「風立ちぬ」の飛行機の美学が危険?

久しぶりに宮崎駿監督の作品「風立ちぬ」を取り上げます
文春オンラインにあるアニメ評論家藤津亮太の批評を取り上げようと思ったのですが、何度読み返しても論旨が理解できず、腑に落ちませんので後日に回します

なぜ二郎は“苦悩”しないのか 『風立ちぬ』が描いたものの行方

代わりに東洋経済オンラインに掲載されている津上英輔成城大学へのインタビュー記事を取り上げます。津上教授の見解というより、東洋経済編集部の意向に沿ってまとめられたインタビュー記事なのでしょう
詩人高村光太郎が戦中に書いた詩「必死の時」と宮崎駿監督の「風立ちぬ」を比べ、「風立ちぬ」の方が遥かに問題だ(戦争を美化し、煽っている)とする不思議な内容の記事です
元記事からの引用を赤字で、自分のコメントを黒字で表示してあります

あの「風立ちぬ」が戦争讃美詩より問題な理由
多くの人にとって心地よいものであろう美は、人を殺すこともある。彫刻家にして詩人、高村光太郎の戦争賛美詩「必死の時」は、死地に赴く若人の背を押した。そして、スタジオジブリのアニメ『風立ちぬ』には戦争賛美詩よりも問題があると言われたら、驚かずにいられるだろうか。『危険な「美学」』を書いた成城大学の津上英輔教授に聞いた。
(中略)
光太郎の「必死の時」は「いさぎよさ」「未練をすてよ」という表現に戦死の美化がうかがえ、研ぎ澄まされた生き方が「美」と形容され、美しいからこそ追求すべきだとしている。美に眩惑され、その隣にある死は見えなくなっている。しかもこの詩は形式的にも内容の明確さからも美しかった。
──アニメ『風立ちぬ』の問題は?
主人公の技師、堀越二郎が希求する「美しい飛行機」は戦闘機、要は殺戮(さつりく)兵器です。これを二郎の「美しい妻」・菜穂子への愛と並置し、「美しい」という言葉でひとくくりにすると、「美を追求すること」=いいことになり、殺戮兵器の設計という負の部分が覆い隠されてしまう。実際、二郎の設計したゼロ戦は、彼の言う「美しさ」の追求のために防弾鋼板を省いたため、多くの操縦士が命を落としました。

「風立ちぬ」において二郎は戦闘機の設計技術者という設定ですが、ゼロ戦の防弾鋼板を省いた責任まで彼に負わせるのか、と思います
空戦性能(戦闘機相手の格闘戦)を優先する軍の意向により、機体の軽量化が必要だったという事情があったわけで、それが設計者の責任だというのは飛躍のしすぎでしょう。機体に防弾鋼板を貼れば重量が増します。エンジンの馬力があれば問題ないのですが、当時の日本に高出力のエンジンを作る技術はありませんでした。まさかエンジン開発まで設計者二郎のせいだと言いたいのでしょうか?
余談ながら、エンジンの出力が上がらなかったのはエンジンに使うシール材(パッキン)の品質が劣っていたためです。戦後、アメリカが接収した日本の軍用機を調べ、シール材をアメリカ製のものに交換し、オクタン価の高い燃料を使って飛ばす試験をしたところ、最高速度や上昇速度、上昇高度など旧日本軍の測定したデータより改善された、との話があります
したがって日本の工業技術がもう少し高く、オイル漏れがないエンジンを作れたなら、操縦者を覆う防弾鋼板を備えた戦闘機を配備できたかもしれない、という話であって飛行機の設計者の責任だとは考えられません
そして、注文主である海軍が防弾鋼板の採用を求めなかったのをすっとばし、設計者の責任であるがごとく語るのは大間違いでしょう
当時の防弾機能の考えをWikipediaから引用すると、「近い将来、欧米の航空機銃は20mm級が主流になると考えられるが、これに対応した防弾装備と搭載力・航続力を併せ持たせることはエンジン出力から見て不可能なことから、防弾は最小限にして軽量化を図り、速力や高高度性能等の向上によって被弾確率を低下させた方が合理的」と考えがあり、そのため海軍からの要求時点から防弾性能の優先順位は低く、犠牲にされたと書かれています

