこからいかに切り替え、「新しい出会い」(それは新しい自分に出会うという意味でもあります)へと歩を進めるかが中心にあると解釈するべきなのでしょう
その部分の切り返しがコントラストも鮮やかに描かれており、いわばキャラが立ってくるわけです
この記事のタイトルである「『千と千尋の神隠し』はなぜ女の子を夢中にさせたのか」との問いに立ち返るならば、対象喪失を乗り越え、「新しい出会い」に向けて踏み出す千尋に共感したからであり、そこに愛の対象を見たからでしょう。これは最初に述べた「千尋への共感」と同じではありますが、後藤論文によるユング的解釈によれば、おそらく彼女たちは物語の上っ面で共感したのではなく、もっと深いところで心を揺さぶられたように感じたのではないか、と推測します(同じく心を揺さぶられた者だけが共有できる実感があるのでしょう)
ハクは単にカッコイイ男の子という存在ではなく、かつて千尋の命を救った川の精霊であり、より大きく深い自然への畏敬(愛)が含まれているのが特徴です

(論文14ページ)
子どもの精神科医である渡辺久子は、家庭内の子育て機能のなかにこうした経済原理が入り込んできたことによって本来の子育て原理が侵食されてきたことを指摘しているが、
この映画はそのことを見事な説得力で示しているといえる。”子ども自信の姿をよく見る”という子育ての基本原理が忘れられ、特定の画一化された発達像に従って子どもを枠にはめて安心するような子育て状況が生まれている。

これは湯婆婆の子育てについて指摘した上で、さらに現代社会一般に見られると述べている部分です。
同時に自分には、成長モデルの枠にはめて文学作品やアニメーション作品を論じる行為にも当てはまるもの、と感じました(冒頭でも述べたところです)
成長モデルに当てはめることが目的化してしまい、作品そのものを読み間違えるようでは無駄な試みになってしまいます。これは自戒しなければなりません
正直、ユングの著作は読んでも理解できません。どうにも咀嚼しにくく、自分の手に負えない気がします。河合隼雄の著作は記述がこなれており、すんなりと入ってくるのですが。河合隼雄がユング著作集を全面的にリライトしたら、もっと日本で普及したのかも、と思ったりします

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