──光太郎より罪深い面がある。
光太郎は敗戦後、軍国主義への協力を反省し、今の岩手県花巻市郊外の過酷な環境で7年間独居しました。いわば自分を流罪に処した。ただ、戦後も彼は「美は絶対的な帰依の対象」と発言していて、美が内包する危うさに気づいていない。戦争に勝っていたら同じことを繰り返した可能性はあります。
一方で『風立ちぬ』は美の追求自体が美しいという構造です。光太郎の美の追求は敗戦によって反省する余地があったが、美の追求=美となると、失敗しても原因は追求度合いの不足となり、美の追求を繰り返すことになる。無限ループ、眩惑作用の極致です。
──また、眩惑作用は波及する。
花巻市では光太郎の住居が保存され、その隣に記念館があるのですが、パネルの説明を読んでも、自己流謫(るたく)という影の部分に触れていないので、なぜ著名な芸術家が7年間も命懸けの生活をしたのか、ほぼわからない。いかに地元の人々が光太郎を尊敬し、そのすばらしい面を強調したいとしても、これでは光太郎が気の毒です。

こう書いてあるわけですが、そもそも高村光太郎と宮崎駿を並べて論じる意図がさっぱり見えません
高村光太郎は国威発揚と軍隊賛美の詩を書いた己を、戦後になって反省したという話であり、それでよいのでは?
なぜそこに宮崎駿を引き合いに出し、「風立ちぬ」を戦争詩より危険な作品だと言わなければならないのか、自分にはさっぱり理解できません
加えて、ゼロ戦の設計者が多くの操縦士を死に追いやったがごとく間違った決めつけ方をするのも不快です
設計者にできるのは戦闘機を設計し、飛ばすところまででしょう。戦闘機を運用する海軍がどのような使い方をするのか、設計者が口出しできるはずがありませんし、決定権もないのですから
美学を講義する教授でも、軍隊という組織の構造くらいはきちんと調べ、把握した上で発言してもらいたいものです

──歌の影響力も大きいですね。
音楽は人を殺さない、などといいますが、とんでもない。ラジオ体操の音楽は運動を誘発するように作られています。見方を変えれば、音楽が人の体を支配している。けれど、ラジオ体操をしているときに、支配されているなんて思いませんよね。支配されていることに気づかせないのは最強の支配です。「同期の桜」という軍歌がありますが、特攻隊員がこれを歌うと、心の内側から自分の気持ちを表現していると感じられる。死が美しいと歌詞に表象されると、死は美しいと心から思ってしまう。音楽の危険な面です。
──本書を書いたのは、現状を危惧しているからですか。
「散華」は今でも聞いたり、目にしたりします。これは社会全体に働きかけるので影響が大きい。今後、日本が戦争をするようなことになれば、「散華」が復活して、若者を死へ追いやる事態になりかねないと心配しています。
──どう防げばいいのでしょう。
美を追求する人は、時折立ち止まることです。知性や理性を追求しすぎる弊害はすでに言われていますが、感性の追求はいいこととされている。しかし、感性には自己反省能力がないので、放っておくと暴走します。知性、理性によるチェックが必要です。
また、人間は社会に適応するために、自分で感じ、考えることを怠りがち。感じ方、考え方は社会で刷り込まれたものですしね。知識を蓄え、思考力を鍛えて、自らの感じ方、考え方を獲得しなくてはいけません。

と書かれているわけですが、「風立ちぬ」が若者を戦争へと駆り立てる映画のように見えたのでしょうか?
そう見えたというのなら、はっきりと書くべきでしょう
もちろん、宮崎駿にその意図はないのであり(頑固な反戦論者ですから)、余計にこの記事の論旨が掴めなくなってしまいます
「美しい飛行機を作る」という美の探求が、操縦士を犠牲にしたと津上教授は言いたいようですが、上述したとおりそれは言いがかりにも等しい批判です
加えて、津上教授は宮崎駿がこの劇場版アニメーション作品を作るにあたって、美の探求のため知性や理性によるチェックを疎かにし、感性のままに暴走したと受け止め、警鐘を鳴らしているつもりなのでしょう
ですが、半分当たりで半分は外れのように感じます
例によって宮崎駿は脚本から絵コンテまで自分で手掛けるわけで、スタジオジブリの誰だろうとそこに口出しはできなかったと推測します。それゆえ独善的になり、シナリオの辻褄が合わなくても宮崎監督が押し切ってしまう…というのがこれまでのパターンです
ただ、本作品は自身の最後の長編アニメーションであるとの思い入れがあり、脚本を書き絵コンテを描く過程で随分と自己内対話を繰り返し、考え抜いた上で作品化されたものと想像します
なので、感性の暴走に任せたまま完成した、とはのではなく、熟慮の結果できあがった(あくまでもその時点での、ですが)と受け止めた方がよいのでは?
自分には他の宮崎作品よりは破綻、矛盾、齟齬が少ないように映りました

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